私はここにいる… I'm here.
10年やっているブログに投稿した記事を元に、文章を少し修正し、新たにイラスト付きでここに投稿します。
今年の初夏だったでしょうか。
野外でなら、と友人と1年半ぶりに再会したときのことです。
天気の良い週末といいこともあり、公園の芝生でのんびりしている人が結構いて微笑ましい光景でしたが、
ローラースケートでびゅんびゅん歩行者用の道を走り回る若者がいました。
私は「こんなところで、ちょっと危ないよね」と友人に話しかけました。
友人も同じように感じたらしく、
「この公園、結構変な人がいるね。さっきも女同士で抱き合っていた人たちがいたし。」
・・・・
確かに、さっき私もカップルらしい二人組の女性(たぶん、でも本人のジェンダーは見た目だけではわからないし)が親密な感じでまったりしているのを見て「微笑ましいなぁ」なんて思ったけど、でも、それを「変な人たち」と形容するとはまさか思ってもいなかった。
でも私は何も言えませんでした。
まず頭に浮かんだのは、下手なこと言って友人とギクシャクしたくない、でした。
・・・帰宅してから、その場にはいなかった夫(おっと)にこの出来事を話しました。
「友人はクリスチャンだし、だからっていう訳じゃないけど、やっぱりゲイの人達を好ましくは思っていなんじゃないかな」と極めてシンプルな反応。
何がもやもやするって。
私は普段、クィアとかLGBTQ+に嫌悪感を示す人は、基本的に「人として終わり」だと思っていたんです。
でも実際に、いろんな面で尊敬もしていて仲良くさせてもらっている友人が、そういう態度を取っているのを目の当たりにして湧いた感情は「怒り」というよりも、ただただ、ショックでした。大げさかもしれないけど「悲しみ」に近いものでした。
英語のupsetting という言葉が、あの時抱いた感情に一番近いかな。
友人が示したあの態度は自分に向けられたものではなかったけど、その「変な人たち」は…私がいつも大事に大事に胸に抱いている、レインボーの精神を共有している人たち。
その「変な人たち」は、もしかしたら存在したかもしれない過去の私でもあり、パラレルワールドに存在していたかもしれない、現在の私かもしれないし、はたまた未来の私かも知れない。
私にとっては自分を否定されたようなものです。
これが友人ではなく、自分の親など家族だったしたら、と考えると余計胸が苦しくなります。
この気持ち、何だろう。
カミングアウトしてない、クローゼットにいる人が経験する感情に近いのかなぁ。
友人はいわゆる「ママ友」として出会ったので、私に夫がいて子供がいるという事実を元に私は異性愛者だと判断しているんだろうと思うんですが・・・。
そう見られるのも仕方ないのだろうけど。
でも、私はそうじゃない。私は…。
このモヤモヤした気持ちの持って行きどころがわかりません。
だからと言って、すぐさま友人と「縁を切ろう」なんて思うことも、思えることもなく・・・。
今でも私にとってとても大事な友人で、いろんな面で尊敬している人だからこそ、心が引き裂かれる気持ちになります。
今は10月で、あれから時間がたいぶ経ったけど、時々ふとした時に思い出し、いまでも涙が出てくるほど辛い気持ちになります。
I'm here.
"We’re here. We’re queer. Get used to it.”
インターネットで見つけて良いな。と思ったフレーズをイラストに描きました。