神社に行ったらとても「恥ずかしくなった」話。
おはようございます。
昨日は赤坂にある日枝神社にお参りしてきました。
理由は、ちょっと早いのですが、
「1年分の感謝」です。
意識がなかった家族が、突然目覚めたことがきっかけ。
私自身は地方出身ですので、
日枝神社とはゆかりもなかったのですが、
ある時、半年近く原因不明の理由で意識不明だった父が、
日枝神社で「厄除け祈祷」したら、なんと3日後くらいに目を覚ましました。
偶然かもしれないですが、
それ以降、お礼もかねて頻繁に通っています。
先日も、とあることで自分が腹部の手術となり、無事に終わって、いいタイミングで専門家に頼ることができました。
節目で訪れるようにしている場所です。
(七五三の子どもたちが開運碁盤の上にのって、写真を撮るのが有名ですね)
そろそろ転職活動も落ち着いてきたので、節目に行ってみました。
七五三の子たちもちらほら。可愛いです!
神社に足を踏み入れた瞬間。
日枝神社は
エスカレーター完備の『超セレブ神社』というイメージでいつも感心してしまうのですが、
紛れもない、いわゆるパワースポットです。
日本の土地エネルギーみたいなものを全身で感じる場所です。
大晦日や初詣で人が込み合う前に、訪れておきたかったのですが、
足を踏み入れた瞬間、なぜか、ぞわわーっとしました。
お参りも、目の前に立った瞬間、なぜか見透かされているような、とても恥ずかしい気持ちになりました。
こんなのは初めてなので、なんでだろう?と不思議で
ささーっと、神社を出ました。
いつも、人生や気分がリセットしたような、すがすがしい気分になり、
その静謐さというような空気感はいつもと変わらないのですが、
普段とはちょっと違った感覚でした。
自分なりの解釈
神社と言うのは、「神様に会いに行くところ」ですが、
寺のような像の崇拝では(基本)ないので、
私個人の解釈としては、
鏡を覗き込むように、「自分自身に会いに行く」ということだと思っています。
なので、「○○してください、叶えてください」など他力願望を伝えるのは控えて、
「○○をありがとうございました!」と、
常にポジティブにお礼を言うようにしています。
※年始だけは、「○○を今年はがんばります!」と宣言しに行って、
「導いていただけると思いますがよろしくお願いします!」という感じで。
ここのところ、退職してからも瞑想をずっとしているので、
感性が上がってきて?なのか、
神社に行かなくても、常に神様について感じており
神社という場で受ける気持ちが違う感じになった、ということと、
「これからは転職で大変なことになりそうだ」という自分自身の不安があるということ。
大変ことがあるかもしれない、勝負だぞ!
というような、励ましの意味なのだ、と解釈しました。
転機の年ということかもしれないですね。
仕事を辞めてからは、
よく眠れるようになってきたし、
天気も良い中、よく歩いて運動もしているし、
好きなアート鑑賞も勉強もしている。
見たい映画やドラマも見ているし、
おいしいランチも食べに行っているし、
欲しいものは手に入れる努力をして、手に入れるようにしています。
まわりを健康に、笑顔にするように働きかけて、
出来る限りの意味を感じられるような、寄付もしている。
自分に、神様に、
こっから頑張れよ!
と言われれているような気がします。
気持ちはすべて見透かされていますね。
来年は仕事も頑張りつつ、
Noteも12か月目に入りましたが、少しペースを落としながら続けていきたいと思います。
混む前の神社参り、おすすめです!