王子のばら【#ウミネコ文庫応募】
すみれ色の瞳をした、それはそれは美しい王子は、今日も、見合い相手の心を踏みにじります。陶器のようになめらかで白い肌に、とてもよく映えるばら色のくちびるを、醜く歪めます。ほら、となりの国から来た可憐な王女が、がっくりと肩をおとして、国へ帰っていきますよ。
「王子さま、わたし、あなたさまの絵を描いてきましたのよ」
黒髪の王女が心を込めて王子の姿を絵に描けば、
「なんて気味が悪いんだ。そんなもの、さっさと捨ててしまえ」
と、召使いに命令します。
「こころにじんわりとしみる、すばらしい音楽ですわ」
翡翠色の瞳の王女が、何日もかかって選んだ音楽を、楽団に演奏させれば、
「こんなもの、ぼくの心にはちっともとどかない。楽器をみんな燃やしてしまえ」
と、命令します。
王女たちは、胸をときめかせて、世にも美しいと評判の王子に会いにやってきます。そして、必ず、最後にこう言い放たれて、すっかり元気をなくして、もときた国へと帰るのです。
「無理に笑うな。不愉快だ。さっさと出て行け」
王子の心の奥の奥には、だれも入っては来られない、秘密の部屋があるのでした。その部屋の扉は、かちかちに凍っていて、触れるだけで、一瞬でその手を骨まで氷にしてしまうのです。
大好きだったお母さんが死んで、王子は、その部屋にこもりきりになりました。その部屋からは、美しいものは醜く、温かいものは冷たく、優しいものは恐ろしく見えるのでした。
「生きるということは、なんとつまらなくて、つらいんだろう」
ぼくがすきになるような、すばらしい女性など、この世にはいない。
王女たちは、ぼくと結婚して、金持ちになるために、ぼくをだまそうとしているんだ。
王子はいつも、この世界が終わることを望んでいたのです。
ある日の昼下がり、王子は、城の庭を散歩していました。いつもどおりの、たいくつな午後でした。午後の光がやさしくふりそそいでも、そよ風がそっと美しい金色の髪をなでても、王子にはすべてが、うっとうしく思えます。
「みんな、ぼくをばかにしているんだ」
ふと、王子は庭の花壇に目をやりました。貧しい身なりをした、背の低い庭師が、懸命にばらの手入れをしています。王子はまた、腹をたてました。
「なんて邪魔な庭師なんだ。追い払ってやろう」
王子は、庭師に近づくと、美しいすみれ色の瞳を、まるでナイフのように釣り上げて、庭師の、ぼろぼろの灰色のマントを掴むと、思い切りはぎとりました。
すると、どうでしょう。
そこに現れたのは、どんな花よりも美しい、少女だったのです。
夜の闇よりも黒い、濡れたような大きな瞳に、午後の光の中で、きらきらと輝く、つややかな褐色の髪。
ほんのひと時の間、少女は王子をまっすぐに見つめました。
この世に、怖いものなんて何一つない、というように。
少女はすぐに、世話をしていたばらたちのほうへ向き直ると、優しい声で話しかけはじめます。
「いい子ね。とてもきれいよ。わたし、あなたたちのことがだいすきだわ」
少女は、ばらたちを見つめて、微笑みました。
王子は、何も言えず、その場に立ちつくしました。
優しかったお母さんのような、この世のどんなものよりもすばらしい、微笑みでした。
「おまえ、名前は何という」
少女の顔から笑みが消えました。
「名は何というと、聞いている」
王子は、おもいきり横柄に、ふたたびたずねました。
「ガルーシャよ」
ガルーシャは、背筋をまっすぐにのばし、王子に向き合いました。
ガルーシャの褐色の髪が、そよ風になびきます。ガルーシャの赤い唇は、今はまっすぐ一文字に結ばれています。
「ガルーシャ。ぼくが誰だかわかるか」
「いいえ、わからないわ」
ガルーシャは、見合い相手の王女たちのように、丁寧な言葉を使いません。庭師の仲間に語りかけるような言葉で話します。
「ぼくは、この国の王子だ!」
ガルーシャの瞳は、少しも震えません。
「あら、そう。わかったわ」
ガルーシャはそっけなく答えると、ばらたちの方へ、向き直ります。
ふたたび、ガルーシャの顔に、あのすばらしい笑みがもどります。
こんなことをされたのに、王子はちっとも怒ったりしませんでした。あの微笑みを、ぼくだけのものにしたいと、王子はガルーシャに胸を焦がしました。けれど、王子には、どうすればガルーシャが笑ってくれるのかが、ちっともわかりません。
「ガルーシャ、そんなみすぼらしい服は捨てるんだ。ぼくが流行りのきれいなドレスをあげよう」
「いいえ、いらないわ。私はこの服が好きなの」
「召使をあげよう。好きに命令するといい」
「いいえ、いらないわ。命令するのもされるのも、だいきらいだもの」
「城に住んだらどうだ。お前の貧しい家族も一緒に住まわせてやるぞ」
「いいえ、いらないわ。お城でくらすなんて、息がつまりそう」
王子は、ぐしゃぐしゃと頭をかきむしりました。
いままで見合いをした王女たちと、ガルーシャは、あまりにもちがっています。ガルーシャは、まるで、だれにもなつかない、のら猫のようでした。
王子はついに、辛抱できなくなりました。
「ぼくのきさきにならないか? 庭師の仕事なんかしなくても、すきなだけぜいたくをさせてやるぞ」
ガルーシャは、王子をにらみました。真っ黒なひとみが、ぞくりとするほどに、ただ、ただ、美しいのでした。
「わたしは、この仕事が心の底から気に入っているの。あなたも、ばらたちをよくごらんなさい。きっとあなたがどんなにばかばかしいことをいっているのか、よくわかるはずよ」
王子の喉の奥がつんと痛みます。目の奥から、涙があふれます。ずっと枯れていた井戸に、清らかな水が満ちるように。
王子は叫びました。
「どうして! どうしておまえはぼくに笑ってくれないんだ! なんでも与えてやると、このぼくが言っているんだぞ!」
いいえ、本当に叫びたいことは、そんなことではありません。
「みんな、ほんとうはぼくが嫌いなんだろう? ぼくが王子だから、いやいやぼくに従っているだけなんだろう? だれも、ぼくを愛してくれないんだ!」
ガルーシャは、射抜くような目で、王子を見つめました。
「だれもあなたのことを愛していないのは、あなたが、だれかを愛することを、怖がっているからよ」
王子は、心の奥の奥、冷たい一人きりの部屋から、ガルーシャをじっと眺めました。だれも見つけられなかったこの部屋に、ガルーシャは気が付きました。ガルーシャが纏う、温かい太陽の光が、冷たい氷を少しずつ、溶かします。王子は、怖くて、怖くて、たまりませんでした。本当の王子は、とても小さくて、弱くて、壊れそうなガラスの人形のようでした。
王子は、踵を返すと、城へと駆け戻りました。自分の部屋に鍵をかけ、きらびやかないすに、膝を抱えて座り込みます。ガルーシャに笑って欲しくて、王子はぽろぽろと涙を流しました。
考えに考えると、王子は、国一番の魔法使いを城に呼びました。魔法使いは、まだ十くらいの、赤毛の小さな男の子です。
「これはこれは王子さま。お望みはなんでございましょう?」
魔法使いは、びろうどのマントを翻すと、王子にひざまずきました。
王子は、心を決めると、重い口を開きました。
「ぼくを、ばらの花にしておくれ。どんなばらよりも美しい、とびきりのばらに」
「しかし王子さま、ばらになってしまえば、人間にはもどれないのですよ。ばらは、動くことも、言葉を話すこともできません」
「かまわない。それで、かまわないんだ」
魔法使いは、厳かに頷くと、魔法の杖をかざし、呪文を唱えました。
深紅のばらになった王子は、午後の庭で目をさましました。
風が、光が、何もかもが、人間だったころとはまるでまったく反対に、優しく、美しく、心地よいのでした。
さあ、可憐な足音が聞こえてきます。
ガルーシャが、ぼろぼろのマントをかぶって、世話をしに来てくれたのです。
「まあ、これはまた、なんて美しいばらが咲いたこと」
ガルーシャは、王子をみて、にっこりと笑いました。
ガルーシャの微笑みは、どんなに悲しみにくれるひとでも、たちまち元気になるような、とびきりの笑顔でした。
王子は、幸せでした。きれいな服がなくても、召使いがいなくても、だれよりも、いちばん、幸せでした。
夏が過ぎ、涼しい風が吹いて、秋がやってきました。秋はあっという間に終わって、木枯らしが冬を告げました。ばらになった王子は、花びらを落しました。
花は、人間よりもずっと早く、命を終えるのです。
それでも、王子は幸せでした。庭の冬支度をするガルーシャは、すべてのばらたちに微笑み、ばらたちを励ましました。
「冬は、死の季節なんかじゃないわ。少しの間、眠るだけよ。花は散ってしまうけれど、次の春には、新しい芽がでるの。私は、次の春の世界であなたたちを待つわ。また、必ず、会えるのよ」
ガルーシャの温かい手が、王子のばらの、むき出しの茎に触れました。
ガルーシャの体温が、王子の心の奥の奥、たったひとりの部屋の凍った扉を、温かく融かしたのでした。
また、きみに会えるなんて。
生きているということは、なんと素晴らしいことなのだろう。
王子のばらは、ひとつあくびをすると、眠りの世界へ、落ちていきました。
<終>
ルビ込み:3904文字
この小説は、下記企画への応募作となります。
ウミネコ制作委員会さま、はじめまして。
素敵な企画を拝見し、勇気を出して応募させていただきました。
童話は書いたことがなかったのですが、初挑戦いたしました。
対象年齢は、小学生以上を想定しております。
お読みいただき、誠にありがとうございました。