人生のピークを探す

振り返りの続きを書けないまま帰国し、1ヶ月少々が経った。向こうでは寛容に許せていたことも、日本社会に戻ると相変わらずため息をつきたくなる事がいくつかあった。たかが1年ではそうだよな〜なんて。

小学校から仲のいい友人と、久しぶりに会った。連絡は時々取っていたし、インスタで近況を見ていたので特に気まずさはなかった。だがやはり積もる話はある。会うのは3年半ぶり、さらにサシでご飯にいくのはおそらく小学校ぶり。一緒に小さな自転車を40分くらい漕いで隣町の映画館に行っていた。100円マックがあった頃の話です。

そんな友人は、約半年前に結婚をし地元を出た。新婚生活の話やら、わたしのこの1年のお土産話なんかを話したりした。今同級生たちは何をしているかを話せば勝手に昔話がはじまる。昔話はいつだって、思い出を彩ってくれる。

「人生でいつが一番楽しかった?」と突然友人に聞かれた。一連の思い出話の流れだったので大きな意味を持っていないことくらいはわかっていたが割と悩んだ結果、「今」という結論に至った。これを書きながらもその答えが正しかったかは自分自身もよくわかっていない。

以前の記事にも書いたが「現在の自分」から過去を振り返ってしまうと、様々な後悔が浮かび上がってくる。それを含めた判定になってしまうが故、自分でもそれが本当かどうかがわかりかねる。

中学校で最後まで部活と勉強を両立して両分野において大切な仲間に出会えたこと、高校でブラック校則や理系科目に文句垂れながら友人と切磋琢磨したこと・行ける現場の数が少し増えたこと、大学に進学して何事にも自由の幅が広がったこと。そしてコロナ禍に翻弄されながら、自分の好奇心を追求したこと。どれも感情が大きく変化したことには変わりない。

ただ、「今」が最も良いと言える理由として心当たりのある?変化がある。20歳を過ぎた頃から、ある程度の人見知りをしなくなった。人見知りというか、シャイを発動しなくなった。(人見知りだと、初対面や親密度が低い人のみを指すがわたしの場合は親しい人にも遠慮していたところがあったので少し表現が違うのかも。適切な日本語ある?) 人間関係において「あの時こうしていれば」を無くしたくなった。その結果、自発的に人間関係を進める努力をするようになった。(逆に、不必要なやり取りもやめれた。)思い当たるきっかけは自分でも認識していないが、こころの病気を患ったことがひとつあるんじゃないかと考えている。あのとき、孤独感で押しつぶされそうになっていたからこそ自分の周囲の存在の尊さを再認識したのだろう。自分ごとなのにめちゃくちゃ他人事口調でキモいのは置いておきます。

その結果の「今」だから、後悔しない人間関係の構築が継続できているのだと。病気をしたこと、寛解しても完治はしないため一生の付き合いであること、当たり前に人生狂わされているから「最悪!!!!!!コロナなんかなければ!!!!!」と言い続けるけど、この考えで行動できるようになったことはよかったのかもー。そうでないとわたしが救われないのでそうさせてください。

みなさんは、いつが人生で一番楽しかったですか?

ちなみにこんなことを書いていますが、好きな異性(芸能人を除く)には相変わらず好きと言えないまま疎遠になっています。解散。

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