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誰もが陥る「私」という人生ゲーム⑧

自己肯定感パラドックス

自己肯定感・・自分を肯定すること 当たり前すぎですね(笑)

確かに自分を肯定することができると、ネガティブな感情は湧きにくいとは思います。

・・でもネガティブな気持ちになることは悪いくないし、全然それを否定する意味がない。のですけどね。。

だけど、自己肯定感が低いとか、自己肯定感を高めましょうとか、
自己肯定感が低いと良くないという情報は、自己肯定感が低いことを気にするし、高めようと何かしようとする人を増長もします。

自己肯定感パラドックス

そうすると、自己肯定感の低い自分にまた✕をつけます。

無限ループです。

自己肯定感て、なんですか?って話です。

自分に点数が必要ですか?
何ができると自己を肯定することができますか?

高い地位につくことですか?
お金がたくさんあることですか?
モテることですか?
才能があることですか?

それはあくまでも、誰かがそれを良しとした場合の一つの「概念」に過ぎません。

自己肯定感は概念です。

「〇〇感」これらはすべて概念。

概念でその人の意義が決まるなんて、バカげてます。
でも、概念を持つことさえ許されている、ので良いのですが、少し本質とは違うよってだけで。

本来、こんな摩訶不思議なプログラミングされた肉体を持ち存在していること、それ自体がすごいことです。
誰もが、無からすべてを創り出しているわけですから。

生きているのですから、すべて肯定でしかありませんよね。

何かをしなければならないとか、こうでなければならないとか。。
そんなこと、「どうであっても」良いことです。社会通念上、犯罪でなければ。
人はルールの中で生きてもいるので、すべて「どうであっても」が通じるわけではないにしろ、

全部丸ごとそのもの。
既にそうであるし、既に最高の肯定だと思います。
その時、自然と自己肯定感はMaxになります。

何が良いとかは主観でしかありません。
もちろん、この記事も含めてです。

何かを言葉にしたり、書いたりもそうですが、
それを発すること自体が、もはや本当に言いたいことを伝わらなくしてしまう場合も多々あります。。

パラドックスだらけなので、肯定云々は放置して。
どうしようもない話だけど、観測し続けると観測できなくなる。
自分がいなくなる。

起こることに任せるしかない、
感情もコントロールせず、
リアル人生ゲームが起こるだけの、そのままの、
肯定も云々もない空間があるだけ。








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