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四神京詞華集/DARKNATION

表があれば裏がある。光があれば闇がある。
大内裏四神宮に明確な闇が生まれたのはちょうど十年前。
四神京開闢の祖、聖武帝が薨去し、皇太子宝子(たからこ)が幸謙帝として即位してからわずか二年。女帝は突如として傍流の継承者に帝位を譲って、若干二十歳にして上皇となった。
新たなる帝の名を純仁帝、これまた若干、十六。
その若すぎる王族たちに対して、既得権益の権化のような大貴族が老賢者の如く知見と節度を以て粛々と導き奉るなど、政の世界ではまずありえない。
傍流皇族の純仁帝はすぐさま、時の大納言藤原勝麻呂と右大臣橘諸臣という二大権力者によって佞言塗れの酒色漬けにされ、取り込まれることになる。
それは幸謙上皇と純仁帝の対立という緊張状態を産んでしまった。

さて。
藤原家と橘家について(あくまでもこの物語のフィクションにおいてだが)補足するため話は上記よりさらに、遡る。

天智帝以降の新興大貴族藤原氏と皇統の流れをくむ橘氏は長きに渡り明確な対立はしてなこなかったものの、と言って昵懇という間柄でもなく、いわばつかず離れず互いに牽制しあう存在であった。
その王権の両巨頭が一気に結託せざるを得ない由々しき事態が四神相応の都で起こってしまう。
唐帝国より大いなる仏教テクノロジーを持ち帰った地下の天才学生吉備真琵の政界登用である。帰国後、立太子を運命づけられる内親王宝子の養育係となった彼は聖武帝から絶大なる信頼を手に入れていった。
危機感を募らせた勝麻呂は自らの妹を諸臣に嫁がせ、真琵の一人勝ちを阻むべく藤橘の結束を強化する。
一方の真琵もまた内裏の最高権力への道を着々と進む。
やがて帝が隠れ、女帝が現れる。
それはあくまでも中継ぎの時代であったかも知れないが、二年という僅かな期間に政局は一気に加速した。
勝麻呂と諸臣は若き男子の皇統を主張し、女帝に践祚を迫った。
女帝幸謙は純仁への践祚を条件に腹心真琵を左大臣へと押し上げた。
ここで明確に藤橘主導の帝派と真琵主導の上皇派の対立が現出した。
以上、補足終了。

かくして、女上皇と青年天皇の緊張状態はすぐさま弾け、動乱が始まる。
勝麻呂、諸臣にそそのかされた純仁帝は上皇幸謙に謀反の疑いをかけ、討伐の兵を差し向けた。
幸謙もまた左大臣真琵を参謀に自ら剣を取って戦いに赴いた。
もしも戦さの勝者が帝の側であったなら後に上皇の乱とでも呼ばれたはずであろう。
だがその戦いは、今『藤橘の乱』と呼ばれている。
彼らの敗因は意外なところにあった。
勝麻呂の甥藤原百永と諸臣の子橘諸人が血縁よりも大儀を取ったのである。若き世代にとっては叔父や父は帝を傀儡とし国家の富を恣にする醜い老害にしか映らなかった。
また戦さは徳無き王を廃し時代を変えんとする者達を奮起させるハレ舞台にもなった。
たとえば上皇の親衛隊たる近衛兵『紫微忠隊』
たとえば末は黒衣の宰相かと目される『道暁禅師』
しかし乱の最終的勝利者は、誰もが予想だにしなかった者達だった。
早々に降伏し家督を息子に明け渡した諸臣とは違い(その後息子の手で討たれたと噂されるが)大納言勝麻呂はなかば拉致に近い形で帝を手中に収めたまま都から脱出し、豪族達の手を借り体制を立て直そうとする。
全くもって、これ以上考えられないほどの悪手の極みであった。
彼の愚挙中の愚挙は古の貴族、蘇我と物部を復活させてしまう。
遥か昔に零落し政の中枢から離れつつも、未だ都の近隣において絶大な威力を放つ大豪族蘇我大連と物部狩屋はすぐさま大軍を率い勝麻呂を撃破。
まさに棚ぼたのように帝を奪還し政への返り咲きを果たした。
上皇に差出された帝は即座に高御座から蹴り落とされ、淡路へ流された。
廃帝。
この若き不遇の傍流皇族は、ほんのひと時カゲロウのような栄華と引き換えに歴史書から抹殺され存在しなかった帝とされたのである。
淡路廃帝となった純仁の行方はその後、ようとして知れない。
勝者が罪悪感を抱かぬために、己が目の届かぬ場所で記憶からも記録からもこの世からも敗者を消し去ることが流罪の目的ならば、彼が物語に登場することも恐らくないであろう。
かくして幸謙上皇は名も勝徳帝と改め重祚する。
本編にて帝とは彼女をさすものとご承知置き願いたい。
骨肉相食む皇戦の後、十年の間に世はさらなる流れを見せる。
闇を増幅させたのはむしろ女帝自身にあった。
激務の中、体調を崩しがちになった帝に接近する看護禅師道暁と紫微忠隊の三年もの確執は宮中内戦の様相を呈し、結果近衛側のクーデターとその鎮圧を以て終局を迎えるも、若き勝徳と近習たちの中央政界での私的闘争は地方豪族に付け入る隙を与え、彼らの台頭を確固たるものとした。
帝は療養の為に、また道暁は帝の療養に付き従い、令外官太政大臣禅師なる有名無実の役職と引き換えに、ともに政を退き玄武山保良宮に籠った。
ただしその事実は秘匿され民の知るところとはなっていない。
吉備真琵もまた完全に失脚し、右左両大臣の座は蘇我物部に移行する。
参議も一部を除き、大豪族の息のかかった者達に独占される。
よくいえばここに田舎の声が行き届く政治(とやら)が開始され、悪く言えば都の金が地方にばら撒かれ洛中洛外の公共事業が停止する事態を招いた。
例えば事態の一つとして都を拠点とする貴族および寺社勢力の衰退があり、また別の事態として成り上がりブームともいえる流人の大量流入があった。
金はじゃんじゃん出てゆくのに人間どもは我も我もと都に押し寄せてくる。
この事実が指し示す現実は子供でも容易に想像がつくだろう。
貧民の増加と治安の悪化である。
当然、貧民窟の存在意義が政治経済両面において非常に重要なものとなってきた。
人、物、金、そして情報の掃き溜めにして最終到達地点、白虎街。
白虎街(スラム)を制する者が殿上(ブルジョワ)を制する。
これこそが現在の四神京の闇であり、蘇我物部の最終目標である。
今、無人の高御座を仰いでわざとらしげに拝礼するは、
左大臣となった蘇我大連。
右大臣となった物部狩屋。
そして彼らと相対する橘諸人こと、橘不比等。
これよりすこしの間語られるは一介の参議へと落とされた若き都の公卿と、位人臣を極めつつある地方豪族との小競り合い。
全くもって堅苦しい説明台詞のオンパレード。
まずはしばしのご容赦を。

【EP3】DARKNATION(おわり)


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