「私はいない」、「何も起きていない」瞬間を例にあげてみる
私によく起こるのが、出先の駐車場で車を停めた場所を忘れること。
念入りに覚えておかないと、忘れる。
運転もその状況に応じて、無意識に反応しているし、駐車するのも無意識に停めて、その後、無意識に目的地に歩き出す。
駐車場の状況によって、どこに停めるとかどうハンドルを動かすとか、そんなことを無意識にやってのける。
いちいち、ハンドルを左に何度、ここまで来たら、右に何度回転とか考えている人は皆無だろう。
この間は、夫が運転で私は助手席だったから尚更。
まったく駐車した場所も、どんなふうに車を降りたのかも、目的地に向かうための入口を通過する時のことも、何も覚えていなかった。
帰る時になって、「あれ?ここに車停めた?」「どうやって中に入った?」と、本当に記憶喪失状態で驚いたことがある。
どれだけ「私」を介入せずに体が動いているか。
何も考えていないし、何も意識していないけれど、体がそのように動いている驚き(笑)
運転て周辺の状況を目にした後に、その状況に反応するということが起こるだけ。自分が右に曲がれと思ったから曲がるわけではなく、脳の働きによる動きが起こるというか。
目に移り、脳が作動し、学習による反応により指令を出し、体の各部位が働いているだけ。
そこに「私」の介在する余地がない。
私が脳みそや各部位を動かしているわけではない。
生命体の活動は素晴らしい。
脳内の記憶装置も、その反応も私が起こしているわけではない。
この見事な生命体の活動。
測り知れないほどたくさんの反応が起こり、時に面白すぎる反応をする。笑
「私」はいないし、私にとって「何も起きていない」。。
生命体が動いていて、その起こりが現れているという事実だけ。
「私」などという個人はいったいどこに?