四神京詞華集/シンプルストーリー(20)
【穢麻呂のターン】
一方の穢麻呂と有鹿の戦いは彼らの番犬と番鳥(?)に比べてはるか常識的で地味で絵にならないものであった。
むしろ勝負は論戦だと言わんばかりに、とにかく無駄口が多い。
穢麻呂「我に言わせれば、このアジトの場所など容易に察しがつく。白虎岳は木々の少ない岩肌、玄武山は内裏を背から見下ろす禁足地。ならば残るは青龍峰に連なる山々の麓。さらに言えばその森を虱潰しにさらえばよいものを衛士が動かぬは大きな力が働いている証。汝もここもはなから我の想定内だったというわけぞ」
有鹿「それを言いにわざわざ化け物の下僕を連れ立ってきたのか」
穢麻呂「否。いかな相手が田舎盗賊とはいえさすがに白虎街から都を突っ切り東の森まで直につけ回すは危険が多い。故にさらわれそうな女を探し当て香を持たせた。狛亥丸は鼻の利く化け物でな。匂いを伝ってここにたどり着いた。今一人の下僕の知らせから白面酒房と汝が繋がっていることも、朔の夜に酒場から輿が出ることも聞いておった。全ては我が掌の中である。わっはっは!」
そして今、その掌の中の剣は完全に止まっている。
ナミダ「……(いいからとっとと戦えよ)」
ナミダに言われるまでもなく、有鹿は再び襲い掛かった。
穢麻呂「ふん。そうやっていちいち出張っては何でもかんでも己が力でねじ伏せようとする。それもまた想定内よ」
有鹿「相変わらずの理屈倒れだな。策もなにも死んでは水泡に帰すだけだ」
穢麻呂「生憎まだ生きておる。生きて、こうして舞い戻って来た」
有鹿「何のために? また忌み嫌われるためか?」
穢麻呂「なに?」
有鹿、剣を止め、ニヤリと笑う。
有鹿「帝は今玄武山保良宮にて療養中だ。太政大臣禅師道暁猊下の、手厚い看護を受けてな」
穢麻呂「……」
有鹿「故に我等蘇我一族は帝の名のもと再びおのれのような逆臣が出てこぬよう、目を光らせているのだ」
穢麻呂「逆臣だと?」
有鹿「逆臣ではないか。職務を利用し帝に近づき、あまつさえ懸想し、思いが叶わぬとなればその命を狙うとは。まさに穢れ麻呂。狂気の沙汰よ」
穢麻呂「……黙れ」
有鹿「だが安心せい。お前の麗しの帝は、道暁猊下が身も心も癒している。今夜もあの玄武山の森の中で。二人きりでな」
穢麻呂「黙れ」
有鹿「だっから、手前の出る幕なんざァねえんだよ! この気色の悪ィ禍人がァ!」
穢麻呂「黙れええええッ!」
修羅は首の大蛇を解き放ち、有鹿に放つ。
赤紫の大蛇は有鹿の剣に巻き付く。
有鹿「ええい、鬱陶しい! 斯様な散楽くずれ……!」
だが有鹿が剣を振り回せば振り回すほど、紫の蛇は刀身に絡まりその動きを封じ込めてゆく。
有鹿「チッ!」
有鹿はだんびらを捨て、懐中から短刀を抜き出した。
貧相な穢麻呂ごとき小太刀で十分と高を括った。
その油断が、あるいは未知の技に対する無理解と驕りが勝敗を決めた。
太刀を離れた蛇は瞬く間に有鹿の首に巻き付き、締め上げる。
有鹿「ぐが……!」
穢麻呂を睨む有鹿は、文字通り言葉を失った。
先ほどまで取り乱していたはずの惨めな乞食の姿は既に最早そこにはなく、おぼろげになってゆく視界の向こうに映る穢麻呂の相貌は、不気味なほどに静かで、冷たく、無機質であった。
それは正確に制御されつつ確実に実行される殺意そのものだった。
まさに修羅。
時を同じくして、男の野太い叫びが短く響いた。
天部面の穢人の足元で右覚が這いつくばっている。
有鹿「……化け物どもめ」
かつて自分が見下した有象無象は今まさに人外の化生となって四神京に戻ってきたのである。
目的は殺戮か。
復讐か。
確かなのは、その最初の犠牲者が自分だということだった。
有鹿「……糞どもめ」
それでも有鹿は怯まなかった。
恐怖よりも怒りが勝った。
有鹿「ならば俺も悪鬼羅刹となりて冥府より甦ってくれるわ! 俺は有鹿、悪黄門。頭が高い! 控えおろう!」
だが轟く彼の言語を聞き取れるものなどいなかった。
穢麻呂はじっと有鹿の最後を見定めようとしていた。
ナミダは思わず耳を塞いで目を背けた。
今まさに言の葉が咆哮に、咆哮が断末魔に代わろうとした、その時。
???「止めよ! 蝦夷穢麻呂!」
(つづく)