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大切なひとの死を悼む

身近なひと、大切なひとを亡くしたとき、喪失感や心の痛みとどう折り合いをつければいいのか。
とても難しい問題だと思います。

私は身近な人の死と、向き合うのが怖いです。悲しすぎて心が壊れそうで、もう二度と会えないとなると、いろいろな後悔で気が遠くなります。お葬式も大の苦手で、参列するとしばらく元気が出ません。

そんな私でも、年相応に、身近な人を見送る経験を重ねているうちに、つらい現実を、ある意味ポジティブに受け入れられる、いい方法を見つけました。

それは、ひとことで言えば、亡くなった人を、1日1回は思い出せるような、ちょっとした「しかけ」を作ること。

たとえば、仕事場のパソコンの横には、亡くなった創業パートナーとのツーショット写真が貼ってありますし、スマホの待ちうけ画面は、若かりし頃の亡父と母を、旅行中の車内で(たぶん幼少時の私が撮った)すてきな笑顔の写真になってます。

毎日使うリーゾの伝票のエクセルフォーマットは、立ち上げ時にお世話になった代理店の社長さん(故人)からもらったもので、使うたびに思い出せます。

ほかにもいろいろと、普段目につくところにしかけをしてあり、そのつど「ちゃんとがんばってるから見ててね!」などと語りかけてます(心の中で)。

思うに、大切なひとの魂は、いつもそのへんにいて、思い出せば喜んでくれるんです、たぶん。

もしかしたら、死者の世界にはランキングがあって、誰かが思い出してくれるとポイントがついたりするのかもしれません。
・・・なんて思うと、ちょっと楽しくなったりもしませんか。

そんなことを考えていたら、「人は二度死ぬ」という言葉に出会いました。一度目は、肉体の死で、二度目の死は、生きている人たちに完全に忘れ去られたときに来ると。やはり、記憶し続けることには意味がありそうです。

考えてみると、家の中に仏壇を作って毎日お線香を上げたり、先祖代々の遺影を飾ったりするのも、まさに「思い出すしかけ」そのものでした。

このしかけのおかげで、人は亡くなったあとも、生きている人の力になり続けてくれるのだなあと思います。

年を重ねると、死者の世界=「彼岸」にだんだんと知り合いが増えていきます。だんだんあちらがにぎやかになって、いつか自分も加わる日が、ちょっと楽しみにも思えてきます。

その日がいつになるかわからないけれど、大切な人たちの記憶とともに、日々精一杯生きていくことが、わたしにできるいちばんの供養かなと思っています。

(2019年3月6日配信の「すいすい通信」より)

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