9年。
気付いたらもう3月。一年の1/4が終わっちゃった。毎日があっという間に過ぎていくこの頃です。
近頃のニュースは全部コロナ。"パンデミック"って昔映画で聞いたことがあったけど、まさか現実でもこんなことになるなんて。誰もこんな2020想像してなかっただろうなあ。卒業式もない、きっと入社式もない。
でも昨日おばあちゃんが言ってた通り、流行りはいつか終わる。今がきっと踏ん張り時だろうね。
そして、本題。
今日は2020.3.11。
あれから9年、来年は節目の10年。
この前まこと話してた時、いまの小学生は震災を知らないって言ってて、なんか無性に、悲しくなった。9年たった今でも、そしてこれから先何十年後も、2011年のあの日の記憶は、きっと将来ボケても忘れられない記憶。
あのときもしかしたら自分は死んでた。
ママもすぐ会社に戻ってなかったらきっと危なかった。
おばあちゃんは津波で流されたけど、大きな声で助けを呼ばなかったら、若い2人の男性がそばに居なかったら、他に優先すべき人がもし近くにいたら、
きっとあの日死んでた。
間もない時はずっとそれを考えてて、今日が最後になっても後悔しないように、一緒にいれる時間を大事にしようって思ってたのに、いまはどうだろう。
記憶があるうちは何でもそうだよね。お風呂も入れなかった、ご飯もなかったし水もガソリンもない、スーパーに並ばないとなにも買えない、1人10点までとか制約付き。そんな毎日だったから、当たり前にできることを幸せに感じていたけど、
今は大事にできてるのかな。
感覚も、周りの人も。
今月の末には初めて家を出る。ずっといるわけじゃないけど、少なくとも2年間はママともおばあちゃんとも離れ離れになる。
もう一回考え直したい。
大事にしたい。今も、離れた後も。
だって生かされてるんだもんね。奇跡だから。
3.11。
この日はみんなどんな思いで手を合わせるんだろう。それはきっと人によって全然違う。
大事な人を想って心を通わせる人、私の世代で言うと、原爆の日8.6のように、知らない過去大変な思いをされた沢山の方に向けて手を合わせる人。
きっともっと大人になった時、3.11は後世の人たちにとってそういう日になるんだろうね。
だとしても、あの経験を次に伝えて、忘れ去られた記憶にはしたくない。
365日のうち、唯一決して忘れたくない日。
そんな今年は大阪で14時46分を迎えた。
バスの中で黙祷。生きていることの感謝と家族の幸せを願った。
来年は10年目。どこで祈っているんだろう。
自分なりに、少しずつ、できることで恩返ししていきたい。