高学歴、高収入、高身長 etc.というラベルに効力があるのか 最大の価値はこの画像の中に隠れてる
例えば、一昔前の「3高」という言葉。
高学歴、高収入、高身長。
婚活界隈では、ハイスペックと言われるラベル。
婚活に際しては本当にものすごい効力があるのは事実でしょう。
ただし、「男子に限る」という制限もつきます。
六大学出身とさらに「イケメン」を加えたら、もはや無敵・・でしょうね。
女性はこれが並んだら、まずは「こんな素敵な人と結婚したい、結婚したら幸せになれそう」と妄想する人が多いと思われます。
男性でいえば、婚活業界では「若さ」が重要かもしれません。
今の時代、差別を感じる言葉にとても敏感になのに、婚活業界では差別のようなそれは顕在です。
「一見そう思える」だけ なんて冷静に考える余地もなくです。
人間の考えたラベルの威力は、「一見」確かにあるとは思います。
ここでは、個々の「私」に張り付いている名前のつけられたものをラベルと表現しています。
ラベル=名前や価値観はすべて、人間が考えたものです。
タイトル画像のひよこたちは、3高とか考えてますか?
私は〇〇です。あなたはこういう性格だから苦手です・・とか考えてるのだろうか?
おそらく考えていないでしょう。
あなたも私も同じ形をした生き物。と、ひよこ同士の認識くらいはあったとして、ひよこが自己紹介するとしてもおそらく「・・・・」無言ですよね。ラベルなんて貼り付けてないですから。
本能的な食欲や性欲や睡眠欲はあっても、その欲すら抑えようとか、私はダイエットしてるんです。なんてひよこは一匹もいないはずです。
ひよこからしたら、誰と結婚しても一緒じゃないですか?
人が自分のことを知らない人に自己紹介をする時って、たいていは
何歳で、どこに住んでいて、家族構成はこうで・・仕事は何をしていて、こういう性格、こういう価値観を持っています。等々
「私」に張り付いているラベルの説明をします。
誰もが自分に何枚もラベルを貼り重ねています。
そして、そのラベルに優劣をつけていたりもします。
優劣も人間の思考。要するに思い込みです。
立派な人、立派な職業、立派な家系、高価な持ち物・・・・
これって、すべて人間が思考の中で生み出しています。
その名前になんの効力も権力も本当はないにもかかわらず。
思い込みで、一喜一憂してみたりします。
思考という部分、ラベルをはがしていくと、
それぞれの肉体があり、肉体の活動が自然にされていて、自動思考で頭の中でいろいろ考えが巡っていて、長所といわれるものも短所といわれるものも(価値観の中で)持っていて、寝て起きて食べてまた寝るを繰り返している。
「自動思考が起こる」ことと「自我に支配されること」は別物です。
自動思考を剥がしとることは脳が発達している人間には不可能なので、それはそれで活動として残すとしても。
みんな同じことをしているだけ。
当たり前のベースのそれそのもの、みんなノンデュアリティをもはや経験している。経験できていない人は皆無。
当たり前すぎて、それには全く気づけない。
3高。
人間の思考で「良い」としてしまったことだけれど、それに振り回されることがあれば、それは自我に支配されているということ。
ラベルを取り外してみると、姿かたちの違うそれぞれが動いている、生命活動があるだけ。価値というものは本来存在しない。
かといって、それぞれに価値がないと言っているわけではなく。
価値を持たないという、最大の価値が本当はある。
生命の活動って素晴らしい。
すべてが勝手に起こり、次を生み出してしまう☆