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学術研究の為に芸術作品の複製が認められないとしたら?
芸術は常に他者の作品の真似をして発展してきた。前人たちの作品を模倣したり複製したり、誰かからのインスパイアを受けてここまで来た。
仮に学術研究においても複製が認められないとしたら、自分は、あらゆる学問や芸術はこれ以上の発展を望めないと考える。
ここで小さく自己紹介を挟もう。自分はとある芸術大学に通い、演劇について学んでいる学生だ。そこで、ひとつの舞台作品を公演することを例に挙げて考えてみたい。
舞台作品を創る為には言わずもがな、戯曲が必要だ。先ずはその戯曲が問題となってくる。既存の戯曲を使うのか、それとも現代に生きる我々の手で生み出すのか…。無から有を生み出すことは非常に困難で多くのエネルギーを伴う作業だ。そうでない場合は、戯曲を扱う図書館や本屋へ赴くことになる。
しかし、学術研究のための複製すらも許されないとなると、また新たな問題が発生する。例えば、ある戯曲の台詞・または場面を引用したいと思ったとしても、その複製が許されないとなると、これは大きな障害となる。演劇というのは一つ一つの台詞や背景が連なって構成されているものである。また、演出家がその場面を特に重要視していた時は、最悪の場合、その公演自体が頓挫してしまうこともある。
これは舞台に関わる者たちにとって痛手であるが、芸術界全体においても同様だと思う。どんなに優れた芸術作品でも、後世に伝える手段が全て絶たれてしまっては、その時代にしか息をすることしか出来ない。自分は、複製とは単なるコピーの他に、新しい世代への橋渡しの意味合いも含んでいると考える。法の抜け穴のようなイメージを持たれがちだが、その実重要な役割を担っているのだ。
つまり、複製が禁止になってしまっては、現代まで古典的な作品が伝わることも無く、芸術がその時代きりのものになってしまう可能性が高い。
以上の理由から自分は、学術研究において複製が認められないとなった場合、芸術の発展は難しいと考える。
(これは昔書いた大学のレポートを再編集したものです。一部理解が及んでいない箇所・表現がございますが、折角下書きに残っていた為、消すのももったいないと思い、投稿した次第です。)