虚構 その6
表に「未決」と書かれ色褪せた黒い紙製のレタートナーには、市の広報誌や当館での"撮影使用許可書"などとともに若草色の表紙の稟議書が山積みになっている。
"ヤング・コーナー滞在児童の今後の対応ならびに管理方法について"
そう表題が印字され中岡主査までの印鑑が押印されたその稟議書を手に取り表紙をめくった。
ー記ー
起案日:令和5年8月28日
起案者: 五十嵐 佳奈子
概略:当館ヤング・コーナーにおける利用者間の公平性を期すため、次項以下に記す各利用者層のカウンター滞在時間統計ならびに先月実施の館員、利用者双方のアンケート等をもとに全館員の利用者への対応についての現状課題と今後の管理、対応方法についての草案をここに記す。
※この稟議書の決裁後、次月開催予定の全館会議においてこの内容についてあらためて検討を重ね…
…一体、僕が今まで読んだ物語の中に編まれていた文字と入職後に目を通した稟議書に並ぶ文字の総数を比べて、どちらが多いのだろうか?
起案日は?もう2週間も前か。何回か差戻しあったんだろうな。…
館員アンケート
館員A:「公平性の観点からも貸出カウンターに長期滞在する児童の監督管理を徹底し、他の利用者との…」
館員B:「ヤング・コーナーにおける貸出業務の対応方法についての困難さは、かねてから館員間においても…」
館員C…
利用者アンケート
50代男性:「市税によって運営される図書館ではあってはならない…」
10代性別不明:「貸出カウンターに長い時間一部の子たちがいるので、ちょっと…」
10代男性:「なんで一部の子だけがカウンターに居座っているのを許してもらえ…」
40代女性:「小学生の娘の親です。ヤング・コーナーで他の一部の利用者の子が…」
文章のごく一部は二重線や訂正印とともに書き直され、まるで僕の家近くにある幼稚園から聞こえてくる園児たちがめいめいにあげる叫び声にも似た、その強い主張の含まれるアンケートの数々に耳を傾けつつ読み進める。
ヤング・コーナー貸出カウンター滞在時間統計
昨年度から先月まで月毎に集計された学年や年齢層ごとの各利用者の滞在時間を示すグラフが幾つか並んでいる。
人格の形成されつつある、その園児めいめいの叫び声とここに居並ぶ大人や青少年の主張の数々に一体どんな違いがあるのだろうか?
大人になると、つい子どもは無垢で理想郷に生きていると思い込みがちだが、自らを顧みれば子ども特有のある純粋さが、むしろ時に残酷な様相を既に顕していたはずだ。
"大人"と呼ばれ久しい我々自らがおかれた"社会で生きる困難さ"と、例え子どもであろうと"そこにある社会"での生きづらさは、ものは違えど殆ど同じじゃないか?…子どもの社会に対して大人が幻想を抱き、大人が思い描くその理想像を、ある種暴力的に押し付けることは罪ではないか?という問いが頭をもたげる。
僕は、全ページ目を通し終えると、どっと沸いた疲労感とともにもどかしさを抱えつつ、ふたたび若草色をした稟議書の表紙をデスクに広げる。
入職時に支給された"福山"と彫られた印鑑を押印し、濃い朱色を纏った既決トナーへ静かに置いた。
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わたしはヤング・コーナーからカートに載った返却図書を配架して一般の貸出カウンターに戻った。
「あの、すみません。OPACの横断検索を使っても、中々見つけられなくて…レファレンスお願いしたいのですが…」
顔を上げると、どこか繊細でいて精悍な姿の中年の男がカウンター越しに私の目の前に立っていた。
「かしこまりました。どのようなものをお探しですか?」
「たしか"私たちはまだ互いを知らぬまま"みたいなタイトルの薄い本で、ハンス・何トカと言う著者だっと思います。」
「かしこまりました。一度お調べしてみますね。」
「たまたま見かけてタイトルを携帯にメモしたはずなんですが、消してしまってたようで…」
「いえいえ、そうでしたか。大丈夫ですよ!」
…ハンスってたぶんドイツ系だけれど、たしかペーター・ハントケの戯曲なら似たようなタイトルのものがあった気もするんだけど、うちにあるかしら。
そういえば、わたしも読んだ事ないなぁ〜
確かこの著者って、刑事コロンボとかも本人役で出てくる"あの映画"の原作者よね?…
わたしは色々と思案しながら検索画面の著者欄に入力すると、別の一冊とともに
「私たちがたがいをなにも知らなかった時」
中央:在架(書庫)1冊
が一件ヒットした。
…あった!…良かった!!たぶん、これの事だわ…
在架状況をプリンタからレシートに印字してカウンター越しにその人にお見せした。
「お待たせしました!こちらではないでしょうか?」
「あー、そうそう!これだ、これ!ありがとう。」
「良かったです!こちらの本は中央図書館にあるんですけれど、お取寄せなさいますか?」
「そうして貰おかな!」
その人は先ほどまで少し疲れたようだった瞳を少年のように輝かせ嬉しそうに細めた。
「イマムラ コウヘイ」
と書かれた利用者カードを、絆創膏は貼られているけれど丈夫そうな親指と人差し指で財布から抜き取って手渡してくれた。
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僕は、生涯学習課から受け取った月末の共同企画資料の整理をあらかた終えて館内の巡回に出た。
「館内をご利用の皆さま。当館はまもなく閉館いたします。貸出をご希望の方で手続きのお済みでない場合は一階の貸出カウンターまで…」
閉館アナウンスとともに、柔らかなビブラフォンとピアノの美しい音色で、ドビュッシーの「月の光」が流れ始めた。
しばらく巡回していると、長瀬さんが書架の間にしゃがんで幾つか本を戻していた。
「長瀬さん、おつかれさま。」
「あ、福山さん!おつかれさまです。」
彼女はそっと立ち上がると僕に小さく会釈しながら挨拶をした。
「長瀬さん…この後、予定なければお茶でもどう?」
まったく思いがけない言葉が口をついて出た。
…しまった。…
何故だろう?さっきまで読んでいたあの稟議書がそうさせたのだろうか。
彼女は一瞬思案げな様子だったが、
「え〜、お誘いありがとうございます。
ぜひ。」
真ん中で分けた髪のあいだ、なだらかな稜線のような眉下に並ぶ幅細い二重の美しい瞳をこちらに向けて返事してくれた。
…あぁ、良かった。良かった?
たしかにお昼頃の彼女のあまりに気落ちしている姿が気になっていたこともあるが、いや上司と部下いう関係性の中で、こんな気軽に誘って良いのだろうか? これは僕の中に芽生えてる好意なのか?…
「じゃあ、退勤したら駅前ロータリーにある天使のブロンズ像の前で待ち合わせしようか。」
やはり、なぜか躊躇なく続きの言葉が口をついた。
「はい!」
そう言葉を交わすと、僕は巡回の続きのため階段を昇り彼女は書架の奥へと再びお互いの業務に戻った。
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友ヶ丘駅前のロータリーのはずれにポツンと立っている天使像の前で、わたしは福山さんが来るのを待っていた。
15分程して青色の鞄を持った福山さんが、わたしを見つけるとすこし駆け足でやって来た。
「やー、長瀬さん。ごめんね。お待たせして。撮影使用の許可書に不備があってね、その連絡していたら遅くなっちゃった。」
「全然、大丈夫ですよ〜、おつかれさまです。」
「商店街の奥にある"コロンビア"っていう良い感じのお店があるんだけど、そこで良いかな?長瀬さん行ったことある?」
「はじめて聞きました。そのお店!」
「じゃあ、そこ行こうか。」
福山さんは、大地を蹴るような歩調でゆっくり歩き出した。わたしも、横に並んで。
数年前に駅が高架化された際に綺麗に整備された舗道をゆっくりと歩いて行く。個人が商う金物屋さんや果物屋さんは店じまいをはじめていて間々にコンビニや牛丼屋さんの並ぶその通りをしばらく歩くと、行き交う人は疎になってきた。
「わたし、いつも帰りはすぐ電車に乗るんでここまで歩いたことなかったです。」
「そうなんだ。もうすぐ着くよ」
別の大通りとその商店街が交差する角に、茶色いビニールの軒先テントに「珈論琲亞」と白抜きで書かれた喫茶店の前に着いた。
福山さんが、木製の桟で6つに区切られたガラス扉を押すと
カラン、カラン
扉上の内側にぶら下がっているドアベルの音が、席ごとに淡い白熱球のような照明がぽつりと灯る薄暗い店内に小さく響いた。
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……音声の岡田くんとライティングの塚本くんが帰った後で…
千:「リクオさん!提出した撮影使用許可書、不備があったって"福山副館長"言ってるじゃん!ダメじゃないですか!ただでさえ、忙しそうなのに手を煩わせちゃ。」
リ:「いやー、ほんとに注意散漫やからなぁ…提出前に2回確認して気ぃつけててんけど、撮影期間が許可降りないくらい長くとってもうてたみたい…」
千:「しっかりして下さいよ!」
リ:「ねぇ、ところで桜井さん。"よし君というか福山芳幸くん"、結構いい男やねんな笑?」
千:「もーぅ、誤魔化そうとして!イジらないでよ〜笑 けど懐かしいわ。さすがにすこし老けているけれど、久々みてもあの一重の瞼…高校生の面影は残ってるわ。」
リ:「というか、リクオさんこそ、面食いなんですね笑」
リ:「いや、登場人物の容貌なんか、読者のみなさんがそれぞれ思い思いに重ねてくれりゃいいねん。」
千:「まーた、カッコつけようとしてぇー‼︎
閉館のBGMも"月の光"って…ベタなロマンチストなんですねぇー」
リ:「ええやんか、別に!漱石かて"月が綺麗ですね"って言うてるくらいなんやから笑」
リ:「ってか"柔らかなビブラフォンとピアノの美しい音色"ってわざわざ演出付け加えたんは、桜井さんの方やんか!」
千:「ふふ笑 この物語って、わたしとリクオさんどっちが作り上げてるのかしらね?」
リ:「僕は、"千智さん"が創るはじめての"映像作品"や思てるよ!」
千:「ほんと、つくづく調子が良いんだから笑
でも、ありがとうございます。」
リ:「こちらこそ。物語を進めてくれて、ありがとうございます。」
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つづくぅ?
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