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余白をポジティブに考える

私の通っていた高校は丘の上にあり、平地から高校にかけては昔ながらの商店街があった。横浜大空襲から辛うじて逃れ、米軍の接収も受けなかったその土地は戦後に入り横浜のひとびとの生活を支えたと聞いた。

中心部の復興と生活スタイルの変化により商店街はわかりやすく衰退。70を超えていた店舗も10数軒にまで減少。ポツンポツンと空き家・空き地が増え、そのままになったり、まったく新しい建物に立て直されたり、ただ立て壊されたり。店主に話を聞けばみな昔をなつかしく語り、現況を哀れむ。装飾の魅力的なあの建物も、気になっていて一度も入れなかった魚屋さんも、なくなった。私たちにはまだこの先長い未来があるのに、言い返せもせず、止めることもできず、ただ眺めることしかできなかった高校時代。

まちづくりについて本格的に学びたくなった出来事だった。

私はその後大学でまちづくりや社会学を学んでいるが、饗庭先生の「都市をたたむ」を読み、昔の自分が感じていたもどかしさを伴った宿題が現在の自分にまた新たな形で蘇ってくるようだった。

これは一つ商店街の話に限らないのだと再認識することとなった。日本全体として人口が減るなか、全国各地で起こりうる問題であり、かつポジティブな可能性のあるもので、同時にそこには私たちひとりひとりの意思にも注目しながら全体としてよくフィットした、デザインの力が必要になるということだ。

<目次>
1. 「都市をたたむ」概要
2. 豊かさについて考える
3. 公的なものとは
4. 関係性
5. 共同意識


1. 『都市をたたむ』概要

人口減少時代の都市計画のあるべき姿を考える一冊。

「都市をたたむ」というのは「開く」かもしれない、長期的な土地利用の変化を視野に入れた人口減少時代の都市空間における言葉。ひとびとが豊かな生活を求めて「交換」と「再配分」を行ったことで誕生した都市は、いつしか「経済を成長させる」目的で使われるようになった。しかし、人口減少が本格化し、ランダムに小さな孔ができていく「スポンジ的」な都市の縮小がおこるなかでの都市空間のあり方は、それぞれが持つ小さな目的の実現のために都市を使う、「多くの人の多元化した目的を多元的に実現することが可能な空間であるべき」だと述べられている。

2. 豊かさについて考える


経済が発達した、人口増加時代。当時の「豊かさ」とは、書籍の中にも「増えつづける人々に豊かな生活をゆきわたらせるために経済を成長させることが目的であった。年はそのための手段として使われたのである。」とあるように、おそらく家族で快適に暮らすための住居、家電などをみんなが持つことが豊かな生活だったのではないかと推測する。そのために給与が高く多くの仕事場がある都市で働き、それを自分の豊かな生活に還元していく。労働力のおかげで国自体も発展していくのだから、相互的にウィンウィン?だった。

では人口減少時代、そしてある程度モノに困らなくなった現代、国としての経済的発展をそこまで進めなくてもそれぞれが暮らしていける現代においての「豊かさ」とはなんなのだろう。

私が思うのは「なんとか生きていけそう!」というマインドを持てるようになる経験やスキルが豊かさになるのではないかということだ。例えば、いざお金がなくなっても食料は、住む場所は、頼れる人はいる。そして、頼れる場所があるという安心感。それにより明日もここで生きていける。余裕が生まれる。

しかしそもそもその豊かさも、それぞれの価値観がある。ひとびとが、画一的でない、各々が考える豊かさを実現する手段としての都市利用を促せるしくみが必要だと思う。そして各々の考える豊かさに気づき、それを他者に認めてもらえる環境づくりも大事だろう。

都市はどのように使われるのが良いのだろう。

3.公的なものとは

書籍のなかで、福祉、道路等の「都市施設の不足」を空き家への対策の中で解決できないかという問いがだされている。そのまま利用するとしたらどのような施設がいいのだろうか、空地とするならそれをどう利用したいか、どう整備するか。それを地域ごとに考えるべきなのだと思った。

中心市街地ではどうすべきなのだろう。前項で述べた「なんとかなるだろう精神」でいえば、生きるためのスキルをここに暮らしながら学ぶことができるシェア畑、農地、流動的に多様なことを学ぶことができる施設?起業を応援する場?人との出会いで言えば、シェアハウスや別荘、娯楽施設だろうか。

哲学者のハンナアーレントは公共的空間について「人びとが自らが誰(who)であるかをリア ルでしかも交換不可能な仕方で示すことのできる唯一の居場所」と定義づけている。私は、他者に出会える場、さまざまな興味ややりたいことで繋がれる場もまた都市を豊かにするのではないかと思う。

4.関係性

震災復興について、「関係性の復活」が重要なのだという言及があった。真の意味での活性化とはまさにそのようなことなのだろうと思う。ある商店街で、次々にその店主のつながりのある店主の店を紹介してもらい周遊していくような1日を体験したことがある。長い期間の中で生まれるものだが、大事な視点だと思った。

5.共同意識

筆者は「まちづくり」を「他人の土地に、みんなのためになる提案をして実現すること」と定義している。そのためにはお互いが影響し合っているというような感覚、共にあるという意識が必要になるのではないだろうか?

はじめに述べた私の高校時代にお世話になった商店街では、商店街全体のなかの自分のお店という感覚がかなり失われていた印象がある。残っているお店は住居を兼ねた店舗であるという共通点があった。困っていないから干渉し合わない、または自分の利益のために空いた土地を建て直して住居としたり、駐車場とする。みんなが個人として国の成長のために頑張る時代から、それぞれの生き方のなかで土地利用を行うようになるのが豊かさにつながるのであれば、全体の中での自分であるという感覚、長い視野を持ってゆっくりと関係性を作り上げていく過程が大事だと思う。その間口を開け、そういった意識を持つきっかけをつくることもまたまちづくりを学ぶ人の役目であるんだろうな

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