誰もが陥る「私」という人生ゲーム⑤
人は「私」にこだわる。でも本当は「私」から解放されたい
エゴによって問題が起こると信じている「私」は、エゴやネガティブな感情をどうにかしようとします。
スピリチュアルの世界でそれを実践している人が多いと思います。
かつての私もそうでした。
前の記事で、「思考は私ではない」と書きました。
確かに思考は「私」ではありません。
が、「私は思考を持ってはいけない」とか、「持たない方がいい」ということではありません。
考えや想い、感情は自然と起こるものです。
なので、それはそれで良しです。間違っていません。
ネガティブな感情を持っても一向に構いません。
ポジティブな日もあれば、ネガティブにもなるのが普通です。
それなのにネガティブはよくないものだから、
ポジティブでいましょう!なんて・・。できるわけないのです!
ただし、ネガティブなことが起こったとしても握りしめないことです。
抱え込まないってことです。
本当は抱え込むことが起きているから、それでいいのだけど、ここでは苦しみから逃れたい、逃れるコツとしてあえてそう書いています。
逃れる誰かは存在しないので、方法は本来はないけれど。
出来事は自分が起こしているわけではなく、自然に起こります。
それなのに自分を責めたり、相手を責めたりするのはエネルギーの無駄だし、究極的には自分はいないし、相手もいないのに・・です。
自分はいない に関しては、理解不能であることは承知です。
しかし、究極的には起きていることしかないのです。
人のネガティブと思わしき行動は、すべて愛の欠乏感から来ています。
誰もが求めている、安心感と愛で満たされている感覚。
どこにも不足のないものが毎瞬発現している(すでに在る)。
現れて過ぎ去るものに、なんの対処もしようもありません。