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対話型鑑賞で見えた「干渉」

先日、ある美術館主催の「オンライン型対話型鑑賞会」があり、小学生向けの絵画教室に通っている娘に、何か学ぶ機会になればいいと思い、親子で参加しました。

以前から対話型鑑賞は興味があったのですが、私みたいな「ど素人」が参加しても大丈夫なのか不安だったこと、そもそも場所が遠方で出かけること自体が難しかったので、今回が初めてでした。

対話型鑑賞とは?

対話型鑑賞 | 現代美術用語辞典ver.2.0 (artscape.jp)

対話型鑑賞とは | アート対話カフェ (art-dialogue-cafe.com)

zoomで他の参加者の方、美術館の担当の方とあいさつをし、そこから本題へ。(詳細は控えます)

2回に分けて絵画作品が出てきました。「題名」「作者」などの前情報はなし。

・作者が何を考えて描いたんだろう?
・これってどれぐらいの時期なんだろう? 

など、様々な角度から感じ取ります。

そして、思ったことを自由に発言します。別に正解・不正解はなく、「何を感じたか」が一番の要。だから、他の人が言ったことにも「なるほど!」と思うんです。

「絵のこの部分でこんな風に感じ取れるんだ・・・」と思うと、楽しくて仕方がありません。

ある程度意見がそろって、その作品の作者・時期が明かされて「なるほど」と納得しました。

進めていた時に大反省したこと。
イベントの途中、マイクオフの状態で私と子どもで話していて気付きました。子どもが「これって、○○かなーー」と言っているのに、私が「いや、これって××?」って否定していたんです。

「対話」であって、「正解・不正解」を探すテストではないのに、我が子だからと「対話から避けていた」ことに途中に気付いて自分自身が情けなくなりました。意図的ではないけれど、自分の価値観を押し付けている・・・。絵において、押し付けてしまうと、伸び伸びとしたものが描けなくなる怖さが頭にあるにもかかわらず。

大反省です。

一番の学びは「私がいかに子どもに価値観を押さえつけていたか」でした。情けない。

次にまた参加できるチャンスがあれば、作品を見ながらしっかり対話できる親でありたいです。

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