「同性を好きになる気持ちは分からないけど」 と友人に言われたとき
ふと思い出した友人とのやり取りがあったので紹介したいと思います。
私の立ち位置
私は自分のことを異性愛者/ヘテロセクシャルだとは認識していません。しかし、異性愛者の男性と結婚して長年生活を営み、子どもも設けているので何も言わないと周りからは異性愛者だと思われているようです。でも、セクシュアリティは見た目(表面)だけじゃ分からないんですよね。特に日本では結婚制度は異性愛者しか利用できないものなので、「結婚している」=異性愛者であるという前提を持たれるのは80%は仕方ないと思いつつ、20%はモヤモヤしながら「カミングアウトの意義とは」を日々の隙間に考えております。
最近、彼女ができたお隣のママさん
さて。先ほど申し上げた友人には私の立ち位置を伝えている数少ないひとりです。その友人はこれまで異性とお付き合いしてきた女性の方で、結婚してお子さんもいらっしゃる。ぶっきらぼうに申し上げると「異性愛者」です。
その友人の近所に住むお母さんについての話題から始まりました。
曰く、そのお母さんは我が子の父親とは別れていたのだが、最近なにやら新しいパートナーが出来たようで、なんとそのパートナーは女性である。と。その話しをしたときの友人は直接的な言及は避けていはいましたが、表情から明らかに驚き、戸惑い、そのお隣さんへの信頼感の不審?「ちょっと、あの人、大丈夫かな」みたいなものを私に訴えていました。子供への影響、みたいなことも案じていたような言動もありました。その場では私は特に何も言いませんでした。フリーズして何も言えなかった、というのが正しいかもしれません。
その友人には以前、自分は同性(この場合は女性)にも惹かれることがある、そういう過去があったと打ち明けたことがあったのですが、その場の友人の言動は、まるで私を友人と同じ側にいる者・異性愛者であるかのように扱っているようにしか感じられなくて…私のあのときの勇気は何だったんだろう…?って思ってしまいました。セクシュアル・アイデンティティが個人のパーソナリティの全てではないし、その友人は私のセクシュアリティなんか気にせずに私という個人と友人関係を続けてきてくれている、それはもちろん、有難いことなんです。分かってます。でもね、大っぴらにしていない個人的な事情を打ち明けた私の気持ち、もうちょっと友人に届いてほしかったです…。期待してしまっていました。
私のように異性だけじゃなく、同性(及び他のジェンダー)にも恋愛感情やセクシュアルな感情を抱く人はマジョリティではないって、理解はしていました。していたけど、それに対して「あれ?大丈夫かな?」「ちょっとおかしんじゃない?」というメッセージを正面からどーんと突き付けられるたときに受けた心の動揺は正直、想定以上のものでした。相手が私のことを同じ側にいる(異性愛者)だと思っているからこそ、彼らの「当たり前」、本音がダイレクトに突き刺さってきます。この出来事から数年は経過していますが、当時の感情を思い返してはまた胸の奥が痛くなってきました(苦笑)自分は『彼らにとっては当たり前じゃない』ところにいるんだな…と。
同性にも惹かれない人の感覚が逆に理解できない私
友人と別れ、家に帰り気持ちが落ち着いたその日の夜か次の日にメッセージにてその話題について触れてみました。メッセージで「やっぱり、これまで異性と付き合っていた人が同性の方とお付き合いし始めたら、ちょっとびっくり?しちゃいますよね。でも、異性と付き合っていたからってその次の交際相手がまた異性と限らないですしね~」となるべく重くならないように、でも私にとっては結構大事なことだよ~という微妙な匙加減を目指し、送信ボダンを押しました。
その後は友人から「同性に惹かれる人の気持ちは理解できない(/分からない)けど…彼らに寄り添いたいと思っています」(メッセージの記録が確認できなかったのですがこんな意でした)という真摯な返信をいただいたのですが、ここでふと気づいたのです。
逆に、私は、その「同性に惹かれる人の気持ち」を理解できない人の感覚が理解できない。異性にしか惹かれない人の気持ちが理解できない。
なぜなら私にとって同性にも惹かれることは至極自然なことで、そうじゃない世界は、私にとってあり得ない。だから、自分とは違う感覚をもつ人たちを「理解できない」/「分からない」という友人の正直なメッセージは、めちゃくちゃ共感しました。
他人の気持ちは、そもそも理解できるものなのか?
そして私は友人に以下のように返信しました(記録が残ってないので表現は違いますが)。
「自分とは違うセクシュアリティの方の気持ちを理解するのって難しいですよね。それで私、思ったんです。例えば、もしこの世界が「あべこべ」だったらって考えみたら…今、自分が、同性愛者が当然、マジョリティとされる社会に生きているとして、自分はマイノリティである異性愛者だとしたら、やっぱり言いにくいし、周りからも変だなって思われたら、結構つらくないですか?」
「あとは、セクシュアリティってもしかしたら食べ物の好き嫌いにも似てるかもしれません。日本人だったら例えば納豆が好きな方は多いですが、日本で生まれ育ったことがない人にとってはどうして美味しいと思うのか、あんなニオイのきつい物を食べようと思うのか、その感覚が全く理解できないですよね、たぶん。でも、別に納豆が美味しいと思う感覚を理解しなくてもいい。納豆食べるな!って他人から言われたら、え、この美味しさが分からないの?なんで?ってなりますよね」
この発想は、コペルニクス的転換?!は言い過ぎかもしれませんが、「理解してもらえない/分かってもらえない感覚」が伝わりやすいんじゃないかな?どうでしょう?
自分が他人に対して抱く恋愛愛情自体は、対象が異性だって同性だって変わらない(Aセクシュアルを除き)。そして、この感情がおかしい、間違っているんじゃないかと他人から否定されたときのなんとも言えない感情はだれだって経験したくないものです。(まさに私がその友人の言葉から受けたショックは、お勧めしたい経験ではありません)
私がここで伝えたいのは、友人個人の反応や価値観自体を批判したいのではありません。その友人は本当に思いやりがある人で、2024年の現在も私の大切な友人でいてくれています。あくまで、その友人の反応は異性愛者が前提である、ヘテロノーマティブな現代社会を反映したものに過ぎないので。そんな異性愛が規範とされる社会で、私はふらふらと浮遊していて、時折、角にぶつかって痛みを感じます。
あとがき
この記事はLGBTヒストリーマンス、歴史月間である2月に投稿しようと思って書き進めていたものでしたが、季節関わらず伝えておきたい内容だったので年が変わる前に投稿しようとキーボードを叩きました。異性愛者じゃないけど異性と結婚している方、どれくらいいらしゃるんでしょう。と思ったら、我が子の友達のママが、ディナーの席で自分はバイだけど~とさらりと話していましたのを思い出しました。かっこよかったな。私はまだ、そういう風にさらっと話せないので。