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祝!大切な人がUCバークレーに合格した日

本当に、ほんと――に嬉しい!
勿論、どんな生徒でも自分が関わった生徒が合格したら嬉しいのだけど、今回の合格は、過去いち思い深いものでした。

かなり感傷的になっています…ちょっと長い話しなので、暇な時にでも読んでくれらたら嬉しいですww

合格した斎藤陽菜との関係

今回、合格を勝ち取った斎藤陽菜さんは実は自分にとって特別な存在でした。

今は亡き、斎藤秀樹(以下ヒデさん)の一人娘。

ヒデさんは学生時代の、自分が兄貴と慕う先輩。体育会系の部活に所属した経験のない自分にとっては、深い交友のあった唯一の先輩でした。

ただ、彼は相当やんちゃな人で、まあいわゆるヤンキーという奴です。イケ面で、度胸もあり、腕っぷしも強く、後輩のトラブルには率先して駆けつける、アツーい兄貴でした。

ヒデさんとの飲んでいる様子

田舎から上京してきて、夜の世界に身を染め、自分の店を持って部下をぞろぞろ引き連れるその姿は、当時、自己肯定感の低い自分にとっては「憧れの存在」でした。

今や、教育の世界に身を置く自分ですが、ビーバップ世代のど真ん中世代ですからね。そう言うのがカッコ良かったんです。その姿はGTOのグレイトティーチャーみたいな感じでした。

ヒデさんは、僕を、僕ら後輩をめちゃくちゃ可愛がってくれて、夜な夜な色んな所に連れていってもらいました。ここでは書けないような事も色々しました(笑

1日何十発も小突かれましたが、周りで戯れる僕らは、彼に喜んでもらえる様に毎日笑わせようと必死だったのを今でも鮮明に覚えています。

まあ若かりし頃の話し。僕の青春時代です。

だんたんと疎遠になっていく過程

しかし、時が経つにつれ、少しづつ会う回数は減り、疎遠になって行きました。

やはり自分は教育者でもあるので、繁華街のど真ん中で、暴れながら飲む生活を続ける訳にもいかないですからね。自分以外の仲間も含め、少しづつ大人の階段を上っていったのだと思います。

でも、ヒデさんはずっと変わらない接し方で、いつも、自分たちの誘いを待っていてくれてたと思います。誘ったら絶対来るし、何歳になっても飲み始めたら絶対朝まで帰してくれませんでしたからね(笑い)

でも、そんな飲み方をするもんだから、会うのには相当な覚悟がいるし、飲んだ後次の日は仕事にならないので、会う間隔も開いちゃいますよね。

そんな中での、突然の訃報

そんな感じで疎遠になっていったある日。あれは突然のニュースでした。彼が体調を崩し、急死してしまったのです。今から7年ぐらい前かな。彼は42歳ぐらいだったと思います。

この時は少し距離を置いていたので、5年ぐらいは会っていなかったと思います。とてつもなく、ショックでした。

彼はいくつになっても子供のような人で、僕らと会いたがっていたと思います。それが容易に想像できます。数年に1回の会合は浴びるように飲んで本当に楽しそうにしてたから。今思えば、ヒデさんは大人になっていく自分をカッコ悪いと思ってたんだろうな…。

彼は、自分を兄貴と慕っていた周りが、どんどん大人になって彼から距離を置いてかれるのを、自分自身で気が付いていて、たまに会うといつもどこかしら寂しそうでした。

でも、僕らも一緒に飲んでて本当に楽しかったから、たまに飲みたくなるんです。本当に我儘ですよね。

複雑な思いの中で

僕は、僕らはみんなの兄貴であるヒデさんを大好きだった。憧れる気持ちも当時と全然変わらないのに、ただ、昔と同じ様には出来ない…。

ヒデさんはいつも、めちゃ無邪気に誘ってくれて、昔と全く変わらない接し方をしてくれているのに。

そんな、なんとなくの罪悪感を感じていたヒデさんの急死。

残ってしまった複雑な思いとその忘れ形見

憧れと感謝の気持ちを伝えることもなく、彼は突然あの世に旅立ってしまいました。

そして、その娘が、陽菜です。なんなら彼女が産まれた当時、自分は
ヒデさんの家で良く飲んでいたので、オムツも変えたこともあります。

そんな彼女が18年とかが経って、留学の相談をしてくれた。自分としては、燃えない訳がないですよね。

カリフォルニア大学編入への挑戦


チャレンジ前に出てくれたYOUTUBE出演

はじめは、ハワイ大学を目指そうとしていた彼女。
でもどうせなら上を目指せ、俺が全力でサポートするからと説得し、カリフォルニア大学の編入にチャレンジすることになりました。

自分が経営する会社はカリフォルニア大学への編入はものすごく得意ですし、毎年何人も合格させています。だから自信がありました。

ヒデさんの忘れ形見。自分としては半分は恩返しです。

天国のヒデさんと決起会!


渡米前に山形で墓参りに。


ロサンゼルスに飛び立つ前には、奥さんとひめと、ヒデさんを慕う友人とで山形にあるお墓に一緒に訪問し、亡き父、兄貴に絶対合格を誓いました。

University of California, Berkeley (UCバークレイ)に合格

そんなストーリーがある中での今日。2024年4月21日、UCバークレー合格というニュースは、とてもとても感慨深いものでした。

知ってる人も多いと思いますが、UCバークレーは世界大学ランキングで7位ですよ。恐らく純粋に日本で育った人がいける最高位の大学。もちろん東大よりも上位です。

もちろん、頑張ったのは陽菜。自分はちょっと合格する方法を伝授しただけです。

大学に提出したエッセイ

カリフォルニア大学に提出したエッセイ

カリフォルニア大学に出願する際に、エッセーを提出するのですが、彼女のその書き出しは次のようなものでした。

A large, strong body covered with beautiful white cloth. In front of the sight of my father, who will never move or talk again, somewhere inside of my heart, a 14-year-old me believed he would open his eyes again, but at the same time, I was about to be crushed by the strong regret I felt toward him.

陽菜さんのエッセイの冒頭文抜粋

(訳文)
美しい白い布で覆われた大きくて逞しい体。もう二度と動かず、口もきかない父の姿を目の前に、14歳の私は心のどこかで父が再び目を開けると信じていました。が、それと同時に、父に対する強い後悔に押しつぶされそうになりました。

サポートの一環で、出願者のエッセイは全てチェックしますが、はじめに彼女から出されたこの文章を読んだ時、自分の心は震えました。

葬式では机上に振舞っていた彼女。その時、抱いていた父に対する強い想いを、その時にはじめて知り、

・ここまで頑張ることができた強い意志の背景
・そもそも彼女が海外に挑戦したこと
・そして、その側に自分という存在があったこと、

なんだか、全ては初めから繋がっていたかのようにさえ思いました。

大学時代のヒデさんと自分

彼を兄貴と慕う自分の導きで最愛の娘が合格。この事実を聞いて、天国で笑っている笑顔のヒデさんが想像できます。

「うすま(当時の自分のあだ名)、有難うな」

ヒデさん。あなたから教えてもらった事。一緒に過ごした時間への感謝は
こんなもんじゃない。返し切れたなんて全く思っていません。

でも、今回、僕は少しだけ恩返しができた気がします。

後日談:本当にGTOになっていた兄貴

ちなみに、亡き前のヒデさんですが、彼は夜の世界からを卒業し、学習塾を数店舗経営していたようです。流石です。

GTOのようなヒデさんでしたが、最後は本当にそうなっていたんですね。

カッコつけてばかりの兄貴でしたが、実は彼も大人の階段を昇っていたんですよね。そんな背中も僕らに見せてくれれば良かったのにwww

天国でまた飲み明かしましょう!

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