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死産から10ヶ月を振り返る

当事者になってみてわかること。死産の辛さは、告知された瞬間や産声のない出産はもちろんだけれど、日常生活に戻って噛み締めることが始まって本格的に辛い期間が始まるのではないのかなと思う。入院や退院してすぐはnoteを書いていたけれど、何ヶ月も経ってからどういった心情なのかを残しておこうと思った。同じ経験をされた方が共感したり何かのきっかけになったりするといいなと思う。

少し前に下の娘を死産で出産して10ヶ月。
毎月、月命日というか月誕生日はお気に入りのお花を飾る。今回はオレンジのガーベラを飾りながらもう10ヶ月かぁと思う。10ヶ月も経つと、入院や出産、可愛い娘の顔の記憶の輪郭が少し曖昧になってくる。そうなってくると、夢や幻とそう変わらなくなってきて、どうしても忘れられない瞬間とどうしても曖昧になっていく記憶とで不思議な気持ちになる。半年過ぎた頃まではたまに落ち込む期間がやってきたけれど、今はふと寂しくなったりはするけれど、鬱みたいになるようなことはない。
それには時間が経っただけではなくて、ちゃんと「しかたがない」と思えるようになってきたからなのではないかな。本だったり友人や家族の言葉だったりいろんな人たちのおかげなのだけど、宇多田ヒカルさんのインタビューで知った「マイクロキメリズム」を知ったことが私の中で今も喪失感を克服する大きな力になっている。

マイクロキメリズムとは、一つの体に異なる遺伝子を持つ細胞が共存する現象で、妊娠中に母親と胎児の間で細胞が交換されるというもの。
今存在している私たちにも、母親の細胞が残っているかもだし、出産や妊娠の経験がある場合はお子さんの細胞が母親の体内に移行して長期間にわたって残ることがあるという。

マイクロキメリズムが人体でどう影響するかはまだ解明されていないところがたくさんあるようだけど、免疫力を強化するものであったり、逆に自己免疫疾患(他者の細胞がある為自分の細胞が排除しようとすることで起こる疾患)の原因になる可能性、胎児から母親へ細胞が移行される場合、母親の健康の後押しになることもあるそう。

たまたまSNSで流れてきた宇多田ヒカルさんのインタビューでマイクロキメリズムのことを話していてすぐ調べて、こういう可能性があるんだということが昨年そろそろ生まれる予定だった我が子を亡くした私としては正直嬉しかった。
同時に嬉しく感じている自分にも驚いた。失くした辛さよりも与えてもらった喜びを大切にしてこうと切り替えたつもりだったけど、もしかしたら大切な“かけら”が私の中で私として生きてくれているのかも?と思うと改めて更に自分を大切にしようという気持ちになった。

もし、今死産を経験してまもない方がこれを読んでいたり身近な人が経験されていたりしたら、少し時間が経ってからでもいいのでこの「マイクロキメリズム」を知って欲しいなと思う。
今姿は見えないけれど周りはあえて死産のことを話したりしなくなっていくけれど、確かにあなたの赤ちゃんは存在していたし短かったけれどあなたと一緒に幸せな時間を過ごしたんだよ。そしてあなたの中にも赤ちゃんの細胞が残ってあなたの一部となって守ってくれてるのかもしれないよ。

せっかくのこの経験を抱きしめてこれからの人生に生かしていこうと改めて思ったこの人体の摩訶不思議。誰かの背中を押すきっかけになれば嬉しい。

今日も長々と読んでいただきありがとうございました!


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