1か月以上朝活して感じた思わぬ弊害
このnoteは朝活の一貫として書いている。
おかげさまで1か月間以上毎日投稿ができ、現在も継続している。
だがここ数日、朝活が失速している。
朝活による思わぬ弊害が生じてきたのだ。
今回はそのことについて触れたいと思う。
結論から言うと、朝しか自分のための時間がないという事実に気づいてしまったのだ。
「いやいや、当たり前じゃん」と思うことなかれ。
おそらくこれは、私が朝活に期待していたことと現実のギャップのせいだと考えている。
もしかしたら私の朝の過ごし方のせいかもしれない。
朝活を始める前は、朝活することで自分の人生すべてが底上げされるイメージだった。
多くの朝活推奨本にも、勉強・仕事・趣味・運動・ジャーナリングなどの書き物ワークなど、意欲的なものが勧められている。
確かに明確な目的や目標があればそれに向かって進むことができる。
それによって人生が前進しているような感覚になり、朝以降の活動も精力的に過ごせるということもわかる。
ただ、私の朝の過ごし方は違うのだ。
以前のnoteで朝活ルーティン風なものはないが、noteの更新と朝食を食べることだけはしていると書いた。
それは今でも変わっていない。
なぜこの2つだけ残っているかというと、自分を最高にもてなすための行動だからだ。
noteは書くことで、気持ちが整理されるし思い出になる。
スキをいただくとモチベーションもあがる。
食べることが好きな私からしたら、
"なんでも食べていい"と決めた朝食はもはや天国でしかない。
するとどうなるか。
朝以外、最悪なのだ。
一日の始まりが最高ならいいじゃないか、と思われそうだが違う。
この最高の時間が終わってしまったら、あとは屍のように今日を生きるしかないと絶望するのだ。
人生のアップデートどころか、乖離している。
私の場合はむしろ日常との溝が深くなってきたのだ。
考えられる原因はひとつ。
朝を重要視しすぎた。
最初は楽しくて4時頃には起きていた。
やりたいことの内容によっては3時台に起きることもあった。
けれど最近は起床時間を緩めている。
5時半〜6時の間に起きれればいいな、ぐらいの。
noteをさくっと更新できるぐらいの余裕だけは持たせている。
朝ごはんは気分によって食べたり食べなかったりだ。
結局私はふたつの結論に達した。
朝活したいんじゃなくて
自分のためだけの自由な時間が欲しかったんだ。
朝だけじゃなくて、今日という一日を通して幸せでありたいんだ。
その価値観に気づけただけでも、良かったのかもしれない。
最後までご覧いただきありがとうございます。