ゆっくり考え、すばやく行え
実家から今の家に引っ越す際に、収まりきらない荷物をレンタル倉庫に預けておりました。
荷物と言っても、プラモデルや本、DVDにレコード、LD、カセットテープにビデオデッキ、パソコン等々、中学生時代からため込んだあれやこれやを1畳ほどのスペースに山積みにしてたんです。
良く言えば、僕自身が歩んできたり学んできた記憶のアーカイブ。悪く言えば食い散らかしてきたモノの残りというか。
そして10年以上、その歴史を倉庫にしまい込んできたのに、そこが閉鎖される事となり、アーカイブもどうにかしないといけなくなったのです。
で、別の倉庫に引っ越しすることにしたわけですが、その際荷物の量を半分ほどに減らす事になりまして、退去までのしばらくの間、深夜にひっそりと「これは大事だから残す」「これはもう見ないから処分」などと分けてたりしたんですが、意外に持ってた事を忘れてるモノも多かったんですよねえ。
「こんな本買ってたっけ?」「このレコード処分したと思ってたのに!」とかね。
もちろん、その記憶から抜け落ちてたモノもやはり自分が歩んできた途中で何らかの役に立ったことは間違いないんですが、改めて見てみると「自分の過去」と言うよりは、マルチバースにいる「もう一人の自分の過去」と出会ったかのような気分も感じました。
なので、いわゆる断捨離だとか終活などという、個人的にイヤな言葉ではなく、新たな発見(モノだけではなく、気持ち的に)も多い片付けとなりました。
時期的に年の瀬の大掃除のような感じではありましたが、やってる事は(1980年くらいから)2022年を締めくくるって気分ではなくて、これから先を歩んでいく、学んでいくための容量を開けておく作業になった気もしました。
いや、正直言うと「どれもこれも手放したくない!」というのが本音ではありますが、この往復書簡の最初の頃「階段があった場所で足踏みをしている」ってタイトルでも書いたように、何から何まで残していく事は難しいし、それをちゃんと保存していく事もまた難しい。
その上、これからも色々と本を読んだり音楽を聴いたり物作りもしていきたいとなると、倉庫だけじゃなくて頭の容量ももういっぱいいっぱいですよ。
なのでクラウドに保存じゃないですが、誰か必要な人の手に渡って、その人が有効に活用してもらえば良し、と。
でもって、こっちの容量の開いた分は、次の事を考える用にしていくきっかけになったんではないかと無理矢理にでも思うようにしているんであります。
「考えるというのは、次に続けるための時間でもあるのだと」とヨーリーが書いていたのを読んで、思い出したのはバスター・キートンの言葉です。
「ゆっくり考え、すばやく行え」
色々あった2022年ももうそろそろ店じまい。随分と長い事考えてしまってましたが、2023年からは行う事を進めていければ良いなと。
せっかく開けたスペースに、また面白いモノをバンバン入れていく年にしたいもんです。
では、そんなこんなで今年もお世話になりました。
また来年もよろしくお願いします。
良いお年をー!
2022/12/31