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誰かの痛みを受け止めるには
突然だが、私はHSPだ。
HSPとは簡単に言うと人の気持ちが分かりすぎてしまう、すごく周りに敏感、そんな性格に名付けられる。
人の気持ちがわかるなんて便利!と、思うかもしれないけれど、実は全然便利じゃない。
細かく言えば、相手の全ての気持ちがわかるのではなくて、相手から読み取れた感情を諸に受けて食らってしまうのだ。
例えば怪我の話。
よく、酷い怪我をした時の話をする人がいる。何針縫っただとか、骨が折れただとか、息ができなかっただとか。
それを全部自分が体験したかのように感じてしまう。
痛がったり、嫌がったり、怖がったりすると、ぶりっ子だといわれるから、頑張って、我慢する。
人が落ち込んでいると一緒に落ち込んでしまうし、泣いていたらそれぐらい私も辛くなる。
それだけ、じゃなくて、
長々と自分語りをしてしまうが、
急な日差しも苦手だ。人混みも電車も。
色んな人がいるところと、一気に状況が変わることがすごく苦手で、疲れてしまう。
でも、それ分、いいことがあったりもする。
人と嬉しさを分かち合えたり、一緒に泣けたり、
落ち込んでいることをいち早く気づいてあげられたり。
‘’諸に受けて食らってしまう”を“分かち合える”
に変換することができるのだ。
勿論、そうするには沢山の時間が必要だった。
人の痛みを“受け止める”には、私はあまりにも器が小さすぎたから。
でも、器が小さくて、受け止めきれないその辛さを“わかってあげる”ことができた。
わかってあげられる、幸せを知ることができた。
一つ、HSPを通して学んだことがある。
人の痛みを受け止めるには、
__それ分幸せを知らなきゃならない。
だから私は、幸せをもっと知っていきたいと思う。