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’21/7/19 話したくない部下と違う「分人」で会話する。

今日は経営者になる前にマネージャーとして立ちはだかる「部下との接し方」に関する話。

最近私自身も、不感症な部下を前に、腹を立てたり、諦めたり、上申すべきではないかと思っては立ち止まり、と悩んで頭を抱えています。

一方で、部下の視点に立つと不感症になりつつも強いストレスを感じている状態であるはずです。一方的や一側面的な対応が危険であるということを感じつつも、部下のメンタル状態がとても心配でした(土日に「来週は来れなくなってしまわないか?」と脳裏によぎってしまうような状態です)。

部下もなかなかタフな子で、今日も無事出社しました。

とはいえ相変わらずの不感症対応でこちらのストレスを煽ってくるような状態で、雑談すらしたくないと思わせてくれます。

それでも、どうにかこのイライラを無くして会話できないかと考え思いついたのが、「自分の役職を忘れて同じ会社の同僚という立ち位置で話すこと」でした。

これは意外と効果的で、自身の立場で求めるものだけを伝えず、同僚的立場で今考えていることをヒアリングしたり、改善点を伝えることができました。

これはある意味で分人的*な考え方で捉えられるかもしれません。

分人という考え方は、首尾一貫した人間が存在するという考えの「個人」という捉え方とは異なり、一人の人間の中にさまざまなキャラがいて、その各々が「分人」であるというものです。要は、上司と話す自分、友達と話す自分、犬と話す自分、SNSをやっている時の自分は、どれも異なるキャラですが、そのどれもがその人の「分人」であり、集合体が人間そのものであるということです(AIを捉える際にも分人論が議論されたりします)。

この考え方にのっとると、厳しい対応をしてしまう私は「部下の仕事をマネジメントする自分」という分人で接してしまってしまいます。一方で、「同じ部署の同僚」という分人で接してみると、フランクに接しながらも一定の客観性を持って接することができます。

一側面的な分人で部下と接するだけではなく、別の分人(他の人との接し方を流用するイメージ)でアプローチしてみると、普段はイライラして話づらい部下でもとても話しやすくなるかもしれません。

統計上N=1なので、どれだけの再現性があるかは分かりませんが、本日の学びとして書き留めておきます。


ちなみに、分人論について詳細を知りたい方は、平野啓一郎さんの著書を読んでみることをお勧めします。


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