(43)本を読んで思い出した感情
気づいたことがあったので今日は久しぶりに書くことにする。
最近は「せっかくの人生クヨクヨしているより楽しもう」と思えるようになり、毎日楽しく過ごしている。
友人と会って話したり、友人がご飯を持って遊びに来てくれたり、改めて美味しいものを食べて大好きな人とワイワイ話すことほど幸せなことはないなぁ。
もちろん赤ちゃんのことを思うと、いつも胸の右の方の同じ場所がズキン!と先が細い千枚通しのような刃物で刺されるような痛さがあるのだけれど、それと同時に可愛い愛おしい顔を思い出している。可愛い可愛い赤ちゃん。
ちょうど今日は火葬をして1ヶ月。
昨日我が家に遊びに来てくれた友人は読書好きでよく本の話しをするのだけれど、昨日は読みたいなぁと思っていてた本を持ってきてくれた。さすが!(泣)
西加奈子著「くもをさがす」
乳がんになった西さんの闘病日記で、癌がわかって日記を付け出したそうで日記に記した内容も書かれている。
私は死産がわかったから始めたのではないのだけれど、日記を始めて3日後に赤ちゃんの心臓の停止がわかったので、結果的にその経験を日々綴っていくことになった。こうなるために日記を始めたんだろうか?と思うぐらい。
状況などは違うのだけどやはり日記をつけたこと、自分で書いていることに私自身が救われている部分が私もすごく共感。
本の冒頭。もう始まってすぐなのだけれど、胸のしこりを見つけたけれど、これは悪性ではないだろうとか、ネット検索して安心できそうな情報だけを読んで…というようなくだりに自分のあの時を重ねた。
胎動が少ないかも?と思った朝、「私が気づいてないだけ」とか「前もこういう時あったけど結局すごく元気にまた動いてたよな」と思っていた。
家族で緊急外来に向かう際も、そのまま「なんともなかったね」と帰宅するだろうと楽観的だった。「まさか私が」と思っていた。
人間は「まさか私が」と考える生き物なんだろうな。
こんな経験があってもまたいつの間にか「まさか私が」と思うのだろう。
でも、それはそれでいいかと思った。
漫画「宇宙兄弟」の中での好きなフレーズ。
最悪のケースを考えながら楽観的な部分も残しつつ、最善の選択をしたのが今回だったと思う。
読み出しの冒頭でガツンガツンとやられていて一旦本を閉じてnoteを綴っている。
ふーー。
コーヒーを淹れてもう一度読み始めよう。
最近の近況でした。
慌ただしい年末になってきましたが良い日々を♩
今日も読んでいただきありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?