ノンデュアリティから見た、ツインレイ概念②
「無」だからこそ「すべてが存在する」
ノンデュアリティには、何がダメで何が良いという概念がありません。
何もありません。
なので、いろいろなしがらみやルールに縛られている通常モードの現実からすればあり得ないこと。
これはツインレイに限らずだけれど、何でも肯定もせず否定もせずになる。
肯定も否定も「ない」からできない。
「無」で「すべて」。
無いからすべてが肯定であり否定になる。
なんでもいいということ。
本来、それが「無条件の愛」
「無い」ことを受け入れられるか
ほとんどの人が結婚を肯定し、男女の恋愛というものはこういうものがあって、それ以外のことは受け入れがたいと思っている。
「~でなければならない」
「無条件の愛」にはそれがない。
ツインレイ概念を採用している人は、相手からそれを試される。
実際、相手がそれを意図的に試しているわけではないけれど、状況としてはそうなることが必然となる。
そして、無条件の愛という境地(エネルギー)になれるか、それがツインレイ概念の到達点になければ、それは成立しない。
概念があって、それを参考にして必死になるというのは、「固定されたなにか」になろうとしていること。それに到達しようとしているにすぎなくて、そんなことは必要ない。
必要なことは何もなく、ただ受け入れられるか
これは何かを変えようとすることもせず、ただ今を受け入れてくことができるか だけれど、
通常の人のパターンは、何かになろうとして、今より良い状態になろうとしてしまう。
そこから離れると本当に自由になる。
なんでもよくなる。
どうでもよくなる。
↑ もちろん良い意味で。
知識ではなく、リアルノンデュアリティ。
すごく軽やかで、自分がしっかりあるのに縛られないでいられる。
どうでもよくて、プカプカしているくらいがちょうどいい。
それがノンデュアリティそのもの。
口癖は「どうでもいい」
ばかばかしいのだ、相手に惑わされたり、概念に惑わされてしまうのは。
そもそも相手は自分が創り出しているだけだし、概念も「考え」でしかなく、「そのとおりの実体」でもないのに、それにうろたえるなんて自分がかわいそうすぎる。
だけれど、何かに惑わされてもいい。悩んでもいい。
それがノンデュアリティ。
どうでもいい。
自動的に物事は起こるのに、例えば悲しい気持ちになるのに、悲しくならない方法をどうこうを考えても、引き寄せるとか願いが叶うとか関係ない。
悲しければ悲しくて良いし、嬉しいことは嬉しいでいい。
痛ければ痛い。
それと合わせて、仕事も遊びも自分の好きなようにしかしない、投稿も思いついたときしかしない。
毎日投稿しなければ不安になるのは「概念」に縛られているだけだから。
リアルノンデュアリティは、何も考えないノーテンキで悪い人に見えるだろう
ツインレイなんて概念に惑わされず、あなたはあなたのままで。
相手も自分もいないし、相手は自分なのだから、あなたが相手を大好きで自由で楽しければその現実しか映らない。
それが一番近道だよ♡