ピカピカ
肌寒いなと思ったら、雨が降っていた。娘も夫も寝てしまったみたいだ。今のうちにと洗濯物を畳みながら観ていた情報番組で、ペットボトル飲料の工場見学をしていた。ペットボトルのラベルは横から巻くのではなく、筒状にして上からかぶせるらしい。次々と降ってくるラベル、高速で進むベルトコンベア。列をなした白いラベルのミルクティーは、スターウォーズの機動歩兵にもみえた。
夫とは結婚して2年になる。私は2度目の、夫は初めての結婚だ。親しい友人にしか交際を伝えていなかったので、結婚を報告するたび、ほぼ同じ順番で「旦那さん何してる人?」「何歳くらい?」「どこで出会ったの?」と聞かれた。
「同棲を機に仕事を辞めて、今は専業主夫してる」
「16歳上なんだ」
「東京で友達とタクシーに乗ったときだよ」
会話を重ねるごとに、はてなマークが増え表情が硬くなる皆さんに悪気はない。このラリーは、これまた示し合わせたように「優しい旦那さんなんだね」という相手のウィナーで終わる。「どんな人?どこが良かったの?」とは案外聞かれないものだ。彼の尊敬できるところや年上でも短気なことを、伝えてみようかとも思う。でも結局、中途半端に開いた口を横に広げて微笑んでしまう。間もなくして、宙からストンと降ってきた透明なラベルがこの身に触れるのを感じる。ラベルにはこう書いてある。
“バツイチ変人女医とヒモおじさん”
ありがたいことにドクロマークは付いていない。
落伍者のレッテルを貼られる…など、レッテルを貼るという表現は否定的に使われることが多い。レッテルはもともとオランダ語で、英語でいうラベル、つまり「商品の瓶や箱に貼りつける品名などを印刷した小札」を意味する。なのに今や、商品でもなんでもない私たちがレッテルの貼りあいっこをしている。しかも、やや大きめの。
人間はもともと、ラベルのない瓶に入った得体の知れない液体のようなものだ。そう簡単に分けられないと知っているのに、自分基準でラベリングしてしまう。単純でわかりやすくあってほしいという気持ちはどこからくるのだろう。相手を容赦なく “そういう人” にしては安心し、自分が “ああいう人” にされれば苦しいのはなんだかおかしい。
前夫との別れを決めたとき、上司の奥さんに呼び出されて説得を受けた。
離婚したら、あなたに残された人生の選択肢は3つ。
① 仕事を恋人にして結婚は諦める
② 仕事も婚活も頑張るが結婚できない
③ 仕方なくしょーもない男性と再婚する
「それでもいいの?」と。
あまりのコメントに冗談かと思ったが、彼女は心の底から親切で言ってるのよという顔をしていた。それから数年後、私は今の夫に出会い、あの日に提示されなかった選択肢を生きている。しかし彼女から見た私は、でかでかと “③” のラベルをつけているのだろう。
夫の両親に初めて会ったとき、夫は私を「彼女はいしゃなんだ」と紹介した。それを夫のお父さんは “石屋” だと思ったらしい。良い歳した息子・若い女性・いしゃで検索をかけ、なんとかヒットしたそのラベルで、お父さんは平静を保っていた。その日の夜、お母さんが訂正してくれたそうだ。
結婚式はしなかったから、両家の顔合わせが唯一のセレモニーだった。人生初の飛行機に乗り、仙台から神戸まで来てくれた寡黙な夫の両親。1度目の結婚に反対しなかったことを悔いていても、それをおくびにも出さない社交的な私の両親。彼らを安心させたくても、不確かな未来しか持ち合わせていないおじさんと小娘。そんな6人で懐石料理を食べた。
夫の子供時代を聞かれたお父さんが「知らん!」と答えてそんなバナナな空気になるし、私の父は父で「うちの娘の良いところは、高校3年間、8キロの道のりを毎日自転車通学したところです!」とドヤ顔で言い出すし、落ち着いていたのは部屋の白檀の香りだけ…というトンチンカンな会合だった。それでも、そこにいた全員が、なんの縁だか向かいに座っている新しい家族を、まっさらな目で見ようとしていたことは確かだ。あの日は雲一つない青空だった。飛行機は行きも帰りも揺れることなく、富士山がきれいに見えたらしい。
変わった家族だと世間の目が厳しいこともある。その視線はふとしたときに甦っては、身も心も削ってくる。そんなとき、尊敬する大先輩に教わったのだけど、完璧な家族なんてどこにもないよな〜と心の底から思うだけで意外になんとかなる。そもそも世の中の “普通” がすでに架空のものだ。ラベルのない瓶のきらめきを、なんだかよく分からない液体を、そのまま愛でられる自分でいたい。
フリータイムの終了を告げる泣き声が聞こえてきた。洗濯物はちゃんと手が畳み終えている。夫が起きてくる気配はまるでない。寝起きの泣き顔でも撮影しようかなとドアを開けると、すべすべの赤ちゃんが満面の笑みで迎えてくれた。外はいつのまにか雨がやんで、曇天に光が差している。虹の向こうにどんな願いも叶う場所があるなら、ピカピカな君の健やかな成長を祈るよ。