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トレイかトレイでないか

カラオケボックスのドリンクバーにトレイが見当たらなかった。

平日のわりにお客が多かったようで、食器の返却コーナーはカップやストローで溢れかえっていた。使用済みのトレイは山積みだった。

温かいドリンクと冷たいドリンクの2つを持って上の階に向かいたい。やはりトレイを使う方が無難だろうなぁと、未使用の1枚を探してキョロキョロしていたところ、タイミング良く店員が通りかかった。

「あのすみません。トレイってありますか?」

初めて見る顔の店員だった。彼女はこう答えた。

「あっ、はい!そこを真っ直ぐ行っていただいて、突き当りを左に行ったところです!」

遠すぎる…いや、そうじゃない。彼女はえらい勘違いをしていると察して、わたしはこう返した。

「いやぁ、トイレではなくて」

彼女は頬を赤らめて厨房へと引き返すと、洗いたてのトレイを持ってきてくれた。

わたしはコーンポタージュとコーラを載せて、階段を上り、部屋へと足を進める。

それにしてもどうだろう。「トレイ」と「トイレ」を聞き間違えられたのは、生まれて初めての経験である。

読み間違えはあった。コールセンターで働いていたときに、電話の向こうで「受信トレイ」を読み間違えるご老人はいた。

彼は言った「受信トイレには何も入っていません」と。

トイレに何か入っているとしたら、それはアレなので、それはそれで良かったですねと心のなかで呟いた。

もう一つの読み間違え経験は、カプコンワールドというクイズゲームだった。

4択問題の選択肢に「トイレットペーパー」と「トレイットペーパー」がまぎれていて、反射的に「トレイットペーパー」を選んでしまったという痛恨のミスである。

「トイレ」「トレイ」は字面が似ている。だが、聞き間違える要素はどこにあるのだろうか。

自室の扉を閉めてからも、しばらくこのことを考えていた。

「トレイ」ではなく「トレー」と語尾を伸ばすべきだっただろうか。

「トレイ」ではなくて、"tray"と英語の正しい発音をすべきだったのだろうか。

そもそも発音の問題ではなくて、わたしの様子が「今にも漏れそうな人」に見えてしまったせいでトイレを案内されてしまったのではないか。そうだとしたら、ふだんの立ち居振る舞いを改めるべきではないか。

自問自答しているうちに、(ああ、そうか)と一つの名案に辿り着いた。ようやく充電器からデンモクを抜き取って、どかっとソファに腰を下ろす。

これからは「トレイ」と言わず「おぼん」と呼ぼう。

※休止中のブログ記事を再編集しました。

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