趣味の振り返り (文学少女シリーズ)
これの続き、
本を買いはじめた時に最も印象に残っている作品はとある魔術の禁書目録シリーズだった
一日で2〜3冊よんで次の日に続刊を2〜3冊買うような日々を送っていた
そのときのことを思い出していて頭の中にふと出てきたのが文学少女シリーズである
さて
文学少女シリーズについて何か話そうと内容を思い出そうとしたが、
まったく思い出せないのである
主人公が過去を小説を書いて大ヒットさせたこと、文学少女のその人が物語を食べること、一巻が人間失格をモチーフにした話だということは思い出せるのだがそれ以外はまったく思い出せないのである
あのころ熱中して読んでいた作品でも思い出せなくなるのだ
ということであるのならば再度読み返して思い出して見ればいいという話なのだが
趣味の振り返りをしようと思いついた発端であるのだが最近本を読む時間が減ったなと思った
昔は
二度読む価値のないものは、一度読む価値もない
という偉人(マックス・ウェーバー)の名言をどこかで知ってほとんど全ての本を二度以上読んだものだが、
買ってはいるが読んでないという本が溜まっているのが現在の状態二度なんて読まずにさっさと次の本にいかなければ読めない本があるだろうという感じだ
さて文学少女シリーズの名前を出してそれについてまったく言わないのも何か申し訳ない気持ちがするので少し話をすると、
文学少女シリーズを読んだきっかけはその当時流行っていたからだと思う
ファミ通文庫っていったら文学少女シリーズかバカとテストと召喚獣の印象が強い
ラノベ読むことにハマっていた僕は新たなものとして文学少女シリーズを手にとった、あまり記憶ないことだけど立ち読みで最初のほうを少し読んで読めそうか確認して一巻を買った
そしてそれが面白かったので続刊も一気に買っていったと思う
すべてが曖昧な表現になっちゃうけれどそんな感じだ
一巻の感想をいうと
太宰治の人間失格を教えてくれた本だということだ
この本を読んでから人間失格を読んだ気がする、
その話もまた最初は覚えているが最後がどうなったか覚えてない、というより最後まで読んでいるかも怪しい
話は戻るが
世の中には二種類の人間がいる太宰治を好きな人と嫌いな人だ
ある意味では至極当然といえる話だけれど、こういう話をする気持ちはわかる
太宰治は好きな人はすごく好きだし、嫌いな人はものすごく嫌いな作家だと思う
僕は好きなタイプだ
人間失格の主人公が道化を自覚的にしていたように僕もそのことについて自覚的だ
恥だと僕はそれを言わないが
人間失格を読むと現実の友達より自分を知ってくれる親愛なる友ができた気持ちになる
そう思わん人がいるのも何となくわかるが
文学少女シリーズはわりと重い話だったけれど
遠子先輩と心葉くんの雰囲気は柔らかく温かくとても特別だった
気がする
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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