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印判器の魅力と面白がり方

こんにちは、弥生です。
岡山県で近代(明治〜昭和初期)の器を面白がって集めて売る「えこわっか」をやっています。

久しぶりに営業報告です。
年末から腰を痛めており、お買取のご依頼も空気を読むようになく。
いつも通り市場で近代器を拾っては、愛でて眺めて販売する毎日です。

つまり、通常営業です。

ここ最近は、久しぶりに舞台のお手伝いや、観劇などに出掛けたりでした。
少し勇気をもらいつつ、また文章を書く気になっている今日この頃です。

さて、今回の記事は私を魅了してやまない近代の器についてお話していこうと思います。

あなたの家にも1枚くらいある、白くてつるつるの磁気のお皿。
この器が今の形になるまで、紆余曲折の歴史があったことはご存知でしょうか。

日本に磁器が渡来したのは、1600年代。
当時はまだ転写・複写の技術がないため、すべての器は手書きで作られていました。
当時の磁器というのは、大変高価な器で、偉い人のところにしかない高級なら器でした。
染料の使い方もわからなければ、どんな焼き方であれば白く美しいものになるのかわからない。
職人たちは試行錯誤の末、数々の技法を生み出して、九谷・伊万里・鍋島などの名産地が生まれました。

そこから時代を経て一定の技術が安定してきた頃。
人工コバルトの誕生によって、器は大量生産時代へと移り変わり、私が大好きな近代器へとつながります。

それぞれ今まで扱ってきた器から、近代という限られた時代の中で印判皿がどう変遷をしたのか、軽く解説をしていきたいと思います。

※お恥ずかしいですが専門家と名乗れるようなものではありません。また、時代鑑定はまだ勉強中のため、誤りもございます。その点ご容赦ください。

江戸後期〜明治期と思われる字紋の印判。
文字を意匠の一部にとりこみ、華やかな模様にしあげている。
型紙か、こんにゃく印判か判別に迷う。


花柄の紙印判。
技術的に明治期ごろかと思いつつ、
意匠がモダンに見えるので時代判別不可品。
見込みに穴があるため、地方窯の作と思われる。
(見込みに目抜き穴あるのは、ちょっとレア)

以上の2点は、型紙による転写で作られたと思われる、染付の印判茶碗です。

染付の青と白の制約の中で、いかに装飾を作るのか?と職人さんやデザイナーさんが頭を捻った足跡が残されています。

また、明治期には「うずまき」のような、曲線美への強い関心をもつデザインが存在します。

青々しい人工コバルト、目に眩しい白。
そして意匠を詰め込んだ、柄が過密なうずまき。
昭和の印判蒐集の大家・料治熊太さんの言葉を借りれば「明治という時代の荒波を越えようとする縄文由来の生命力が宿るような」特徴的な意匠。

明治ごろの器を眺めていると、中国・日本・西洋の美意識がぶつかり合っているような気持ちになります。

一度、江戸時代に洗練された和の世界観が、壊され・新たに進化しようと試行錯誤するようにも感じられます。

うずまきのグルグルが、「あーなんか、いい感じに混ざらないかなー」って、頭をこねくり回してるようにも見えます。

明治期の器は、今では絶対に見ないような柄やデザインが入っているので、出会うと大変に嬉しい器です。

波千鳥と旭模様の印判茶碗。
時代はデザインの洗練具合から明治後期から大正ごろと推測。
多分、瀬戸焼。(せともん)
こちらは銅板転写による印判小皿。
精密な絵付けができるようになったためか、
絵はより写実に近づき、
細かく可愛らしい小紋柄などの細密描写が施されている。
大正〜昭和初期ごろのもの。
緑釉の印判や図案に色がのるものも増えてくる。

さて、明治期のヨーロッパでは磁器絵付けの産業革命が起こっていました。
Wedgwood社による銅板転写による大量生産が始まっていたのです。

銅板転写とは、銅板に図案を掘り込み、紙に刷って、磁器肌に押し付けて絵付けをする技法です。
この技法は銅板に図案を掘り込んでいくため、細い線の描画が可能であるかわりに、ベタ塗りを苦手とするのが特徴です。
イギリスで磁器を大量生産する需要に応えるように登場した技法で、ここを境に器制作は工場化される流れができあがりました。

この産業革命があったからこそ、私たちは今、もともとは高価だった磁器のお皿やコップを安価に、惜しげもなく使えているという歴史があります。

さて、この銅板転写の技術は日本でも明治中期ごろに盛んになってきました。
主に日用雑器に技術が使われます。
そのため、時代が下るとともに、だんだんと絵付けが細密に・美しく洗練されていきます。

具体的にいうと、白い部分が増えて、デザインの中で引き算を始めます。
ベタを線でしか表現できないんだよね。
銅板転写って。

大正ごろの緑釉印判。
緑釉は白地とのコントラストが抑えられており、
あっさりとした清涼感を感じる。

私個人の意見ではありますが、この時期の器には、マーケットや購買層の目線が入ってきているように感じます。

面白がらせるにはどうしたらいいか、目を惹くためにはどうしたらいいか、どんな客層に手に取ってほしいのか。

庶民雑器として購買されやすいよう、遊び心や可愛さなどを意匠に積極的に取り入れていくのが銅板転写の器です。

女性っぽいデザインや、子供を意識したデザインが増えてきて、優しく・可愛らしいデザインもあります。
美術陶芸は綺麗だなと思いつつも手は伸びない。
でも、印判皿には手が伸びる。
手に取ってほしいよと語りかけてくるような愛らしさに、たまらない魅力を感じるのです。

大正期の器の中では、私は特に緑釉印判が好きです。
小紋柄・花柄・蝶など、女性的なセンスが垣間見え、ロマンチックな世界観を描いているものが多いからです。


さて、赴くままに筆を滑らせ続けてきましたが、だいたい印判皿について色々言いたいことは言い尽くしてしまったような気がします。

私が印判が好きな理由は色々あるのですが、
・当時の技術発展と美術精神の変遷が見えるところ
・購買層の変化による意匠の変化が見えるところ
・何を差し置いても可愛らしいところ

この三つが大きな理由になっています。

手元にある歴史の名残として、小さな美術世界の一端として印判皿を愛しんでいること。
伝わったでしょうか?

商業美術につながる部分が垣間見えて、なんとも面白いのです。
特に大正時代なんて、購買層に少女が加わってくるんですよ。
手に取りやすい価格で、彼女たちを魅了するために、大人たちが頭を悩ませるのです。

よきですね。
平成のギャル文化に刺さろうと、メーカーのおじさま方が本気で頭を捻っていた、あの頃を思い出します。

使える骨董、印判皿。
お値段が手頃な量産庶民器。
特別じゃないものだからこそ、感性のままに「私の特別」を探せる、素敵なお品物です。

どう使うかはお客様の自由。
お客様に器の良さや面白さが伝わって、お客様の日常の中でお料理のお供や、お茶菓子のお供を務めたら、これほどまでに嬉しいことはありません。

これからも近代器の良さ・美しさ・面白さを、伝えていけたらいいなぁ、と思っておます。


……お皿の在庫に押し潰されて、食いっぱぐれのない程度に……

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弥生
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