濃淡こそあれ

驚いた。
自分以外にも同じこと考えている人がいるなんて。
自分は宇宙人だと思っていた私と同じくして、自分を火星人だと思うことで地球で馴染めないことに理由づけをして、そのときをやり過ごしている人がいた。

「楽しい」とか「嬉しい」とか「おもしろい」という感情はちゃんと味わうことができる。もちろん、怒ったり悲しんだりもできる。目の前で起こるさまざまな変化に対して、その都度感情は湧き起こるのだけど、根っこの部分がずっとうつろだ。

『死ぬまで生きる日記』-土門蘭

私は死にたいくせに気持ちが半端で死ねないことに、誰にともなく申し訳なさを感じている。生きていて申し訳ない、死ねなくて申し訳ない。死にたいくせに時と場合によって楽しんだり喜んだりして申し訳ない。意味がわからない。

自立は依存先を増やすことで、希望は絶望を分かち合うことだと聞いた。
カウンセリングは絶望を分かち合うための場。
ならもう少し気兼ねなく話してもいいのかもしれない。

幼少期の体験が人格形成に多大な影響を与えるらしい。
思い返してみれば、気づいたときには父親はいなくて、母親は離婚裁判やら仕事探しやらで精神的に不安定で、私はいつも家でも立ち位置がわからなくておろおろしていたような気がする。
見兼ねた祖父が面倒を見てくれていたが、やっぱり母親に見てもらいたかったのかもしれない。
学校でも風当たりが強く、嘘をつかれたり、無視されたり、何より私が挨拶できなかったり、休みの日に人だ会うのが苦痛だったりとできないことが沢山あったことから、人との交流が極めて少なかった。
だから注意を引こうと、褒められようと、「相対的・条件付きで自分を見る癖」がついていた。
だから私も、他人の関与しない条件なしの幸せを考えてみる。

・昼寝
・新しい言葉を知る
・日常系アニメを観る
・アイドルのライブを観る
・知らない街を散歩する
・ものづくり

文字に起こしてみると結構多い。

人間は本能的に『幸せ』に対して恐怖を感じる
失うのが怖いから苦痛らしい。
猫を飼いたいのだけれど、猫が死んでしまうことを想像してしまうと辛いだろうから飼えないとか、心当たりがある。

マザーリングとは自分の感情を反芻し、受け止めること。怖がっている自分を非難しないでありのまま受け止めること。
自分がいつも自分のこと嫌いで味方してあげることなんてないから、これはちょっとずつ。
あと、問題は解決しようと思わなければただの事象というのも盲点だったかな。

過去の自分と今の自分が繋がっていないというのもしっくり来た。
過去の自分のことはいつだって嫌いで、今の自分のことも。未来の自分のことはわからないから期待する。過去の自分のことを好きになれないのなら、いずれ過去になる未来の自分のことも好きになれないということ。それはとても悲しいので、過去の捉え直しも有効かもしれない。できれば直視したくないけど。


認知行動療法とは感情から距離を取る方法で、

感情→出来事→自動思考→反証→反証後の感情→行動

本を読んでいてもお皿を洗っていても、ふとすると過去に意識が飛んでいることがある。
思い出したくない人のこと、思い出の数々をまるでついこの前のことのように思い出せてしまう。

そこで反証し、客観視する癖をつける。
特に私は決めつけや思い込みが激しいきらいがあるから、試してようと思う。

毎日この先の生き方について考えているし、現状をなんとかしたいと思っている。
全部投げ出したくなってしまうときもある。
そういうときにカウンセリングを予約する。
その日までは地球にいることにする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?