白夜の海 Episode 5 【#シロクマ文芸部】
小説・エッセイを書いています、樹立夏です。
生きづらさを抱えた青年と少女の恋物語を書いています。
小牧幸助さまの下記企画に参加しております。
今回は、物語の重要な部分となる回です。
かなり重めの描写となっておりますことを、ご承知おきください。
これまでのお話は、こちらからどうぞ!
風車を巨人と勘違いして突進したドン・キホーテの頭の中のように、この光景が全て妄想だったらいいのにと、願った。灰色の取調室は、朝なのに薄暗い。小さな格子窓から入る光は、空気中に舞う埃をちらちらと光らせ、私を心細くさせた。
「眞子ちゃん、正直に教えて。黒森との間に、何があった?」
私は、右側に立つ女性警察官を見上げて睨むと、膝の上で握った両手に視線を落とした。とても疲れていた。もう、涙も出ない。話すということは、前提として、相手を信頼するということだ。この警察官を、信じてもいいのだろうか。
「お父さんが、あなたのお友達の野木美夕さんに話を聞いたの。南高の定時制に通っている生徒と、図書館で会っているって。眞子ちゃんと黒森が付き合っているって、それでわかったのよ」
やはり、口を割ったのは美夕だったか。それにしても、呆れて言葉も出ない。私は、美夕に、奏汰と私が「付き合っている」だなんて、一言も言っていない。昨日の下校時間の、美夕の歪んだ笑顔が脳裏に蘇った。私と奏汰が付き合っていると聞いたお父さんは、一瞬で激怒したことだろう。昨日のお父さんの顔が浮かぶ。美夕のことは、たったひとりの友人だと思っていたのに。私は、裏切られたのだ。
今の私に、信じられる人なんて、いるのだろうか。
家族も、たった一人の友人も信じられなくなってしまった。
私の世界は、あまりにも狭い。
奏汰のほかに、信じられる人はいない。
「眞子ちゃん。黒森に、何かされなかった? 体を触られるとか、その……」
痺れを切らしたのだろうか、女性警察官が、いきなり核心を衝いてきた。その発言は、私の脳をがんがんと強く揺さぶり、私は頭を抱えてうずくまった。
「大丈夫?」と、女性警察官が、私の背をさすろうとした。
「触らないで! お願い、私に触らないで下さい」
噛みしめた奥歯の隙間から、私は必死に叫び声をあげた。
「眞子ちゃん、黒森に体を触られたんだね? 嫌なことをされたんだね?」
女性警察官が、畳みかける。
逃げられない。自分自身からは、絶対に逃げられない。
奏汰は、私を守るために、お父さんを殴り、警察に連れていかれた。
奏汰の行動を、私は今ここで無駄にするの?
あの日見た、「ダナエ」の絵。
何も食べていないのに、吐き気がして、治らない。
それでも。
それでも。
もう、自分に嘘をつくのはやめよう。
「黒森奏汰さんからは、何もされていません」
「眞子ちゃん、黒森からの報復が怖いんだね。大丈夫、私たちがあなたを守——」
「違います。私に危害を加えたのは」
全身から血の気が引いていく。
「父です。私は、父からずっと、性的暴力を受けていました」
女性警察官が、絶句した。世界が、ゆっくりと霞んでいく。
私は真実を光のもとにさらした。決して、相手を信用していたからではない。私はただ、これ以上自分に嘘をつきたくなかっただけだ。肥大した嘘は、やがて暴走し、私自身を食い潰してしまうと、心の奥底では、ずっと前から解っていた。
奏汰の思いを、奏汰の行動を、無駄にしたくなかった。警察にこの告白をもみ消されても、それでいいと思っていた。奏汰は、私が悪いことなんて絶対にないと言ってくれた。奏汰に恥じないような生き方をしたいと、心の奥底で、私は渇望していた。
それからのことは、よく覚えていない。別室で、詳しく話を聞かれたように思う。私は何を話したのだろう。ただ、女性警察官たちの青ざめた顔だけが、うっすらと記憶に残っている。
警察署の椅子の冷たさを感じながら、私は、静かに目を瞑った。奏汰に出会って、私の世界は変わった。辛い出来事たちが、世界に向かって開かれようとしている私の心の殻を、絶えず閉じようとしている。私はその殻を必死にこじ開け、自分の翼で、外の世界へ飛び出した。
奏汰を探し出すために。
今度こそは、奏汰をまっすぐに見て、心の底から笑うために。
<来週、最終話です>
この回は、眞子が覚悟を持って真実を告白し、前に進むことを決めた回となります。辛い描写が多いですが、どれも削ることはできませんでした。
次週、最終話となります。
眞子も奏汰も、こんなに頑張ったのですもの、バッドエンドにはしません。絶対に。
もしよろしければ、お付き合いくださいませ。