正しくありたい間違い
嫌いな人間がいったわけだ
何故嫌いなのかはそれは正当も正当と言える理由があって
端的にいじめられていたのだ。
いじめらていたそれはイジリだったとかそういう議論はどうでもよくていじめられていたいた時に思っていた。思いをここに吐き出したいのだ
いじめられていたならいじめてきたやつを嫌いになる。
これは普通、
そして嫌いなやつを死んでほしいと思う、階段から滑って死んでくれないかなとか2階から飛び降りて死んでくれないかなとかこの世のありとあらゆる不幸が降りかかってこいつはロクな死に方をしないでいて欲しい内蔵という内蔵が全て飛び散って無関心なままにそれらを踏まれるそんなふうに死んでくれないかなって、
消えてくれないかなって
ここまでは普通、
–なのかは分からないが
ここまで思って
自分が嫌いなやつになっていると思うのだ、自分が嫌いだと思ったものが自分の中に存在している。
そのことが私には嫌だった。
自分の中に自己矛盾が存在したことを明確に意識したことだった。
そしてある程度時を経て思うことは、
結構そういうことが溢れている
自分が悪口を言われることを気にするくせに自分は他人の悪口を言っている。
働きたくないと言いながら働く人。
こんな自分の中の矛盾を世の中の人は気にしない、というか気にしていられないのかもしれない。
頭を使うことをしたがらない人が多いということ最近になって気づいた。
疲れるから面倒くさいから、これは私も身に覚えがある。
でも答えのないことを答えを出さずにずっと考えたりしている。
そして悩みが多いと悩んでいる。
だから頭を使うことしたがらない人の代わりに頭を使ってみようと思う。
あまり悩まない私が、
自己矛盾についてのとりあえずの答え
自分が一つの人格だと別に思わなくていいという考え。
つまり
悪口言われたくないと思っていいってことそんな弱さを持っていい。
他人の悪口を言っていいってことそんな弱さを持っていい。
だってこの世の中のこと全て許せるような気持ちになることだってある。
もちろん全てをぶっ壊したくなることも、
頭がおかしいことをしちゃうこともある。
それら全てを自分が持っている時がある、そんなふうに思ってみたらいい。
悪いことを悪いことする人格に押し付けて生きたらよろしい。
とりあえず談、
私はいじめてきたやつを今でも許していません。そいつのことを思うと、この世から消えろと思う。
でもそんな自分が嫌いじゃない、
私がいるのです。
読んでくれてありがとうございました。
そんな貴方にこの全ての幸福があることを
と思います。
そんな私もいるのです。