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【ベトナム旅行記⓪】何もかもが嫌になってベトナムに逃げ出しただけの話

駅から降りた瞬間、肌にじめっと纒わりつく暑さと道路に響く蝉の声、心を灰色に沈めるその光景とは裏腹にもくもくあがる入道雲とやけに明るい空にうんざりしながら、十分近くの時間をかけ、重たい荷物とスーツケースを持って家に運ぶ。

ごそごそと手こずりながら財布から鍵を出し、家のドアを開けると相変わらず狭くてなんとなく埃っぽい部屋が迫ってきて、重たい荷物を置いてから急いでシャワーを浴びようと蛇口をひねると、どれほど待ってもお湯が出てこなかった。

情けない話だ。

長期の不滞在により、ガスが止められていたのだ。

仕方なくヒィヒィ言いながら冷水でシャワーを浴び、ドライヤーでさっさと髪を乾かして毛布にくるまって布団に寝転がる。

それで、そんな疲労と暑さのせいで目を開けたらなぜか十六時間が経過していて、愕然としながら体を起こすと何も食べず飲まず寝たきりの1日を暑い部屋で過ごしたからか、脱水と空腹で体が震えてめまいがした。

まぁこのまま気がつけばいつのまにかあの世にいました、なんてオチじゃなくてよかったけどさ。

なんだ、日本の方が過ごしにくいじゃんか。

脱力、無気力。なんとも言えないまま込み上がってくる厭世観と、自己無能感。

またここに戻ってきた。

多分大学三年生になったばかりの四月上旬、将来について考え始めた頃から、この感覚はずっとある。

一ヶ月ちょっと前、そんな倦怠感に追われて人生が嫌になり、就活だのなんだのについて考えることも辛くて、こんな無気力生活から抜け出したくなった私が考えに考え苦しんだ挙句にたどり着いた決断は、これだった。

「そうだ、ベトナムに行こう!!」

ベトナム。

一年生の時に一度行った以来、なんの関わりもなかった南の方にある国、ベトナム。

だいたい頭のイカれたネガティブ思考の人間なんてのは、窮地に瀕したときほど、ろくな決断をしない。ベトナムに特別私のやりたいことがあるわけでもなかったし、ベトナム語は正直一文字だって理解できない。それどころか、英語だって私ははろー、はうあーゆー、以外の言葉は喋れやしないんだ。

それでも、当時のおバカな私は思ったのだ。

ベトナムが私を呼んでいる、と。

というわけで思い立ったが吉日、その日のうちにベトナムのボランティア(このステレオタイプな発想も私のすっとぼけ具合を物語っている)を探し、別に子供が好きなわけでもないのに一週間孤児院のガk…子どもと触れ合うボランティアに申し込んで、その足で都庁にすっ飛んでパスポートを申請しに行った。

無駄なところで発揮される行動力、もっと現実·····というか社会に適応させていきたいものだ。

申し込んだのは一週間のボランティア活動だったけれど、思い切って飛行機は10日間の旅行として予約した。このときの私は、最後の三日間を一人で、ホーチミンで過ごすつもりだった。

ひとりきりのバカンスってやつだ。バカだけに。(ヘケッ·····)

そして8月6日の朝、私はこの日まで、自分がベトナムに行くことを家族と知り合い2人くらいを除いて誰にも、親友たちにさえ打ち明けることなく、唐突に空へ飛んだ。

驚いた人もいただろう。サークルは休みまくっていて(ごめんなさい)何をしているかもよくわからない私が、気がつけばベトナムにいたのだから。

とにかく今回の旅は非常に無計画に、そしてひっそりと行われたものだった。

なぜベトナムか?

理由はいろいろあるが、単純なものから上げてしまえばもうこれに尽きる。

「行ったことのある海外だから。」

だってそうじゃん。

怖いもん、ひとり旅で知らない国に行くなんて。

逃避旅行するなら、ある程度知っていて、自分の好きな国がいい。

ベトナムは大学一年生のとき、母親と姉と兄の四人で一緒に数日間旅行した。

(うちの家族旅行といえば大体父親抜きか、兄抜きのどちらかで行われる。理由は前作(https://note.mu/riyaaaaaac/n/ndd7ed0cc4a67)を見ればお分かりいただけるだろう。)

二年生の時には同じメンバーで台湾旅行にも行ったけれど、平和で美しく、優しい台湾は私には良い国すぎて、もう一度行きたいとは思えなかった。

でもなぜだろう。理由はわからないけれど、この2年間、私の心にはなぜか空気が淀んで治安が悪くて警備員が仕事もせずに路上でタバコを吸っているような、そんなキッタない国、ベトナムのギラついた街の光景と、そこへの望郷的な憧憬だけは、ずっと、心の奥底に切実に残っていた。

そして私は空を飛んだ。

といっても実際、ここまでの流れはスムーズに行ったわけではない。

私は今回ベト○ェットという格安航空を利用した。出発予定時間は8時50分。

空港には出発の二時間前には着いておきたいから、自分の家からだと始発で出ても間に合わない。

だから仕方なく姉に頼んで都心に住む姉のアパートに泊めてもらった。

姉は毎日朝から晩まで仕事の忙しくて寝不足な人なので大変に申し訳ないことをしたが、突然の私の申し出を快く受け入れてくれた上に、簡単な夜ご飯までご馳走してくれて、朝には私を起こしてくれた。神か。小さい時に姉ちゃんが寝ている間に瞼にわさびを塗って遊んでたことを流石に恥じた。ありがとう、姉。あのときの言い出しっぺは兄ちゃんなんだ。主犯はあいつなんだ。

だが、そこまでしてもらったのに、ベト○ェット。

あろうことか、空港に到着したときになって

「10時40分に出発します」

というけろっとした顔での遅延宣言である。

そしてさらに、10時40分になっても飛行機は出発しなかった。

まだ飛行機が到着してないだとか言われて、当たり前のように一時間以上待たされてしまう。

そんな哀れな私たちを見て、ベトナム人と思われるスチュワーデスさんが一言、

「ソーリー、ディレイ。」

ディレイじゃねぇよ!

こちとら朝何時に起きてここに来てると思ってるんだ!

お前たちが遅刻してるんじゃないよ!

結局出発したのは12時くらいで、到着も当初の予定13時から大幅に遅れた16時過ぎくらい。

後から調べたところによると、ベトジ○ットっていうのはベトナムでは「遅延率100%」と揶揄されるくらい、遅れる率も遅れる時間もネタになるレベルにデカいらしい。

いやはや、格安航空って本当に信用ならないね。

硬いシートに揺られてなんとか目的地に着いたけれど、幸先とても不安だ。

空港に着くとボランティアのアシスタントを務めてくれるベトナム人の女性、ソンさん(仮名)が待ち構えていた。そしてこのとき、私はボランティアでこれから一週間活動を共にする女の子、はるのちゃん(仮名)とも合流することになる。

髪の毛をくるくるに巻いて、赤リップをデデンと決めた気の強そうな女の子だ。

正直苦手なタイプだ…。と初対面でそう思ってしまった私は、ほぼ一言も会話を交わすことがないままホテルへと向かった。明日からまたボランティアの人は増えるから、その時仲良くなればいいや、と。

そして、夜ご飯はきっとソンさんがどこかに連れてってくれるか、ホテルで夕食が用意されているのだろうと、そう、思っていた。

甘かった。

ホテルに着いたのは現地時間で17時頃。

ホーチミンのタンソンニャット空港から車で30分ほどかけて向かった先は、ベトナムの汚い街を通り抜け、ホーチミンからも車で15分以上は離れたところにある、観光客なんて一人もいないような下町で、汚くて臭くてバイクが道路に溢れかえったうるさい道路の脇にある、小さくてボロいホテルだ。

なぜ電気代をケチったのか、真っ暗なロビーの中から黒いシャツを着たヤクザみたいなお兄さんがどっかりと座ってこちらを睨んでいて、その人から鍵を受け取る。

なんだここ、こええぇ。

はるのちゃんと部屋に向かおうとしたとき、ソンさんが拙い日本語で私たちに向かってこう言った。

「じゃあ、夜ご飯は各自で。Wi-Fiは二人一個だから、今日は二人で行動してね」

……は?

はるのちゃんをちらりと見た。赤リップはいかにも疲れて不機嫌そうに歪んでいて、そのオーラは羊みたいなか弱いメンタルで人見知りの私にとってはとても怖い。

これから彼女と二人で行動?

しかも、女二人でこの治安の悪そうな夜の街を出歩く?

言葉も通じないのに、ご飯を食べるために、外をふたりだけで?

あまりに放任すぎるだろ!!

しかし、そんなことも言ってられない。

ソンさんは私の気心なんて一切知った様子もなく、けろっとした顔でホテルから出て行った。いやベトナム人。かよわい日本人女子大生をこんなとこに置いてくな。

というか、嘘だろ……。

というわけで、私のホーチミン旅行は飛行機の遅延から始まり、少し苦手な女の子と二人で、観光客の一人もいないような郊外に放り出される、というところからスタートしたのである。

続(けばいいなぁ・・・)

あのこ
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オ…オ金……欲シイ……ケテ……助ケテ……