【独り言】深夜の気づき
<自分の中の『悪』と共生する>のが、
わたしにとって大事なことかも知れないとふと思った。
今まで毛嫌いしてきたこと、
嫌だと思っていたこと、嫌っていた自分の弱さや醜さ、至らなさ、未熟さであったり、時に攻撃的であったり、排他的であったり、自暴自棄になってみたり、人を憎んだり恨んだり羨んだりするところ、etc,etc...
自分でそれは「ダメだ」「悪いことだ」「いけないことだ」と思ってきた感情たち。押し潰そう、押し殺そう、排除しよう、なんとかなきものにしようとしてきたところ…
大嫌いなそれらと<共に生きる>。
この感覚が、わたしにはとても、とても、大事かも知れないと思った。
自分を認めていく、許していく過程でも、ひとつひとつ、見つめ直してきた部分。向き合い、受け入れようと努めてきた部分でもあるけれど、改めて、「確かにそうだ」と感じました。
そうでなくては生きづらいままだし、
他者と生きていく上でも、重要なところだと。
自分でも受け入れられないところは、
他人のソレも受け入れるのが難しくなる。
ただでさえ身近な自分自身に対して、
おおらかに許容、もしくは認めることが出来ていなければ、他人にも、同じように受け入れることができなくなってしまう。
それはものすごく、実感としてもあって。
未熟な自分は嫌いだし、
未熟な人を嫌いだと思う。
だけど、はじめから成熟しきっている人なんて、どれだけいるだろう。いるんだろうか。
誰も憎まず恨まず羨まず、
悪感情を抱かない。
そんな出来た人なんてこの世にいるんだろうか。
それってもはや、仏や神の領域じゃないか、って。
攻撃を推奨するわけでも、
排他的であることをよしとするわけでもなくて、
なんつーか、もっとフランクに
「そんな時もあるよね」
くらいの感じ。(急にポップ!!)
そう、そのくらい、ラフな感じでいたい。
未熟さもあるよね、
至らなさも、ままならなさも、
上手くいかないことも、しくじることも、
失敗することも、
ダメになることも、つまずくことも、
弱ることも、病むことも、臥せることだってある。
自分が、だって、そうだったじゃないか、って。
強くないから、ずっと強くはいられないから、だからずっと苦しんできたんじゃないか、って。
そんな自分でも許して欲しくて、認めて欲しくて、受け入れて欲しくて、たくさんたくさん、寂しくて悲しくて痛くて辛くてひとりぼっちで泣いてきたんじゃないか😢って。
わたしが〈悪〉だと決めつけてきたもの。
そうして嫌ってきたもの。
受け入れ拒否をしてきたもの。
そうしてきたのは、最初は誰かに否定されたからかも知れない。
誰かのソレを見て、「いけない」と思ったからかも知れない。(Xに書いた「怒り」についても同じ)
だけど人間は、良い方ばかりで出来ちゃいない。きれいで美しいばかりじゃない。
調子を崩すことだってある。
生きてるだけで、日々、衰えていくものでもある。
そういうところを、もっと、もっともっと、柔軟に、受け入れていけるわたしになれば、
もっと生きやすく、人にも自然に優しくなれるんじゃないかと思う。
あくまでも、「優しい人になる(そう評価される)為に、無理してでも(嫌なこと、受け入れ難いことを)受け入れる」んじゃなく、
自分を許すために。
自分を楽にするために。
自分を生きやすくするために。
他人からの理不尽を受け入れるって話でもない。
例えば、理不尽に対して腹が立ち、
それを「蹴散らしたい」と感じたら、
そんなトゲトゲした自分を「悪い子!」と責めずに許す。
まずは自分の為。自分を大切にする為。
この世界も自分ありき。
わたしがいなくちゃ、世界を知ることも感じることもできない。
わたしの中に、ぜんぶある。
善も悪も。
それらを認めて許していく。
きっとそれらが人間としての宝だから。
陰も陽もあるのが、豊かさであると思うから。
そしてそれらをどう扱うかも、自分自身にかかっている。
わたしはもう、自分と戦いたくはないんだ。
自分をころして生きたくはないんだ。
自分と共に生きていたいんだ。
その為に、何を味方につけて、
何を選ぶか。
能動的でありたいし、
自分の人生の主導権は、
しっかりと自分で握っていたい。
考えがブレそうになる度に、
自分に軸を戻したい。
そんなことを思ったのでした。