人は何かに依存して生きているというのが本当なら、私の依存先は言葉だ。 酒も煙草も人付き合いも楽しめない私は、活字に救われてかろうじて生きながらえている。 自分が気になった言葉や文章は必ず自分の人生と関係しているらしい。 読んでいて引っかかった言葉を必死に集めているノートがある。 読み返すと、何でそこを引っ張ってきたのかがわかる。自分のことだから、よくわかる。 髪をまた短くして、パーマをかけた。 戦線離脱したような気がした。 似合う似合わないより先に、戦線離脱。 世俗に囚わ
自分より仕事のできない人がいると安心する。 下を見て安心する人生。学生の頃からずっとそう。
驚いた。 自分以外にも同じこと考えている人がいるなんて。 自分は宇宙人だと思っていた私と同じくして、自分を火星人だと思うことで地球で馴染めないことに理由づけをして、そのときをやり過ごしている人がいた。 私は死にたいくせに気持ちが半端で死ねないことに、誰にともなく申し訳なさを感じている。生きていて申し訳ない、死ねなくて申し訳ない。死にたいくせに時と場合によって楽しんだり喜んだりして申し訳ない。意味がわからない。 自立は依存先を増やすことで、希望は絶望を分かち合うことだと聞い
カウンセリングってなんだろう。 悩んできたことを言葉にすると、カウンセラーが課題を抽出してくれて、解決策を一緒に考えてくれる時間という認識。 私が話したことを何やら熱心にメモしてくれていた。 a4用紙の裏まで使って。 健康診断の採決結果を提出していないから内科的な疾患が疑われているのか、2回目の受診となった前回でも病名は告げられていない。 もしかしたら、私は病気じゃないのかもしれない。だとしたら、ただの甘えになってしまう。 それはそれで怖い。 やろうと思えばできるんだと思
回避性パーソナリティ障害は無菌室から出られない病気と言えばイメージしやすいかもしれない。外に出たら日和見感染してしまう。感染が怖いから、精神と時の部屋から出られない。こちらは無害で有害なのは外界。でも無菌室の窓見る外は楽しそうで、何で生きているのかわからなくなる。これ治るのかな。
先日、ある集まりに参加した。 少人数の方が話しやすいと思って、初めてで不安だったけど思い切って申し込んだ。 同じような趣味があるからか、穏やかな方々で居心地が良かった、最初は。 私は自分が人と話すことに苦手意識があることを克服しなくてはならないと思い、生徒会に所属しことがあった。 約1000人の前で演説をし、荒治療だがこの場を乗り越えられればグループワーク程度では緊張しなくなるだろうと信じて意を決して立候補した。 経験してみて、以前よりは吹っ切れた感じがあった。やるしかな
1人では生きていけないの意味がわかったような気がした。 自分1人で仕事しているわけではないと頭ではわかっていても、ふとするとそれを忘れてしまっている自分がいると気づく。 事務職に就いて4ヶ月目。一通りの業務がこなせるようになってきたことで、協働しているという感覚が薄らぐ4ヶ月目。 新卒じゃないのに叱ってもらえて、今更ながら社会人のいろはを学ぶ。 家に帰って反省するために、反省メモを持ち帰ってきた。 今までだって何も考えずに働いていたわけじゃないはずだった。課題と解決策を
あるからわかる。 私たちは認識できる範囲でしかこの世界を見ることができない。 それを認識できるということはそれについての見聞を蓄えているということ。 知らないことについて語ることができないように、それに気づくことができるということはそれが何であるかを了解しているということ。 優しいねと言える人は、何が優しいかを知っている点において、その人も同様に優しいと言える。 ほとんど受け売りだけど、最近よく頭をよぎるので。
答えが出ないことをあれやこれやと論じている哲学者たちの考えを知るのが楽しかった。 そこで自分が思いの外、人の考えを聞くことが好きなのだと気がついた。 日常的な瑣末なことを徒然なるままに綴るブログには書き手の人となりが如実に現れる。 言葉の選び方と世界の見え方は相関している。 自分の世界が拡がっていくのは面白い。哲学的な話はとりわけ、解がない分個々でで考えが違うので聴いていて楽しい。 学生時代は総じて辛かったことから、死について考えない日は無かった。仕事柄、最期に立ち会う度
転機は小学生時代の転校だった。 引っ越す前までは成り上がりの人間関係。 正直なところ記憶がほとんどないけど、ある場合の対応でAとBの選択肢、あってもCまでの3択だったものが、学年が上がるごとに複雑化して記述式になってしまった。 そうなってからは正解を導き出すことが難しく、失言が増え孤立することが増えた。 悪気なく言ったことが相手には嫌味に聞こえることがある。そう言った経験から黙っていることが増えた。 その大人しさにつけいられ、人間関係においては利用されることが多かった。
適応障害を発症していた頃のこと、人は喉元過ぎれば暑さを忘れてしまうとはよく言った物で他の人のnote読んでそういえばそうだったなと思いだした。 息がしづらくて内科にかかって、肺は綺麗ですと言われたときの気持ち。 眠れなくて涙を流した夜。 たった一年前のことなのに昔のことみたい。
自分は枠に囚われすぎている。 これは今まで当たり前にそうだったから気がつけなくて。 主張が弱くて流されやすい私は、周りと同じでなくては安心して呼吸できないから。 お腹が空かなくてもご飯を食べる。口に入れてしまえば、意外と胃に入る。 今食べておかないと退勤まで食べられないんだから、もし食べないせいで迷惑をかけてしまったらどうするんだと、食べない選択肢を排除した。 一回辞めてみた。昼ごはんなし。 食べようが食べまいが何も変わらなかった。 強いていうなら顔の肉が少し減ったような
私は今までマッチングアプリを始めては辞めてを繰り返してきた。 そこで何人か会ってきたが、回数を重ねても好きになることはなく、むしろ嫌悪感すら抱き始めブロックしてしまうのが常だった。 友達曰く当たった人が良くないらしいけど、私からすれば優しい人ばかりで、嫌なことを強要してくることもなくで。 単に私の理想が高いのかと思って、何様のつもりなのかと自分に嫌気がさした。 アプリとはいえ真剣に将来のことを考えようとしている人もいる中で、私はなんで不誠実な気持ちで連絡を取っているんだろうと
これが好きだといえることが羨ましい。 自己紹介で当たり前のように私の趣味はこれですと言えるクラスメイトが不思議でたまらなかった。 大体、好きってなんだろう。 好きというからには、それについて聞かれたらその辺の人よりは詳しくないといけないという義務感や使命感のようなものが私にはある。 だから迂闊に好きだなんて言って、にわかだと思われるわけにはいかない。 かといって、詳しくなりたいと思うほど熱を上げられるものに出会ったことがない。 そんなこんなで「趣味は寝ることと美味しいご飯を食
今日、晴れ着で颯爽と歩く新成人の姿を見かけ、最近読んだ本に「自分の時間がほしいと口癖のように言っているけど、時間は人と共有してこそ価値が生まれる」と書かれていたことを思い出した。 私にとっては耳が痛かったから忘れられない。 私は人と関わることは極力避けて生きてきた。 幼い頃から内向的であったが故に雑に扱われることが多かった。 また、相談することが苦手であることが裏目に出て嫌われることもままあり、学生時代はカレンダーの日付に斜線を引くことだけが楽しみだった。 行事の打ち上
貯金を切り崩しながら生活してきたが、流石に8ヶ月も収入がないと預金残高を見るのが怖くなってくる。 何かと理由をつけ布団から出ない生活に終止符を打つべく、手始めに派遣会社に登録した。 退職後してからの8ヶ月間、本当に布団から出なかったわけではない。 まず、日商簿記2級を取得した。 その後、職業訓練校へ通い、office系ソフトを一通り使える知識を身につけた。 その証明になればとMOS(word,excel Expert・power point)を取得した。 異業種への転職を希