実力も運のうちとかいわれたら、私たちは何を頼りに生きればいいのか(マイケルサンデル×岡田斗司夫)
こんばんわ。月邑です。
今回は普通にコラムです。お邪魔します。
先日、こんな動画をみました。
オタキングこと岡田斗司夫さんが、
アメリカの哲学変人(失礼)マイケル・サンデルの著書を解説しているという動画です。
あら面白そうじゃんと思って開いた動画だったのですが、聴き終わる前と聴き終わった後でちょっとだけ世界の見え方が変わったような感覚がしました。
うまく言葉にできないんだけど、
この講義を最後まで受けた時にわたしが思ったのが今回のタイトルです。
感覚がひっくり返る本は、いい本だけど、読みにくい。
マイケルサンデルさんの本は「これからの正義の話」を一度読んでいました。(妹が勧めてくれた)
小説やビジネス本は読む方法を知ってるから読めるけど、哲学書は初めて触れるカテゴリだったので四苦八苦。
ノート片手に図をかきながら、この人は一体何がいいたいんだ??とゆっくり噛み砕きながら3日以上かかってやっと読みおわる具合でして。
ただ、本を読み終わった後に、「正義ってなんなんだ?!」と、怒りとか憤りではない感情で思考し始めたんですよね。
いわば、身に染み付いていた概念に疑問を持つという不思議な感覚があったのです。
あぁーこれは面白い感覚だ、と思いながらも。
むっっっっっっちゃくちゃ疲れた!!!
しかも読んだ後に、また考え始めて疲れる!!
と、思ってしまったのです。
マイケルサンデルを読むときは、鬼ほど暇な時にしよう…という分類に入ってしまいました。
だって難しいんだもん!!
人は思考する葦といいやがりますが、私の頭は思考をまとめるのに向いてないんですよね…へへ…。
オタキング・岡田斗司夫の要約力はやばい
ニコニコ動画時代、岡田斗司夫さんの生放送を楽しみにしていた時期がありました。
たしか、ちょうどアメリカの大統領選挙の頃だったかな。(トランプvsヒラリーの時)
モーリー・ロバートソンの番組も楽しみに見ていて、その波で岡田斗司夫さんを知ったんです。
政治のことも語りますが、アニメ作品を要約して面白く伝えてくれる。
それまでタイトルは知ってたけど見たことがなかった作品を岡田さんの動画から改めて知ってみる。
ってことが何度かあって、結構ハマってました。
それから幾数年。
劇団に復帰してからだんだん時間の余裕がなくなって、ずいぶん長い間見ていなかったのです。
ただ、この人の話は面白いと思って信頼性がありました。
忙しくなったからはYouTubeで時々、大学の講義動画とかを摘んで、楽しむくらいにしておりました。
なぜなら。
岡田斗司夫の話すことは。
普通の人には真似できない芸当だから。
この人の思考を学習しても、自分が使える要素がないから。
だから、学習のために見るものではなくて、エンタメに入れちゃったんですよね。
本物に面白い人のコンテンツって、そうなっちゃいがちなんですよ。ははは。
マイケルサンデル×岡田斗司夫のヤバさ
さあ、冒頭の私に戻ります。
動画のタイトルを見た時に、絶対面白いだろと思ったんですよ。
マイケルサンデルのクソ小難しい話を、岡田斗司夫は噛み砕いて説明してくれるから、バカなおいらにも多分わかるように話してくれる!と。
期待通りでした。
馬鹿な私にもわかるように、面白いように要約してくらたのです。
そして、わたしは読むしんどさを超えた、「価値観のぐらつき」を今楽しんでいるのです。
才能主義・能力主義は人にとって幸せな環境ではないの納得感
YouTuberや、インフルエンサー、ビジネスマン。
いろんな人が肩書きを背負って、多くのフォロワーを獲得して人を導く世界。
Daigoをはじめとした、ビジネスインフルエンサーの流行が2〜3年あって。
その多くが「成功したければこれをしろ!」と言い放ちまくる世界が生まれました。
私自身、わりと素直にそのことを学習して、
「なるほど、成功者がいうならやってみよう」と色々なことをトライしてみていました。
音声配信やクラブハウスなんかがいい例で。
人は今、人がそこにいるライブ感を楽しんでいる!!
どんなサービスも先行有利だ!!
なーんて事をこぞって言うものですから、情報をキャッチしたらすぐ試すを繰り返していたんですよね。
(さんたばっぐの荒井さんにおねだりしたら招待状くれた。ありがたかった。だが、私が残せた結果は奉還町商店街の無駄に元気なラーメン屋に行ったという結果だけで大変申し訳なかった)
でもうまくいかないんですよ。
クラブハウスで、にっちもさっちも行かなくなって、初めて気づいたんですよね。
先行投資が効くのは
肩書きと面白いことをできる才能があるやつだけだって。
続ければなんとかなるのかもしれない。
でも、続けることすらできない。
なぜなら、私はクラブハウスでは誰かのフォロワーになって立ち回る攻略法しかなかったからです。
あ、無理だな
そう思いました。
知識も、誰かに語れる経験もない。
よしんばあったとしても、それを欲しがってもらえるだけの結果がない。
わたしがどこかの部屋でスピーカーに上がっても、雑音にしかなれなかったのです。
インターネットは人にとって平等な世界だと思っていました。
コンテンツは開かれ、続ければ誰にでもチャンスが巡ってくる。
でも18年間。
わたしはプチバズりすらしたことないんですよね。
あー才能ないんだなぁ。
才能なければ人の目に触れられない。
私に未来はないんだなーとプチ絶望感。
そこでようやく、自分が36歳の、ただの演劇好きのおばさんである事を自覚できたんですよね。
ある意味、36歳までいい夢見てたなーとは思うんですけども。
なんでここまでぼやきみたいなことを言うかと言うと。
能力主義って、こういうことなんですって私なりの説明です笑笑
能力や才能を持っている人は…
クラブハウスやSNSで、「こういうことすれば成功しますよ」って言ってた人達の発信は、上から下に流れる水のようなものなんだなと思ったのです。
皆が唯一対等に楽しめるエンタメが結局現れなかった。ポジション取りが熾烈に行われただけで、やがて廃れていった。
だって、誰かの自慢話を延々効く時間が、楽しいわけないんですもん。
でも、彼らは「有用な情報」を分けているという認識があるようでした。
自分が主役で、フォロワーは導く羊。
牧羊犬同士は対等に話せるけど、肩書きもなにもないやつの話を聞く価値がないと判断される社会。
それが、クラブハウスの本質でした。
一種の上流階級の社交場だと思ったんですよね。
でも、最近勃興してきた音声配信って、動画配信以上にその傾向が顕著なんですよ。
顔も見えない、可愛いとかイケメンとかもわからない人の話を聞くべきかどうか、何で判断するのでしょう。
時間富豪じゃない限り、人は「間違いないもの」を選びます。
有能な成功者に、時間を渡してしまうのです。
(その点考えると、
YouTube×ルッキズム以上に、音声配信×才能主義の世界は危ないよなぁ。ずっと,人のスピーチ聴いてる社会じゃん)
私たちはスピーチに弱いんですよ。
ナチスと、アメリカの選挙がそれを証明しているでしょう?
なぜなら、優れた人の言うことを聞くのは人間の本能だからです。
私たちは声の大きな(影響力の大きな)人に学ぼうという姿勢が備わっています。
優れた人を模倣する。
それは、特別な欲求ではなく、人間の本能なんです。
子が親に似る。
なぜなら家庭内で大人である親の行動は学習対象になる価値があるからです。
でも、それでいいのか?と思わずにはいられない。
優れた人=成功者なのでしょうか。
優れた人=強い人なのでしょうか。
虐待を受けた子供が親を学習して、虐待を繰り返す例を考えると、私たちは「声の大きい人」と、「優れた人」を見分ける機能は備わってないのではないでしょうか。
人間、残念な生き物だなぁ…笑
強烈な自己矛盾を抱えた「能力主義社会への警鐘」
面白いことにこの論理の筋を辿って考えていくと、マイケルサンデル自身も、岡田斗司夫自身も、存在を否定する理論になりうるんです。
二人とも、大きな声の人だから。才能と、優れた脳をもった非・凡人。
こんな奴らがいるから不幸せになるんだよ!!と、言っちゃってるわけです。
わあ、エキサイティング。
そして、この本も、この講義も「彼らが有能である」といつ前提がなければ無意味な代物なんですよ。
個人の与太話にふぎないんです。
価値観を変えろという人のいう事を聞く必要があるときって、「優れた人がいう理論だから、それを実行すべきである」という前提が必要じゃないですか。
価値観なんかなくたって、人は勝手に生きていける動物なのですし。我々は個々人において、さまざまな価値観で生きているのですから。
本来は彼らの言うことは、無価値だと言われている私たち個々人の妄想とか、幻想とか、取るに足らないと世の中で言われる考え方とか。
そう言うものとなんら変わりがないのです。
だから、面白い。
壮大な自己矛盾を起こしているんです。
才能を評価する世界は、人に幸せをもたらさない。
才能主義世界は、新たな差別を生む。
だからエリートは、自分たちが優れていることを自覚して、そうじゃない人を見下す自分を自覚しろ。
そして、対話でこの差別を超えるんだ。
ざーーーーっくりの内容要約するとこうなるんですけど、世の中でいうところのエリート(成功者)である二人がこのコンテンツを,作っていると思うと。
性格悪いこと承知でいいますが
めっちゃ面白いっす(笑)
この講義の最後、すごくしりすぼみなんだよな…笑
でも、そんな意地悪な事を思いながらも、救われてる気持ちはあるんです。
不思議ですね。
才能は努力じゃ無理だ。
努力しても無理なもんは無理だ。
でもそれは、あなたに優れたものがないという意味ではなくて。
運なんだ。
この理論が絶望ではなく、むしろ今の時代には救いになる不思議な世界に私たちは今生きています。
一億総発信者世界。
それをまるでユートピアに感じていたけれど。
それはただの地獄なのかも。
人類は、どこまで行っても戦いあう存在なのかもしれませんね。
うん。
まあ、それでいいんじゃないかな。
だって、私たちの祖先は、猿なんだし。
勝利や敗退が、人生を分ける分岐だとか思うから、不幸せなんですよ。
なんせこの世は勝利=評価=金銭の資本主義だから。
あー終わったわーって、思いやすい社会構造なんですよ。そもそもが。
だからといって、競争を否定する社会主義に幻想を持ってもダメですよ。
資本主義を徹底的に否定した原始共産主義はこの世の地獄を生み出してますから。
思想・主義で幸せを作ろうなんて時代は1990年代に実験があらかた終わって。
唯一生き残った資本主義は2020年代に「えっ これ全然幸せじゃなくね?!」と、言われ始めた、と。
「頭のいい人のいうこと聞いておけば幸せになる世界」は、全部失敗だったんじゃね? って証明が済んだわけです。
人間はきっと、これから賢くなれると思います。
より新しいユートピアに向かって生きていけば。
私がユートピア論をもし唱えるなら
皆、バカな社会です。
戦って、戦って、楽しかったらそれでいいじゃないですか。
負けたって、面白いと思える世の中なら人類幸せに生きていける気がします。
もう私たちは、「頭が悪い生き物」として生きていくのが1番幸せになれると思うんです。
わたしは羊飼いになるのもごめんだし、羊になるのもごめんです。
(なることがないとは言いませんよ。楽しければ羊になります)
難しいことはわかんないっす。
生きていきたいんです。
自分が、自分のままで。
なら、自分をバカみたいに愛して、自分がやった失敗も面白がって、生きていく方が幸せなんですよ。
まあ、難しいっすけどね。
なぜなら、こんな底辺な私ですら、「あいつまじで知識ねーなー」なんて、言っちゃうんですから。
やなやつなんですよおおおお?! わたしはああああ!!
ほらあ!読み返したらわかるじゃないですか。
原始共産主義だの、資本主義だの。
かしこぶってアホっぽい2次元配列みたいな論理だすしいいい!!
頭いいふりしたいんですよおおおお!!!
でも知ってる言葉使わないともやっとするしいいい!!
わたしは賢いふりが得意なバカとして、生きていこうと思います。
(賢そうなふりしたら、皆さんバカだなーって笑ってくださいね)
ここまで読んでくれたあなた!!
ありがとうございます!!
こんな与太話に付き合ってくださって。
あなたは、動画をみて、この講義に触れて、どんな気持ちになるのでしょうか。
感じることは人それぞれ違う。