![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162648083/rectangle_large_type_2_b41228400cb11f83cb72882487ce300b.png?width=1200)
人生の目的がやっと分かった!それは「自分である」ということだ。
おはようございます!
朝から謎タイトルですね。
今日は、自分の今後のキャリアや生き方について
最近、珍しくまじめに考えているのですが、
いまのところ自分なりにたどり着いた回答について記事を書いてみたいと思います。
元勤務先について考えていて、気づいたこと。
前10年近く勤めていた会社を辞めたとき、ある時を境に
「なんだか『ケミストリー』が合わない」
という状況に陥りました。
長年安定してまあまあ幸せに勤めていたのに、
新しくいろいろな人が入ってきたり、組織自体が大きく変わったりして、
・(もともと好きではなかった)上司が、余計に信用できなくなった
・チームの人たちのためには働きたくないと思ってしまう
・自分らしく仕事ができず、常にイライラする
という事態に1年かけて陥りました。
さらに
・同じ働き方をしたシニアな女性がみんな不幸そう
ということに気が付き、
霧が晴れたように
「私はこの道ではないかも」
と思うようになりました。
私は、会社で働くことは、究極的には「奴隷業」、
自分の物理的な時間を差し出して対価として金をもらうということであり、
家庭や自分の生活を犠牲にしてまで働きたいなんて、1ミリも思っていないからです。
こうして書いてみると、自分が思うというより、
環境の変化により「思わされた」感じですね。
最初は「なぜがんばってきたのに、自分がこんな目に合わないといけないんだ!」と思っていましたが、
実はそうではなく、
自分でいられなくなる=環境を変えるタイミング、変えろということ。
つまりはそういうことなのかな?と思いました。
次の進路について考えたときに。
じゃあ、次はどうしたらいいのか?について日々考えていますが、
選択肢としてはおのずと見えてくるものだと思っています。
退職してから、毎朝瞑想を15分ほどするようになり、周りへの感謝、前向きな考え方ができるようになりました。
瞑想の習慣の効果は、絶大です!
こちらの記事にも書きましたが、体調もこれ以上ないくらい万全。
そこで気づいたのは、
・自分の人生には何か目的があって、それに向かって生きている
という考えは、
実は天動説と地動説のような関係なのですが
・「自分である(be yourself)」ということが、そもそも人生の目的
ということです。
これは、「自分『らしく』」ですらもなく、
「常にいつでもどこでも『自分である』」ということです。
環境がそれを許さないなら、変えるまで。
私が気づいたことは、「自分ではない」環境に長くいると、
「ケミストリーが合わない」ように、その環境とのあいだで不協和音が生じます。
自分の考え方、仕事の仕方、やりたい方向性、
いろいろなことがネガティブにしか考えられなくなった時、
それは「自分である」ということに反している気がします。
ストレスもたまり、肩こりもひどく、
体にも不調が出て、食欲が多すぎたり少なかったり。
いやいや、社会人なら多少はストレスがあっても仕方がないよ!
という考え方もありますが、
(何十年もマラソンのように走るのに、それは困りますよね!)
多少の職場や親といった「ペルソナ」はあっても
「自分である」ことがある程度許される環境は、必ずどこかにある。
自分が、思うような自分ではないなら、環境を変えるか、そこで努力するまで。
私の場合、元勤務先ほど「自分でいられない環境」だけでは広い世の中、ないはずです。
私はその点は確信しています。
これまでも、そうして大きな組織でうまくやってこれていたからです。
なので、結論は至ってシンプル。
「自分である」ことができる場所を、どうにか見つけるまでだ。
と思っています。
直観的なものが大事だと思う。
ということで、自分であるためにはどうしたらよいのか。
おそらく、私がそういう性格だからかもしれませんが、それなりに直観的なものだと思います。
ある程度感謝の気持ちを持ったり、努力することで、多少の環境の不協和音と折り合いがつくなら、それはそれそれ。
まわりで不協和音が生じて折り合えないなら、環境を変えるべき。
そして、環境を変えるにあたっては、
直観的なものを大事にした方が良い。
直観的なものはいつでも正しいわけではないのですが、
直観的に「嫌だな」、と思ったことは
だいたい長期的にもうまくいかない。
というのは経験上の真実だと思っています。
いずれにせよ、「自分である」ということができる環境は、
直観的にしか分からないのではないか。
なので、直観が間違っている可能性はゼロではないものの、
多少のリスクはとったうえで、最善の選択肢に転職すべきなのではないか、と思います。
あと○年のサラリーマン人生に悩むな。
明確に、子どもの学費を稼ぐために働いているので、
私のサラリーマン人生は長くてもあと10年と思っています。
ということで、次の会社が最後かもしれないし、
3年働いたら転職するかもしれない。
自分である、ということを人生の目的にするのであれば
さまざまな環境の変化も前向きに考えることができますよね。
人間、誰も自分の進路に、そこまで確信なんてもっていないんです。
どんなにお金を持っていても、社長であっても、FIREしていても。
私も、転職先がいいところかなんて、確信はないです。
だったら、「最終的にはなんとかなる!」と思いながら、
星空を見上げつつ、泥沼を少しずつ進むように歩いていくしかないですね。
あと10年の話ですし、悩みすぎても仕方がない。
意外に、人生の目的はすでに近くにある!
それは、究極的には「自分である」ということ。
そのための環境を見つけること。
ということが言いたい記事でした。
経験的に、私の場合は4つも5つも選択肢が存在するのではなく、そこに木がスッと一本立っているように、1つだけ分かりやすく選択肢が現れる気がしています。だから悩まなくてOK!
何があっても決して自分を見失わずに、
日々一歩ずつ前に進んでいきましょう~!
いいなと思ったら応援しよう!
![ワーママりも](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168956392/profile_a3de604ec152ff45084b575d3d4224d6.png?width=600&crop=1:1,smart)