見出し画像

四神京詞華集/ディスペルへの遠き道(5)

○四神宮・朱雀門
話は少しばかり遡る。
ほどなくして、少納言橘不比等は参内の折、蘇我左府とすれ違った。
宮中元老の敵、バラガキリーダーの不比等は、しかし以外にも
「老害○ね」
などと言った暴言を嫌い、舎弟連中に対しても彼らの気炎に冷や水を浴びせぬ程度には戒めるようにしている。
別に年配に対する配慮ではない。
理由はもっと簡単で、至極当然のもの。
それがいつか自分に跳ね返って来るブーメランの刃だからだ。
年長者などみな多かれ少なかれ若輩にとって煩雑か侮蔑の存在のどちらかであり、とどのつまり己の親も誰かにとっての老害であろうし己自身もいつか誰かの老害になるに決まっているからだ。
大体がそのような暴言を口にする人間、あるいは我が子をそのような人間に育てたことこそが、害なる親そのものであるという何よりの証。
ゆえにそんなに老害に○んでほしいなら彼らはまず親を殺し、老いては何らかの手段を用いて自らの命を絶ちますと念書でも書いて、はじめて世間様に向かって「老害○ね」と毒づくのが筋であろう。
以上は無論作者たる私の考えであるが、不比等もまあ左程変わらない思想を持っている。
さらにいえば既に一方を実行している。
親殺し。
いかなる理由であれ、不比等は欲徳に溺れた父を誅殺したのだ。
そして人の親となった今は我が子に殺される覚悟を持たねばと思っている。
「父が道を外れれば、お前が父を討つのだ」
それが、未だ口もきけずだあだあと這うだけの息子に、最初に刻み込むべき言葉と決めていた。
だからこそ先の暴言を嫌悪しているのだった。
その不比等をして
「老害○ね……いや、○す!」
と呟かせる存在、それが左大臣蘇我大連であった。
さて読者の皆様は随分前から名前だけは登場しているこの都の現最高権力者の姿をどのように予想されているだろうか。
ひとことで言えば『人だかり』である。
確かに権力者たるもの四六時中周りに誰かが侍っている点で言えば不比等も同じではあるが、常に集団の最前列を歩く若きカリスマに対して、人の形をした権力そのものたる蘇我左府は常に集団の後方に近い人だかりの渦の中心を歩いている。
故に通常、歩く左大臣の姿を目視することは不可能だった。
これよりしばし不比等は袍の群れ、人だかりの奥から響く声と対話していると思い描いて話を読み進めてほしい。
 
不比等「左大臣様。橘不比等にございます。此度は畏れ多くも少納言に御推挙下さり恐悦至極に存じ上げ奉ります」
大連「いやいや構わんよ。むしろ遅すぎたくらいだな。俺は一刻も早く君に御前会議に出て欲しかったんだが、色々と周りがうるさくてなァ」

まさに絵に書いて額に飾りたいほどの社交辞令。
互いに殺気を漂わせた予定調和。

大連「その背に引き連れた連中の手綱、しっかり引いておいてくれよ」
不比等「なに、左大臣様が纏う人の壁ほど分厚くはありませぬゆえ」
大連「わはは。お互い全く鬱陶しいことこの上ないが、そういう勤めだ」

口調こそフレンドリーだが渦の中から顔すら覗かせない態度が威嚇そのものとなって表れている。
ドスの効いた濁声も、彼の歪んだ口元と性根を容易に想起させた。
不比等は己の雁行陣を解いて整列し、大連の方円陣に道を譲った。
そして憎き左府に顔を見られぬを幸いに、思い切り三白眼でメンチを切って見送った。

不比等「(遠からずその陣を切り崩し、中から引きずりだしてやる)」

(つづく)

いいなと思ったら応援しよう!