キム姉(敬称略、お許しを)
楽しいというか優れた方と知り合えました。なかなか博学にして文章の名手。読ませますよね。
しかも話題が切実。プロフに「韓日のハーフ」とあったので、日本国籍を持ってない方かと推測、案の定、選挙についてのノートでそのステイタスがよく分かりました。
20年ほどまえから腰を据えて在日の文学や歴史や言葉を学び始めた当方にはおざなりな読みはできないのでした。
そこで批判めいたこと(非難ではありません)を少し書かせて頂きます。
近代の曙についてのノートの中で一度だけ「明治」という語が用いられているのを読んで、違和感を持ちました。元号は天皇制文化の強固な装置の一つ、天皇制は民族主義、家父長制、男性中心主義のかなめ。元号を用いずとも書けるのではないかと思った次第。日本社会に生きていると知らず知らずのうちに日本文化天皇制文化に絡め取られ、その文化を内面化してしまいます。私たちは常にあらぬ差別感や天皇制文化の内面化を、怠らず注意し批判していかねばならないのでしょう。これは自戒を込めての言葉です。
さて本論です。近代の開国時の歴史を論じた箇所にこんな一節がありました。
『正しい路線とは、
開国して西洋の技術を吸収し
日本自身が近代海軍を備えて
西洋列強と対等の力を持つことです。」
この部分で気になったのは「正しい」という表現。日本が開国し、西洋の技術や海軍力わ備え、西洋列強の仲間入りしたこと、それが「正しい」ことだったのでしょうか。
1868年に統一国家を実現した帝国日本は、10年も経ずして朝鮮半島で江華島事件を1874年に、翌年には台湾出兵をしています。西洋列強同様の植民地化に乗り出したのでした。こんな政権の樹立が「正しい」とは到底思えないのですけど。
歴史にもしはありませんが、もし尊王攘夷派、キム姉が「愚かな」と断罪した人たちが優っていたら、アメリカにコテンパにやられ、日本はハワイに続いてアメリカの植民地になっていたかも。さすれば甲午農民戦争も日清戦争もなく、引いては慰安婦さえもなかったかも知れない。
いやこんな「もし」は冗談としておきましょう。
尊王攘夷が「誤った」「愚かな」人たちの主張で開国近代派が「正しい」「賢い」選択であったかどうか、マニ教的な善悪二元論で語るのは、あまりにも単純化しすぎではないかと。
キム姉の史観は、近代の曙をロマン化して描いた司馬遼太郎のそれに通じるものがありませんでしょうか。司馬は近代日本の歴史を、30年代以降の悪しき軍国主義の時代、戦争に明け暮れた悲惨な時代として、逆に維新期を明るい未来への希望に満ちた時代として描いたのでした。この史観は、敗戦後の暗い時代にあって多くの「日本人」を鼓舞したのか、拍手をもって迎えられたようです。
自称哲学者の内田樹はこの司馬遼太郎を「国民作家」として称揚していますけれども、それは犯罪的でさえある行為です。「こんな日本でよかった」と、現代日本の諸悪の根源の一つである官僚制を手放し褒め称えるこの自称哲学者はとっくに思考停止している市井のの俗物に過ぎません。
さて、1930年代以降の戦争に明け暮れた状況は既に維新期の政権によって準備されたものではなかったでしょうか。維新期と30年代以降のヒロヒトの時代とを切断することで初めて司馬は維新期をロマン化することができたのでしたが、それは維新期の帝国日本の植民地主義、帝国主義への道を暗黙のうちに、無意識のうちに肯定することではなかったでしょうか。
英仏に続いて、国民国家(ネーション・ステート)としてのイタリア統一1870年、ドイツ統一1872年と言われています。19世紀末から20世紀にかけてはこの国民国家、1民族、1言語、1国家という「幻想としての」国民国家建設運動の時代でした。
国家語としての言語や同胞としての民族や国境を持つ国家が新しく創られたのがこの時代です。アンダーソンの『想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』は国家や民族や言語がいかに創造されたものか、言い方を変えるといかにフィクションであるかを訴える好著でした。
1868年の帝国日本の誕生、それは国家建設ばかりでなく、日本語の創造、民族の創造、ネーション・ステートの創造をも意味しました。
この国民国家の兵士は勇敢でした。フランスの兵士は「自分たち」の国のため、人々のため、家族のために闘い、方や国民国家成立以前の諸侯の軍隊は主に傭兵たち、そりゃ自らの命大事で危うくなれば逃げ去ります。
帝国日本の兵士たちもその例に漏れませんし、不幸な時代が始まったのでした。「お国のために戦う」悲惨この上ない時代の始まりは、いち早く国民国家を成立させた「国民」ばかりでなく、未だ国民国家なき人たちも「民族自決」という大義名分を掲げて戦いました。それが20世紀という戦争の世紀ではなかったでしょうか。
日本語や民族がフィクションであることは説明しなければならないでしょうけれども、今日は疲れたので終わりにします。
(余談めきますが廣松渉の『「近代の超克」論』は、近代初頭の西田幾多郎の哲学[善の研究」がいかに後の世の大東亜共栄圏を理論化した高山岩男の『世界史の哲学』を準備したかを詳細に論じ、司馬の如き30年代の分断を否定し、近代の初頭からヒロヒトの戦争までを一続きとして捉えている)