わたしのポリシー【文章】
「置かれた場所で咲きなさい」
そう言われたのは、新卒入社した会社を退職するとき。
滅多に顔を合わせないおじいちゃん顧問からだった。
◇◇◇
新卒で私は小さい印刷会社に入社した。
地方ではあるが自社ビルもある会社だ。どうやら昔は儲かっていたようだが、時代の流れとともになかなか苦境を強いられているような会社だった。よくぞ採用したものである。
私の就活は就職氷河期の終わりかけ。人によってはそれなりにいいところに入れるような時代だった。
私は出版業界の狭き門を狙っていた。サークルでフリーペーパーを作った経験もあり、また「編集部」という響きがかっこよかったからだ。しかしそんな思いもむなしく、見事にはじかれ続けた。
そこそこ名の知れた大学だし、書類は通過する。でも、面接でのアピールがどうも苦手だった。どうせなら一週間働かせてみてほしい、一緒に働けば良さがわかるタイプなのだ、と、恨みながらお祈りメールを眺めた。
好きなことを仕事にするなとは言うけど、私は好きなことじゃないとやりたくなかった。
そんなとき、当時のインターン先の人に相談して、新卒採用ではなく中途採用をしているところに声をかけて行ってみたらどうか、とアドバイスをもらった。
自棄になった私は、出版も印刷も同じようなもんだろ!と、冒頭の印刷会社の面接に行き、取り急ぎの内定を得たのであった。
最初採用されたのは営業事務としてだったが、
日々机に向かっているだけでつまらないのと、将来的に転職もしたいと思い、営業が欠けたタイミングでそのポジションに異動した。
営業取引先は、パワハラちっくな社長のいる会社だった。「みんながやりたがらないから回ってきた感」をひしひしと肌で感じていた。
取引先の会社は小さくて、社員が10人いるかいないか。
入口から給湯室以外のすべてが見えるような小ぢんまりした事務所だ。
しかし、この会社の社長、昔からブイブイ言わせているやり手らしい。機嫌がいい時はいいが、悪いときは怒鳴る。基本的には正論なのだが、だいたい怒っているので怖く見える。下請けのうちの会社はもとより、同業他社もヨイショ。そんな感じだ。
「わからないときは、ハイとは言わず、確認しますと言え」
一度、その社長にそうやって怒鳴られた。震えながら「確認します」と言った。でも「あ、そう言えばいいんだ」と思った。営業の仕方なんて、教えてもらってなかったことに気づいた。
腰を痛めているのに、いつも趣味のゴルフの素振りをしていた。そのときだけはかわいいおっちゃんだった。セクハラっぽい発言もされたけど、私の不慣れが表に出てたのか、赤面をからかわれる程度で終わった。
会社同士、徒歩5分の距離だったから、毎日のように行き来していた。
その会社の商品でトラブルを起こして震えていたとき、「元気出せ」と、なぜかその社長と社員からご飯に誘われた。
何度も行きたくないと思ったけど、ちゃんと逃げずに行った。
年の瀬の挨拶に行ったとき、ワインパーティに強制参加。
その年の売り上げが過去最高になったとき、特上ウナギをおごってもらった。
なんだか、どっちの社員かよくわからなかった。
そして次第に私は、
この会社に対して商品を売りたくなくなっていった。
言っておくが、別に明らかな粗悪品を売りつけているわけではない。
数字ばかりで「達成できずすみません」と下がった頭が並ぶ会議。
教育が不十分で、新人の私が何度も何度も指摘しないといけない現場。
新しいことをする営業の子に、歩合でしか給料を払わない制度。
男性はやらない謎の雑用をしなきゃいけない女性社員。
中を知れば知るほど、納得できないことが増えた。
環境を変えてやろう、とも思った。
でも、何か言うにも認められないといけない。
小娘が何を言おうが聞いてもらえる雰囲気はない。でも実力をつけるまで、そこに居続けるのも耐えられない。
定石知らずは、定石を破れない。
どういった経緯でできたルールかを知らなければ、それを変えることはできない。3個上の大学の先輩が言っていた。そんなに年も違わないのに、よくそんな言葉を知っているなと思ったが、そのときに身に染みてわかった。そういうことがこの世の中、多いのだ。
結局、その職場は1年半でやめた。
その取引先には、1人1人に長文のメールを書いた。
退社時間ぎりぎりまで書いていたから、返信を待たずして去ることになってしまった。
私は取引先の方が好きだった。
もちろん、お客さんだから良いように見えていたのかもしれない。
セクハラやパワハラは許されない。ドアをノックするたびに胃が痛かった時もある。
でも、私を上の商談に同席させてくれて、違うメーカーにも顔が知られるようにしてくれた。沈んだ時に元気づけてくれた。営業の仕方を教えてくれた。現場が立て続けにトラブルを起こしたとき、お前じゃない上の責任だ、と上を呼びつけてくれた。それは全部、取引先がやってくれたことだ。
今では、私もそれなりに社会人を経験してきて、多少アレなこととか、ソレなこととか、どうしようもないと納得せざるを得ないこともある。割り切ることも大事なんだと思える。
でも、あの時の気持ちを無駄だと思ったことはない。
「置かれた場所で咲きなさい」
その言葉が生まれたのは、今よりもっと不安定な時代だったと聞く。
でももう、置かれた場所の居心地が悪くても、頑張ってそこで咲かなければならない時代ではない。私は、この言葉の通りにはなれない。
納得しながら生きていきたい。
私を置く場所は、私が決めるのだ。