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赤も、黄色も、緑でも。

職場である動物園では、シーズンになるときれいな紅葉こうようが見られる。

今ではすっかりハゲ落ちてしまったが、10月中旬ごろの木々といったら、それはそれは美しい。女優でたとえると、北川景子と松本若菜と菜々緒が同じ場所に並んでいるようなものだ。女優でたとえるな。

鮮やかな深紅の葉があれば、可憐な黄色の葉もあり、まだまだ緑の若々しさを保ったものもある。三色が並んでいる姿はグラデーションになっており、左端から右端へゆっくりと目を移せば、色彩が少しずつ変化していく。見事としかいいようがない。どれが良いとか悪いとか、どれが一番とか二番とか、そんなことを考えさせない素晴らしい光景だった。


はたと気づく。
これって、人間の個性と同じなのでは?


個性というものには、正解がない。ある視点では良くても、別の視点では良しとしないなんてのは、ままあることだ。なのに我々人間は、人のモノを羨み、妬み、嫉みたがる。「隣の芝生は青く見える」なんて言葉があるくらいだ。

そんなしがらみに疲れたら、植物を見るといいのかもしれない。
赤く染まるもの、黄色に染まるもの、まだまだ緑のもの、二つの色を合わせ持ったもの。この中に、美しい景色を邪魔する色など一つもない。

人間だってそうだろう。邪魔な人間なんて一人もいない。ただの一人も、いない。


文章だってそうだ。
いろいろな文章があるけれど、一つとして同じものはない。文字どおり「色」が違うだけで、そこに優劣など存在しないはずだ。

もちろん評価軸としての優劣はある。コンテストなどがその例で、これは明確に順位をつける必要があるから、どうしても差をつけなければならない。

でも、文章そのものは、書き手にとってのオンリーワンでナンバーワン。かけがえのない我が子だ。

紅葉は、自分の人生(木生)をまっとうしているから美しい。文章も同じで、自分自身を全力で表現しているものこそが、真に人の琴線に触れるのではないだろうか。

それでいうと、note読みはまさにもみじ狩りだ。一人ひとりの渾身の作品をじっくり味わう。なんて贅沢な企画なんだろう。

今日もたくさんの作品、たくさんのクリエイターに、最大級の賛辞と感謝を。




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アルロン
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