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音楽教室事件第一審判決を読む

 ヤマハやカワイといった音楽教室運営事業者等がJASRACを訴えていた「音楽教室事件」の第一審判決が2月28日(金)に出ました。原告のホームページに判決文が公開されていたので、判旨の詳細を確認すべく、早速一読してみました。なお、私は、ヤマハやカワイ等の音楽教室に通ったことはないので、事実認定で述べられている教室運営の実態の正確性については判断できません。

 現行著作権法における「公衆」の定義や、過去の裁判例やそこで示された判例法理からすると、第一審判決の結論は、世間一般の常識に沿っているかどうかはともかく、結論はある程度の確度をもって予測できたものですし、著作権法的には妥当であるといわざるを得ないと考えます。

 しかしながら、判旨の中で2点ほど気になる点がありました。

1.課題曲の選定が枢要な行為に当たるか?

 判決では、ロクラクⅡ事件最高裁判決で示された枢要行為論を採用したうえで、あまり詳細な論証をすることなく、「課題曲の選定」が演奏行為における枢要な行為に該当すると認定しています。

……ところで、音楽教室において利用される音楽著作物である課題曲の選定が演奏の実現にとって枢要な行為であることはいうまでもないところ……
(52ページ)

 しかし、演奏の対象を選ぶことと、実際に演奏することの間には、少なくない隔たりがあるように思います。たとえば絵画の模写(複製行為)をするときに、どの絵画にするかを決めただけでは、模写における枢要な行為が開始されたとはいえないように思うのです。下絵を描き始めるといった段階まで具体的に進まなければならないのではないかと思います。

 ロクラクⅡ事件の場合は、「複製機器への情報の入力」を規範的に評価せざるを得ない事情があったのだと思いますが、演奏や模写といったより具体的な行為が存在する場合には、それらの行為をもう少し自然的に観察してもよいのではないか、と思いました。

2.レッスンの目的は演奏技術等を学ぶことか?

 判決では、レッスンの目的を、発表会等への準備ではなく、演奏技術等を学ぶことにあるとしています。

……原告らは、音楽教室におけるレッスンは、教師や生徒が発表会等において他人に聞かせる準備として行うものなので、毎回のレッスンでの演奏について著作物利用料は発生しないと主張するが、音楽教室におけるレッスンは必ずしも発表会等への参加を前提とするものではなく、その目的は演奏技術等を学ぶことにある……
(62ページ)

 私は、とある民族楽器の教室に通っています(ヤマハやカワイの音楽教室ではありません)。これは法律論というよりも、自分自身の経験に基づく個人的な意見なのですが、レッスンの最終的な目標は、やはり発表会に出ることにあると思います。個々のレッスンはたしかにその進捗レベルに応じた演奏の仕方を学ぶことが目的だと思いますが、総体としてのレッスンは、発表会に出ることを目標としている面があることは否定できないように思います。

 発表会は緊張しますし、自分の練習不足を痛感させられますし、本音としては積極的に出たいものではないです。しかし、発表会という目標がないと、レッスンを受けていても散漫になるし、レッスンを継続しようという意欲にも欠ける結果になるように思います。演奏技術が向上してきたら、やはり誰かの前で実際に演奏してみたくなるものです。判決文は、そんな自然な感覚への理解が少し不足しているのではないかと思いました。

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