ゲーム実況の思い出③「人が人を撃つゲーム」を私がやらない理由

「人が人を撃つゲーム」を私がやらない理由

前提

前提①。少し重い話なので、語尾を全て「ごわす」にして少しでも和ますことにしました。

前提②。この記事は、「人が人を撃つゲーム」自体や、それをプレイする人を批判するものではないです。そして、私はそういったゲームやそれを楽しむ人に対して、悪い感情を抱いたことはありません。単に、私がプレイしないというだけです。

前提③。暗い話なので苦手な人は読まない方が良いです。

私は「人が人を撃つゲーム」をプレイしない

私は過去の配信で度々、「人が人を撃つゲームはプレイしない主義です」と宣言してきたでごわす。で、そのときも、別にそういうゲームやプレイヤーのことは全く批判しません、ということも述べてきたでごわす。

具体的に言えば、例えば、よく流行っているFPSのゲーム、バトルロイヤルのゲーム、あとは、撃つだけでなく、GTAとか殺人があるゲームのことでごわす。

ゲーム実況配信をやめてから1年以上が経過したし、せっかくnoteという長文を書く場所があるなら、まぁ理由でも書いておこうと思ったでごわす。

そういうゲームをプレイしなくなったきっかけは、二段階だったでごわす。

きっかけ①:中学生の頃

一つ目のきっかけは、中学生の時でごわす。

中学の時、仲の良かった友人がいたでごわす。

当時の私は、同級生とは違う音楽を聴き始めており、同級生の中で音楽の話が合わなくなっていたでごわす。その中で唯一、明らかにマニアックな音楽を聴いているソイツとだけ、音楽の話ができていたでごわす。

お互いCDの貸し借りをしたりして、自分が聴いている音楽の良さを共感してくれる人が身近にいることはとても嬉しく、ソイツと話すのがとても楽しかったでごわす。ソイツは中学生だったが、カセットテープでしかリリースされていないヒップホップのDJ MIX音源なんかを聴くというツワモノだったでごわす。(カセットテープでしかリリースされていないというのは、古いのではなく、かなりマニアックな音源だったでごわす)

ソイツは映画も好きで、「映画同好会」というクラブを立ち上げて、中学の(ほとんど使われていなかった)視聴覚室で放課後に一人で映画を観ていたでごわす。そういう「文化レベル」が高いヤツで、私はなんとなく、ソイツは面白く、ずっと話が合う友達になっていくのだと思っていたでごわす。

ある日、ソイツは交通事故で死んだでごわす。

その日、先生たちがやたらとバタバタしているというのは感じていたでごわす。授業終わりのホームルームで、担任と全然違う先生が来て、ソイツが交通事故で死んだことを告げたでごわす。クラスの皆は言葉を失ったでごわす。

目撃した人によると、徒歩で駅に向かっていたソイツは、青信号で横断歩道を渡り始めたところ、信号無視した大型トラックが横断歩道に突っ込んで轢かれたという話だったでごわす。
明らかにトラック運転手の不注意だったでごわす。運転手は業務上過失致死で逮捕されたでごわす。ソイツに悪いところは一つもなかったでごわす。

これまで祖父が亡くなったり、友人の親が亡くなったりとか、そういう事はあったけれども、こうした、近しい人の理不尽な死を経験したのは初めてだったでごわす。中学生の私、そして同級生たちは一様にショックを受けたでごわす。

ソイツの葬儀の時、同級生の皆で泣き崩れたでごわす。

その時、ある同級生の一人が「俺、もう殺人ゲームとかやらないわ」と言っていたのがとても印象に残ったでごわす。それを聞いた時の私は、「そうか…俺もそうしようかな…」と思ったのを覚えているでごわす。

でも実際は、高校生になった時とかに、私はGTAとかそういう人が人を撃つゲームはプレイしていたでごわす。

きっかけ②:大学生の頃

二つ目のきっかけは、大学生の時だったでごわす。

ある日、バイトをしていて、最後の時間までシフトに入っていたでごわす。バイトが終わった22時ごろに自分の携帯を見ると、ある友人からの着信の数が結構なことになっていたでごわす。

なんだろう、と思い折り返しの電話をしたでごわす。

その友人は泣いており、
「ニュース見た?」と言ったでごわす。
「いや、いまバイト終わりだから全然見てないけど…」と答えると、
「XX先輩が殺された…」と言うでごわす。

月並みな表現だが、その人はとても明るい優しい先輩で、大学生の中でもかなり友人が多い人だったでごわす。私は特別親しいわけではなかったけど、同じ授業を受けたり、話す機会もたくさんある人だったでごわす。

犯人はすぐに逮捕され、動機は「自分が社会的にうまくいかないから、社会に復讐したかった」というもので、刺す相手は「誰でもよかった」と言ったでごわす。完全に通り魔殺人で、先輩が殺される理由は一つも無かったでごわす。

葬儀には、大学生とは思えないほどの、ものすごい人数が参加していたでごわす。親族、友人たち、先輩後輩、先生たちにさえ慕われ、皆が涙を流していたでごわす。こんな人が、そんな理不尽な理由で死んでしまったのかと、強いショックを受けたでごわす。

そして、やらなくなった

その大学の先輩の葬儀の時に、忘れていた中学生の時の記憶が蘇り、同級生が言っていた「俺、もう殺人ゲームとかやらないわ」と言葉を思い出したでごわす。

その日以来、私は、人が人を撃つゲームや、殺人ゲームをプレイすると、どうしても、中学の友人の事故と、大学の先輩の事件を思い出すようになったでごわす。

ゲームで起こっていることは偽物だし、たかがゲームの中だとわかっているでごわす。でも、どうしても、ゲームの中でさえ、人が死ぬシーンがあると、脳裏に焼き付いたショックな出来事を思い出して、ゲームを全然楽しめなくなったでごわす。

そうして私は、人が人を撃つゲームや、殺人ゲームをやらなくなったのでごわす。

今後はどうするか、わからない

これまでゲーム実況配信では、「そういうゲームはやらないという主義です」と言ってきたでごわす。その理由は実況プレイをしているときは言わなかったでごわす。楽しく配信を見ている人に対して、意味もなく暗い話題を振りたくなかったし、本当に個人的に、私がそういうゲームを楽しくプレイできないからだったでごわす。

大学生から少し経ったくらいの頃は、そういうゲームを見るのも嫌だったが、それからだいぶ時間も経ったでごわす。
人間は記憶を忘却する生き物でごわす。時間が経てば、強い記憶や感情も薄れていくのでごわす。なので今はプレイ動画を見たりするくらいは全然問題なく楽しめたりするようにはなったのでごわす。

でも、自分でプレイすることは今でも無いでごわす。何か無意識が働いて、購入するのを避けているような感じでごわす。ゲームをするのであれば、他にも面白いジャンルのゲームはたくさんあるから、そちらを優先して購入するでごわす。

プレイしたいかどうか、と言われると、実は、プレイして楽しめるようにはなりたいかもしれないと思うのでごわす。というのもこの記事を書いたきっかけは、先日、極秘で開発されていた『GTA 6』の開発中映像が流出したことだったでごわす。

私も昔GTAにハマっていたことがあるし、面白さは十分に知っているのでごわす。そしてGTA 5が世界で2番目に売れたゲームソフトであることも知っているでごわす。GTA 6は正直、プレイしてみたいと思ったでごわす。

自分でも、こうしたゲームをプレイできない(楽しめない)というのは、結構な悔しさがあるでごわす。本当は純粋にゲームを楽しみたいのでごわす。

もしかしたらもっと時間が経てば、もっと記憶や感情を忘れ、自分でもまたそういうゲームをプレイして、純粋にゲームとして楽しめるかもしれないのでごわす。本当はそうありたいんでごわす。

暗い話でごめんなさいでごわす。

(おわりでごわす)

最近聴いてる音楽

Snail's House《Restart!》(2022)

10/23にリリースされたSnail's Houseの新曲でごわす。曲調は最近、少しマンネリ化しているかなと思うけど、相変わらずのとてつもない音使いに脱帽でごわす。

今日はこんなところで…。今週は忙しすぎて全然音楽も聴けていないのが悔しいでごわす。

(おわりでごわす)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?