mouthwashing面白かったです
ゲーム表現でこういう内面世界のぐちゃぐちゃしてるところを描写されるの好きだな~っていつも思うのでこういうゲームはかなり好き。
それはそれとしてストーリーはまじめに読み取ると胃もたれするというか元気ないときにやらないほうがいいと思う。そういうゲーム。
いや精神世界系のゲームはみんなそうじゃないか? そうかも。
なにか一つでも掛け違いが起きなければここまでの悲劇にはならなかったんじゃないか、そう思わせるようなゲームなのが最高ですね。まあ全てが破滅に繋がったんですけど。
パッド操作だったのでワクワクスウォンジー追いかけっこで銃を構えて撃つためのボタンがやりづらいな~(たしかBかなにか押して構えてた)構える間に斧でぶっ叩かれるよ~って思ってリトライ繰り返してたんですけど、途中でLで構えてRで撃つことができると気づいてで解決しました。
ゲーム部分で一番難易度高かったのはこの追いかけっこです。
あとはまあ歩いてるかじっくり見ればなんとかなります。
ここからは個人的な解釈の話。メモ帳に思いついたことをつらつら書いてるためあまりまとまりがない。かつ思考の歯抜けが多い。
ホモソーシャル的関係は歪んだ家族関係?
ジミーは元々そういう性格だったという部分はあるんだろうけども、それを強化してしまうのはカーリーがいるからではないの~っていう憶測。
いい歳して、というのはそうなのだけどまさにそのいい歳になるまでそばでカーリーから「二人ならなんとかなる」→(お前は一人じゃなにもできない)という意識の刷り込みをされてたら~なんていう妄想。
カーリーとしてはそういうつもりではなくほんとに今まで二人で頑張ってきたよねって気持ちで言っててもカーリーのようになれないジミーからしたらコンプレックスを刺激され続ける言葉になるというか。
だからジミーは強い劣等感を覚えるし、“美化したカーリー”に成り代わって自分が上手くやることを望んでる。でも同時にそれは自分自身の考えではなくカーリーだったらというエミュレートにすぎない。
一人では上手くできないという点でジミーと共通するのはやっぱりダイスケ。努力の方向音痴と言われるように見当違いのことをやって怒られるダイスケだけど、本人の愛嬌や素直に謝ったり助けを求めることができるところが大違いというか対比になってる感。
スウォンジーとダイスケが擬似親子としてポジティブサイドであるなら、カーリーとジミーは疑似家族、兄弟のネガティブサイドなのかなあとか(親子にしないのは歳が近そうなので)。
カーリーが100%健気で善良とは私は解釈できなくて、アーニャからのいくつかのSOSを無視するとか細かいところで彼も責任から逃げようとしてる描写があるわけで。
性的暴行を行ったジミーを庇うのは親友、身内だからというのがあるし、ジミーのような人間をそばに置いているのは自分のケア要員というか理解者として常に肯定がほしいからじゃないのかなって思うんだよな。あるいは問題のあるジミーのフォローをすることで自分自身を強く見せていたのか。お魚ゲーのDLCでアイツを誘ったのは自分なんだという告白が事故後カーリーの内心であるなら、事態を認識していてあんなことになったのは自分が“巻き込んだ”せいだと思ってるのかな?
自罰的、かつ抑うつ傾向のありそうなカーリーと他責思考で無能なジミー。共依存っぽいですよねこの二人。これを健気と表現するのも、ジミーとカーリーのクソデカ感情と処理するのも私はちょっと抵抗あるかも。まあクソデカ感情といえばそうではあるんだけど、どっちかというと病的なほうっていうか。
アーニャからもっと心を開いて、と言われていることからおそらくカーリーは表面上は人当たりよくても他の船員と仲が良かったというには微妙だったのかも。本音を言えるのはジミーだけでそういう点では二人はたしかに付き合いが長く、信頼しているいい関係だったはず。ただやはりなにか食い違いが起きてたんだろうけど。
カーリーの内面としてはジミーが考えるほどには完璧ではないしよくできた人間ではなく、ジミーのような人間が必要だった。そしてずっと一緒にいるまでになったのはジミーだった。のでジミーは不要ということはなく荷物を運び終えてジミーが職を失ってもなにかにつけて一緒にいようとし続けると思う。カーリーはカーリーでジミーを手放したくないのではないか。
やっぱカーリーがジミーを抱くかケツで抱いてればよかったんじゃないのかな?
カーリーに悪意があってやってるわけではなく“良かれ”と思ってやってるわけだけど、そのせいでジミーはずっと自立心が育たないまま依存を強めたんじゃないのかなと考えたりしてしまうし、アーニャは訴えを退けられて誰も信じられないまま我慢を強いられるし。カーリーの“良かれ”は事なかれ主義にすぎないという感じ。
会社に所属していること、カーリーには向上心があり金を稼ぐことに対して相応に、あるいはかなりの欲があり事を明らかにしたらチャンスが失われるかもしれない、となれば事を荒立てないで弱い立場のアーニャにまあまあ…して何もなかったことにしようとしてしまった。
この事態を起こしたのはジミーなんだけど、原因はそういう細かなミステイクを重ねたカーリーでもあるのかなあとか。
労働環境がクソな運送会社が悪いというのはその通りなんですが世界観的にこの会社がクソなのかディストピアSF的な世界なのでこれがデフォなのかわからないから会社が悪い論は置いておきます。でも会社が悪いです。結論。そもそも密造酒らしきものを運んでる時点でお察し。
キャラクター間の感情も多いというほどではなく考える余地が大きく、こういうもしこうだったらみたいに考えられるゲームは楽しいですね。
他の人の感想漁ってたら、ジミーが行ったのはレイプではないんじゃないかという感想も見ました。アーニャが性暴力を受けていたことを告白したなら、たしかに話を聞いたあとのスウォンジーの態度は軽いんじゃないかという気もする。その後もジミーを監視とか対応をする様子もないし(逆に言えばここでも訴えても結局変わらなかったということなのかもしれない)。
となるとあのコクピットでアーニャがスウォンジーに話したことは子どもをどうするか(出産か中絶か(あの船内で果たしてそんなこと可能なのか?))の相談だったと考えるのもまあ頷けないことはないかも。
うむむ、という部分もあるが、同時にジミーの無責任さとしてはそっちのほうがもしかして合ってるかも? と思わなくもない。つまり一夜の過ちで俺に責任はないよな? とまた逃げたのだ。
二人きりで話し合い、妊娠がウソではないと知って呆然として外へ出ていく。だって一回だけだぜ? デキるわけないって思ってただろ! くらいの心持ちで相手から逃げたというのも、責任を果たせというメッセージとは合致するかもしれないな。まあこれは船長としてのという言葉なんだけども、そういう意味でも通じるかもという。
正直、ジミーが女性を道具扱いしてヘラヘラできるのかというと微妙な部分もあると思っている(もちろん女性を下に見てるので罪悪感はまったくないというのはありそうなんだけども)。
あんだけ罪悪感やプレッシャーで潰れそうな弱い男が、あの女が誘った(誘ってない)んじゃないか! とか言い訳もしないで内面世界で徹底的にアーニャを排除しているのは、「だって合意ではあった(まあそれがほんとに合意なのかは疑問。抵抗できる立場とは言い難いのもあり)んだから俺に責任はない」と思ってるんだったら救いようはないが納得はできるかもしれない。レイプしたことをなかったことにしてるのではなく、アーニャ本人に対して自分の責任はないと思ってる。思ってるがそれでも妊娠の告白がきっかけでジミーは自棄になり船を事故らせ、挙げ句にアーニャは死を選ぶため、馬のマスコットがその象徴として内面に影響を及ぼしているわけだけど。
つまりジミーはちょっといいかもと思った女性とそういう雰囲気になってノリでセックスしてしまったが、父親になる覚悟なんてないので向き合えうことができないままパニックになった、というのも筋が通るといえば通るかもしれない。
とはいえ、どうかなー。いい雰囲気になってヤってしまったというのもありだが、不同意の性交であった(おそらく衝動的なもので、日常的に性暴力があったわけではない)というほうが自然な気がする。
こんな風に他人から実は同意があったのでは、と突っつかれることも含めて性暴力を直接言葉にせず暗示するように表現してるのではないか。とは思う。