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先生と呼ばれる程に馬鹿でなし

思い返すと、18歳でピアノ弾きになったときから、私はお客さんから『先生』と呼ばれていました。

しかしこの場合は、ホステスさんとは別格ということで、ニックネームに近い『先生』です。


『先生、あれ弾いてくれる?』

とか、リクエストを聞いてくれる存在である《先生》でした。


創ることが仕事になったときも、クライアントから《作曲家の先生》と呼ばれました。


自分自身はあまり《先生》というものに対して、あまり尊敬の念を抱いたことがありません。


私にも、音大に入るまでには何人かの先生にお世話になりましたが、

『一生付いていきます~』的な感覚にはなりませんでした。


音大受験の頃には既に、全くヤル気も欲も失せていて、クラシックからは脱落、コードもDTMも独学でここまできました。

つまり、私には師匠はいないのです。


今のように専門学校もありませんでしたので、習うというよりマニュピレーターを雇って、分からないことを尋ねながら仕事をこなしてきました。


今、私は知識や技術を教えるという一般的な《先生》の立場になりました。


そんな私には、人生の師匠が二人存在しています。

その師匠達のレベルが半端ないので、自分ごときが《先生》と呼ばれることが正直むず痒い。


~先生と呼ばれる程の馬鹿でなし~

という諺があるように、《先生》のレベルは実に様々です。


どんなに高い技術を持っていても、伝える言語力がなければ意味がありません。


もう一つ。

知識や技術だけ教えるのは《講師》止まり。


私が二人の師匠を尊敬に値すると思うのは、

一人一人に教え方を変え、さらに本人さえ気づいていないポテンシャルを引き上げる能力がすごいこと。


人生を変えてしまうほどのクオリティー、

つまり、教えるだけでなく、導くレベルなのです。


《講師》ではなく《導師》として、自分もそうありたいと願っています。


まだまだ修行が足りませんけどね…😫


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