Bloodborneの思い出
今日はフロムソフトウェアのBloodborneというゲームについて語る。それへの不満について語る。
Bloodborneのグラフィックは実に美麗であった。敵はおどろおどろしく迫力があり、主人公の武器をふるうモーションはかっこよく、見た目や操作感については非常に満足のいく出来だった。ゲームを始めたばかりの頃はただ自分のキャラを動かしているだけで興奮したものだ。
しかし実際のところはそのゲーム性はとても大味だった。特にそれはボス戦ではっきりと表れた。プレーヤーの行動がただ二つしかなかったのである。すなわち殴るボタンを押すかステップをするか、だ。ソウルシリーズはそうではなかった。防御面はもっと複雑だった。自分のスタミナの残量を考慮しつつ、敵の攻撃の強力さや難度を見極めて、盾で防ぐかローリングするかを選択しなければならなかった。だから殴る時も相手の隙の大きさだけでなく、スタミナ残量を考える必要があった。
でもBloodborneはなんにも考える必要がない。スタミナを使い切っても割とすぐ回復するのだ。だからかなり連続でステップできた。そのためボス戦はただ攻撃していいタイミングと回避のタイミングを見極めるだけのゲームになった。覚えるだけ、反射神経が試されるだけである。ゲームを進めても同じことのくりかえしなので、正直僕はクリアーする頃には大きな失望を味わっていた。任天堂のマリオと何も変わらないゲームじゃん、と思った。ジャンプするタイミングを見極めるだけのゲーム。それと同じだ。
Bloodborneが初めに出て、それからソウルシリーズが始まった、という順番なら分かる。しかし逆はおかしい。ゲーム性が後退しているではないか。
このような硬直が起こされた原因は、ひとえに銃というシステムが死んでいるせいである。博衣こよりのBloodborne実況を見ていると水銀弾がぜんぜん減らないのだ。銃が役に立たないので使わないのである。彼女は殴るかステップするかしかしない。それで正しいのだ。
たぶん本来は銃を防御に使えるようにして、ステップの性能に制限を加えるべきだったのだろう。たとえば攻撃の硬直をキャンセルして銃を撃つことができ、当たれば敵のほとんどの攻撃を妨害できる、とか。
しかしこのような議論は無益だろう。僕はべつにフロムソフトウェアの中の人ではないのだから。僕が彼らに願うことはただひとつ。もっと根幹の面白さを造るのに時間をかけてほしいということだ。ただそれだけだ。
以上。