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妖瞞の国(epilogue ou avant)

○寧楽の地
青い空に遠く鐘の音がこだまする田園。
四方の山を背に、粗末な民家がいくつか。
水田を耕す牛と翁。
傍らでタガメを探す童。
やっと見つけ出し取り上げようとした刹那、一匹の亀が飛び出しタガメを丸のみにする。
童、ギャン泣き。

童「びええええええ!」

と、水干の少女が草むらから飛び出す。

水干の少女「ここにいたのか子神亀よ。うむ? 何を泣いておる童よ」
翁「その亀がタガメを食うてしもうたのじゃ」
水干の少女「左様か。ようやった子神亀よ」
童「ばかああああああ!」
水干の少女「如何した? 気色の悪い害虫を食うて貰うたであろう」
翁「子供にとっちゃ虫はよい玩具じゃ。お前さんも気持ちは分かるじゃろ」
水干の少女「慮外者めが。我が名はたいおん。姿かたちは童なれど、仏法の守護者十二天将が一つ酉辛を司る吉将ぞ。畏れ敬え崇め奉れ」
翁「そうか。で、親はどうした? それともどこぞの神社の小間使いか?」

たいおんなる自称式神少女、懐から札を出す。

たいおん「これは我が主、陰陽頭賀茂栄光様がその験力の全てを用いた霊験あらたかなるお札である。その身に貼れば健康第一門戸に貼れば家内安全。此度は目出度き日本晴れにて特別にその握り飯と交換してくれるぞ。有難く頂戴せよ」
翁「その道を真っすぐ行って森を抜けた所に尼寺があるでの。そこで恵んでもらうがええ」
たいおん「誰が乞食じゃ! よいか、我はこうして旅の道すがら、その方ら貧しき民に慈悲と救済を」

翁、仕事を続ける。
童、タガメ探しを続ける。
たいおん、お腹が鳴る。

たいおん「都を離れれば離れるほど、陰陽寮の名も知らぬ連中ばかり増えてくる。全くこれだから田舎者は」

と、亀が歩き始める。

たいおん「おお子神亀。そちらに行くか」

たいおん、亀の後を追って歩き出す。

○幸福寺・外
掘っ建て小屋のような小さな寺に、農民達が列をなしている。

○同・中
おそらくは釈迦如来であろう木仏が鎮座している。
如何わしい紫の煙が立ち込める護摩壇。
薄汚れた袈裟に角頭巾。これみよがしに大きな数珠を下げた僧侶らしき男、飛蝗法師。 何やら念仏のようなものを唱えては眼前に眠っている亀の甲羅を叩く。 そしてまた念仏らしきものを唱える。
やがて念仏的なものを唱え終えると、対峙する農夫を三白眼で見据える。
飛蝗と対峙する農夫、ゴクリと唾をのむ。

飛蝗「結論から言うよ。残念ながらこのままではその腰の痛み、一生治らないね。以上」
農夫「一生? 儂には年老いた母と女房と三人の子供がいるんですよ。え? もう占いは終わですかい。何が仏の力だ。畜生」
飛蝗「僕はこのままではと言ったんだけどね。そういう人の話を聞かない所から正していかないと仕事も家庭も一生上手くいかないよ。ま、僕にとってはどちらでもいいけど」
農夫「ならどうすりゃいいんですか」
飛蝗「まず必死さが足りないよね。たかだか腰痛なんてと思ってるでしょ。知ってる? 腰って体の中心なわけ。腰やられると全部が駄目になるわけ。君の健康も親の容態も子供の将来も女房の肌年齢も何もかも全部駄目になるわけ。それでいいわけ? いいんだ。いいんだね。じゃあ次の人」
農夫「ま、待って下さい! 治し方教えて下さい! 儂は倒れるわけにゃいかんのです!」

農夫、飛蝗にすがりつく。
飛蝗、不敵に笑う。

飛蝗「その必死な目……いいじゃん」
農夫「法師様!」
飛蝗「結論から言うよ。君が本当にやりたかった事って何?」
農夫「考えた事もねえですよ。働くのに必死で……生きるのに必死で」
飛蝗「それって、言い訳じゃん。仕事と子育てばかりの人生に君の心と体が悲鳴をあげてんだよ。君はいつの間にか背筋を曲げて縮こまって生きてたんだよ。自分の事は二の次で周りの事ばっか考えてさ。もっと自分を解放するんだ。君の本当にやりたいことを端的に。はい!」
農夫「そんな、いきなり」
飛蝗「だったらこうしようか。僕は今、この幸福寺をもっと大きくしようと思ってるんだ。君のような都から遠く離れた人達に仏の教えと救済を広めるためにね。やりたい事がないなら畑仕事と子育ての間に少しだけこのお寺の増築に手を貸してみないか? いや、これは僕のためじゃないよ。君自身の生き甲斐を見つけるためなんだ」

飛蝗、パンと手を叩く。

飛蝗「ハイ! 君には今二つの道があります。どちらを選んでも僕は一切構いません。君が仏様の下で健康を手に入れるか、それとも地獄のような腰の痛みに一生苛まれるか!」
農夫「ど、どうしようかのう」
飛蝗「5、4、3、2、1。終り。手遅れ。そうやって一生悩んで暮らして下さい。はーい次の人!」
農夫「や、やります! 生き甲斐を与えて下せえ飛蝗法師様!」

と、扉を蹴破り現れるたいおん。

たいおん「飛蝗!」
飛蝗「げ!」
たいおん「おぬしという男は! こんな片田舎に引っ込んでもまだ口八丁手八丁で善男善女を騙くらかしておるのか! この詐欺師め! 恥を知れ!」
飛蝗「やめろ! てか何でお前がここに!」
たいおん「天誅! 天誅! 天誅!」

たいおん、扇で飛蝗をシバき回す。
農夫、慌てて逃げ出してゆく。

×   ×   ×

毛氈の上で神亀と子神亀が鼻を突き合わせている。
飛蝗、角頭巾を放り投げざんばら髪をかきむしる。
たいおん、不出来な如来らしき像を睨み毒づく。

たいおん「この寧楽の地で興福寺ならぬ幸福寺とはな。おぬしまた藤原家に喧嘩を売るつもりか」
飛蝗「たまたまだ。ここは仏の総本山だからな。もっとも、御堂関白のあの死に様を伝え聞くに阿弥陀の救済とやらも大したことねえんだろうけどよ」
たいおん「それで修験者の次は坊主の真似事か。お前には理念とか節操とかものの筋とか哲学とか左様なものはないのか」
飛蝗「一切ねえなあ。あの釈迦仏も衲衣一枚の姿で簡単に彫れるから選んだだけだし」
たいおん「隣の村では如何わしい芋虫を売り歩いていたというではないか」飛蝗「如何わしいとは何だ。見事蝶に育てあげれば富と長寿が手に入る幸せの虫さ」
たいおん「羽化したら全部蛾だったようだぞ」
飛蝗「そうなの? 育ててねえから分かんねえや」
たいおん「女言葉はもうやめたのか」
飛蝗「あ?」
たいおん「地獄に落ちるわよ! ってやつ」
飛蝗「ご先祖様の説教なんて古臭いっしょ。今はバチッと一言、芯を食ったヤツの勝ちっしょ。意識改革っしょ。革命っしょ」 
たいおん「それに何じゃあの『僕』というやつは」
飛蝗「あ、やっぱ気になっちゃいましたか? 自らを下に置いて僕。相手を上に置いて君。謙虚でいいっしょ。君も真似していいよ」
たいおん「やめよその口調。無性に腹が立つ」
飛蝗「光と闇、昼と夜、陽と陰、自由と不自由、健康と不健康。二項対立を煽れば人は必ず思考停止する。常に芯を食いたがる世の性よ」
たいおん「ふん。その二項の狭間にこそ芯とやらががあるのではないか」
飛蝗「お、ちったあ大人になったか」

飛蝗、ガシガシとたいおんの頭を撫でる。
たいおん、速攻で払いのける。

たいおん「何を言うか! 我はもとより齢三百を超える式神ぞ!」
飛蝗「だったら分かるだろ。二項の狭間で苦しむ人の性を。だから誰しもが答えを求めてる。常に、安易に、早急に、ナルハヤで答えを検索。陰陽寮も修験道も仏教も神道もその辺を飯の種にしてるって点じゃ何も変わらねえ。妖(アヤカシ)も瞞(マヤカシ)も皆、有難や」

飛蝗、仏らしき木像に向かってかしわ手を打つ。

たいおん「仏に手を叩くな」
飛蝗「神仏習合」
たいおん「こやつ、能書きがより悪質になっておる。開き直りもより軽薄になっておる」
飛蝗「ぷぺぺぺぺ」
たいおん「妙な笑い方をするな」
飛蝗「じゃあそろそろ本題に入んな。まさか俺を更生させるためにわざわざ探して来たわけじゃあるめえ」
たいおん「当たり前じゃ。お前が外道に堕ちようと真人間になろうと知ったことか」

たいおん、一枚のヒトガタを懐から取り出す。
ヒトガタには五芒星が刻まれている。

飛蝗「こりゃあ……安倍一族の紋章じゃねえか」
たいおん「ある夜、我が枕元にこれが置かれてあった。おなじ夜、獄舎より平昌様……安倍平昌が消えた」
飛蝗「陰陽頭が」
たいおん「元陰陽頭じゃ。最早我が主にあらず。主にあらず……」

ヒトガタを持つ手が震えている。
飛蝗、勤めて冷静に呟く。

飛蝗「そうかい。まあかの大陰陽師の倅だ。獄卒が束でかかろうとと物の数じゃねえわな」
たいおん「恐ろしゅうはないのか。復讐されるやも知れぬのだぞ」
飛蝗「おいおい怖いのか? 陰陽頭の守護十二天将が一角たいおん様がよ」
たいおん「お前はどうなのじゃ! あのおかたを破滅に追い込んだ張本人であろう! 我はむしろお前を守りにここまでだな……」
飛蝗「外道がどうなろうと構わねえんだろう」

と、太刀を手に黒装束を纏った五人の者どもが音もなく踊りこんで来る。

飛蝗「何者でえ!」
男の声「たいおんちゃんを虐めるなーっ!」

さらに黒装束の後ろから白い直衣を纏った非常にふくよかな男がドカドカと乗りこんでくる。
そして勿論ゼエゼエと息をきらせている。

たいおん「陰陽頭様」
飛蝗「陰陽頭?」
たいおん「左様」
飛蝗「あの腹で?」
たいおん「左様」
黒装束「無礼者! 控えよ詐欺師! 陰陽頭賀茂栄光(かものさえみつ)様である!」
栄光「やっと追いついた。もう、危ないでしょ。一緒に牛車に乗っててくれないと」
たいおん「牛車は性に合いませぬ。地を駆け空を舞うが式神です」
飛蝗「空は飛べねえだろ」
栄光「黙れ! たいおんちゃんが飛べると言ったら飛べるのだ!」
飛蝗「じゃあ飛べ」
たいおん「今は無理じゃ! お腹が痛い!」
栄光「たいおんちゃんがお腹が痛いといったら痛いのだ!」
飛蝗「あんたが新しい陰陽頭かい。栄光(エーコ―)ちゃん」
栄光「いかにも。ぼくいけめーん(いけてる面)」
飛蝗「そうか。平安京も本当に平安になったんだな」
栄光「何じゃその嫌な安堵は」

栄光、忌々し気に咳ばらいをする。

栄光「去る年、都の穢れ流しに失敗しおびただしい数の鬼を招き入れた悪辣なる詐術師よ。またもたいおんちゃんを利用し何を企んでおるか」
飛蝗「去る年もこの年もこいつから絡んできたんじゃねえか」
黒装束「栄光様。我ら十二天将は元々陰陽頭に仕える式神。安倍家の家臣ではありませぬゆえ、いらぬお気遣いは無用にて」
栄光「白虎! たいおんちゃんはまだ子供ぞ。先の平昌にこき使われて酷い目にあって。可愛そうとは思わぬのか」

黒装束の一人、転じて白虎なる式神。

白虎「非人放免人にあらず。その娘も道具として使い捨て下されますよう」
飛蝗「道具か……ふん」
 
ふと、飛蝗の顔に怒りが宿る。

白虎「何だその目は?」
飛蝗「笑いを堪えてんのさ。人でなしが人でなしを自覚してるとはなかなかのお笑い草と思ってよ」
白虎「人でなしはうぬも同じであろう。鬼の末裔めが」
飛蝗「使い捨ての道具だろ。だったら人の言葉を喋るなよ。こちとら鬼畜生でもモノじゃねえ」
白虎「では我はモノゆえ音もなく殺すとしよう」

白虎、太刀を抜き切っ先を飛蝗に向ける。
飛蝗の袖口から短刀がのぞく。
たいおん、慌てて栄光にしなだれかかる。

たいおん「お、陰陽頭様~ん。た、助けて~ん。う、うっふ~ん」
飛蝗「お前、何をやってんだ」
栄光「白虎! 下がれ!」
飛蝗「あんたもあんただなオイ」

式神白虎、粛々と主に従う。

栄光「もうよいではないか、たいおん。都に帰ろう。咎人安倍平昌はきっと残りの六天将が討ちとろうぞ。なにせ炎の蛇、騰虵が向こうたのだからな。今頃は蝦夷の地で果てていようぞ」
飛蝗「蝦夷?」
栄光「麿の占いによると平昌は悪路王の力を求め道の奥に逃げたと出た」

飛蝗、一瞬言葉を失う。

飛蝗「なあ……あんた、そこに手練れの式神を六体も送ったのか? 物の怪渦巻く蝦夷の地に、元々平昌に仕えてた下僕を六人も」
栄光「はっはっ。かつては奴の下僕といえど今はこの麿の包容力にゾッコンの者どもよ。きっと討ち果たして参ろうぞえ」

たいおん、飛蝗に駆け寄る。

たいおん「ね、飛蝗。どうしよう」
飛蝗「やべえな」
たいおん「やばいよね」
栄光「やばいのか?」
白虎「もう遅い」

残りの五人の黒装束も一斉に太刀を抜き、飛蝗、たいおん、栄光までも取り囲む。

栄光「な、何をしておる! おぬしら気でも狂うたか!」
白虎「黙れ愚か者。よくぞ我ら十二天将を平昌様の下へ解き放ってくれた。後はこの片田舎で、そやつらもろとも消し去るのみだ」
栄光「裏切ったか式神どもお!」
飛蝗「包容力は腹の肉だけだったな」
白虎「我らは未来永劫安倍平昌様の式神ぞ。たいおんよ、今なら間に合う。こちらへ参り再び平昌様のモノとして生きるのだ」

飛蝗、たいおんを見つめる。

飛蝗「まあ、式神的にはそれもアリだぜ」
たいおん「……人でなしでもモノではない。まことうぬは稀代の言霊師じゃ」

たいおん、懐から短刀を抜き黒装束に向ける。

白虎「ふん。所詮は餓鬼か。まとめて殺せ」

刹那、飛蝗、煙球を護摩壇に放り投げる。
護摩壇から炎が立ち上り紫の煙が一気に辺りに広がる。

白虎「おのれ!」

○暗転

○寧楽の地・とある川
ヒイヒイと倒れ込みガブガブと水を飲む栄光。
疲れて草むらに寝転がるたいおんを、わりと余裕の表情で見下ろす飛蝗。

飛蝗「こちとら逃げるのは慣れてんだよ」

少し安心し微笑みを見せるたいおん。

たいおん「礼を言う」
飛蝗「お。大人になったじゃねえか。感心感心」
栄光「さてと。これからどうするのだね?」
飛蝗「……」
栄光「とりあえず一旦都に戻り態勢を立て直すか」
飛蝗「……たいおん。なんで今こいつは、ずっと前から仲間だったかのような口ぶりで喋ってんだ?」
栄光「我が名は賀茂栄光」
飛蝗「うん、知ってるけど。何? 記憶喪失?」
たいおん「きっと、どんな顔してここにいたらいいのか分からないのじゃ」
栄光「うーむ。ここは悩みどころじゃのう、飛蝗よ」
飛蝗「だからっつってこう罪悪感のカケラもねえ態度だと水に流しきれねえもんがあるな」
栄光「まあよい! さあ都に凱旋ぞ!」
飛蝗「ボロ負けしてるだろうが! ひとりで帰れ! ってか、まず謝れよ! もとをただせば全部手前のせえじゃねえか!」
栄光「いやいや凱旋とはそういう意味ではなくてだな。あくまでもこれからに備えて気合いを入れるという意味で」
飛蝗「謝れよ! まず謝れよ!」
たいおん「すまぬ。こういうお方なのじゃ」
飛蝗「お前が頼って来た理由がよく分かった」
たいおん「どうする? 陰陽寮に戻るか? 今の都には御堂関白も安倍平昌もおらぬぞ」
飛蝗「いや。やめとこう」
栄光「何故だい?」
飛蝗「まずお前が一切信用できねえ」
栄光「チッ……」
飛蝗「それに都の闇に潜んだ十二、いや、十一天将にどこから襲われるかも分からねえ。陰陽頭様も凱旋の後はせいぜい気をつけるこったな」
栄光「げ」
たいおん「だったらどこに逃げる?」
飛蝗「逃げる? お前、平昌の命が尽きるまで一生逃げ回る気で助けを求めにきたのか?」
たいおん「……そ、それは」
栄光「少しよいか」

栄光、神妙な面持ちに変わる。

飛蝗「何だ」
栄光「麿にも思う所があるでな」
たいおん「え?」
栄光「安倍家と肩を並べる陰陽寮の名門賀茂家に生まれながら、常に平昌と比べられ見下され、ようやく陰陽頭の座についたと思うたらこの様じゃ……」
たいおん「栄光様……」
栄光「麿は決めたぞ! たいおん!」
たいおん「は、はい!」

栄光、雄々しく扇子を叩く。

栄光「麿と一緒にどこぞに落ちのびて共に片田舎で幸せに暮らそう。いや、あくまでも今のところは兄妹のような関係でだな。勿論お互い行く末はどうなるか分からぬがのう。むふふふ」
たいおん「……」
飛蝗「なあ、少しの間でいいからこいつを黙らせる事はできねえのか」
たいおん「こういうお方なのじゃ。発作だと思って軽く聞き流してくれ」
飛蝗「もういいや。じゃあ行くぞ」
たいおん「どこへ?」
飛蝗「蝦夷だよ」
たいおん「……」
栄光「……」
たいおん・栄光「ええええええええええ?」
飛蝗「何でえ。やかましいな」
栄光「阿呆だ。ここに阿呆がおるぞえ!」
たいおん「気でも違うたか飛蝗!」
飛蝗「なにが」
栄光「貴様今まで何を聞いておったのじゃ! 蝦夷には既に怨敵安倍平昌が手ぐすねを引いて」
飛蝗「ただいるだけだろ。別に支配してる訳でもななし」
栄光「愚か者め。奴の事だ。きっと既に己が呪術で蝦夷の鬼どもを従えて」
飛蝗「何百何千の蝦夷の民を全部鬼に変えたってか?」
栄光「そ、それは……分からぬが」
飛蝗「だったらすでに都に攻めてきてらあな。あの白虎とかいう式神に任せきりってことは、奴にも何か動けねえ理由があるってこった。急いで乗り込んで、先手先手で喧嘩売りに行った方がこっちの塩梅で動けるってもんだ」
栄光「うむむ。左様なものなのか」
飛蝗「公達様は喧嘩の仕方も知らねえと見える」
栄光「当然じゃ。戦さなど全くもって汚らわしい。のう、たいおん」
たいおん「た……」
飛蝗「た?」
たいおん「頼もしいぞ! おぬし大人になったのう!」

たいおん、飛蝗の頭をガシガシと撫でる。

たいおん「たった一年でそこまで腕っぷしを上げるとはさぞや厳しい修業をしたのであろうな。それに引き換え我ときたら、日々ボンクラ陰陽頭の遊び相手をのらりくらりと」
栄光「たいおんちゃん、ちょっと本音出ちゃってるな。麿傷ついちゃうな」
飛蝗「え? 俺が倒すの? 何で?」
たいおん「へ?」
飛蝗「『三百年も生きてる素晴らしい式神様』と『陰陽寮の頂点に立つ偉大なる陰陽頭様』がいるのに何でこんな私ごとき詐欺師が戦わないといけないんですかあ? 僕なんて見てるだけですよ~見~て~る~だ~け~」
栄光「たいおん……こやつ性根が腐っておるぞ」
たいおん「はい。昔と全く変わっておりませなんだ」
飛蝗「いやあ楽しみだねえ! 遠く奥州は鬼の本拠地で最強の呪術合戦! 栄光様たいおん様。道案内は私が仕りますので心おきなく活躍して下され」
たいおん・栄光「ぐぬぬ。どこまでも他人事のように」

ぎりぎりと苦虫を噛み潰すたいおんと栄光。

飛蝗「それじゃあ、とりあえず最初は大江山にでも寄ってくかね」
たいおん「え?」
飛蝗「最強の陰陽頭様と式神様に比べれば心もとないでしょうが。あと一匹二匹は鬼の下僕でも連れられては如何かと。幸い、ある鬼に心当たりとちっとばかしの貸しがあることを思い出しましたんで」
たいおん「綱光……そうか! 大江山の朱点と茨木か! 成程、確かに戦さでは糞の役にも立たぬお主よりもはるかに心強いのう!」
飛蝗「ちょっと本音出ちゃってるな。傷ついちゃうな」
栄光「これこれ! 大江山といえば都の鬼の総本山ではないか! 一年前の反乱で非人どもを取り込み更なる勢力となったと聞く! あなおそろしや~おそろしや~!」
飛蝗「だったら帰れよお前はよう!」
栄光「しかも悪鬼朱点童子はうぬが討ち損じた鬼の大将ではないか」
飛蝗「ああ? 討ち損じただと? 誰がそんな噂を?」
栄光「負けて命乞いして泣いて喚いて逃げ出して、大便小便垂れながして、そんなお主の尻拭いを検非違使が行い、みごと鬼を追い払ったと聞くぞえ」
飛蝗「あの別当のジジイ。いつか呪い殺す」
たいおん「ご心配には及びませぬ。我らには鬼の力を封じ込める秘策があります。のう」
飛蝗「まあな。鬼には鬼だ」
栄光「大丈夫なのか?」
たいおん「はい。大切な我が主を危険な目に合わせる訳にはまいりませぬ。どうかこのままとっとと、もといお早く都に御帰還なされませ」
栄光「たいおん……そこまで麿の身を」
たいおん「はい全力で案じております!」
栄光「うれしいぞ! たいおんはまこと我が式神ぞえ。よし決めた! 主従は死ぬも生きるも一蓮托生じゃ! お前だけを危険な目に合わせられぬ!」
たいおん「……しまった。逆効果か」
栄光「さればこの陰陽頭が朱点童子と茨木童子を従えてみせようぞ。さあ、二人共ついて参れ!」
たいおん「危険ですよ! 鬼、物凄く危ないですよ! 特にプニプニ太ったお公家様は大好物ですよ!」

栄光、もはや聴く耳もたず早足でずんずんと川沿いを上りだす。

たいおん「……不覚」
飛蝗「あのデブ絶対すぐおんぶしてくれとか言い出すよな」
たいおん「それは間違いないであろう」
飛蝗「撒くぞ」
たいおん「承知」

飛蝗とたいおん、駆け足で逆方向にむかって川沿いを下りだす。
と、たいおん、何かに蹴つまづく。
地面に小さな木仏が寝転がっている。
たいおん、慌てて手を合わせると仏を立たせる。 

飛蝗「おいおい。眠たがってんだから起こしてやるなよ」

仏の傍らには無数の木簡の切れ端。
たいおん、ふと木簡のひとつを手に取る。

たいおん「何と書いてあるのじゃ?」
飛蝗「お前字読めるだろ。初めて会った時『あの男』のオモシロ恋文をそらんじてみせたじゃねえか」

○(回想)獄舎
一年前。
とある事件に巻き込まれ幽閉された飛蝗と、たいおんは平安京の獄舎で牢屋ごしに出会っている。
たいおん、懐から一枚の文を取り出す。
文、風に乗り飛蝗の目の前に落ちる。
たいおん、うっとりと文をそらんじる。

たいおん「荒魂を抱きしままに恋しのぶ。葛を絶ちて想いあらはす」
飛蝗「お前、俺に惚れとるのか?」
たいおん「殺すぞ!」

○寧楽の地・川辺
たいおん「殺すとは言っておらぬ気がするが。まあ、あの程度の歌など我が神通力で……」
飛蝗「陰陽頭に中身を教えてもらってただけかい」
たいおん「神通力で!」
飛蝗「はいはい。相変わらず面倒くせえな」
たいおん「式神は字など必要とせぬ」
飛蝗「そりゃ正解だ。字なんざ読めなくても生きていけらあな」
たいおん「何と書いておる」
飛蝗「神通力で読みゃあいいだろう。って突っ込みもいい加減飽きたぜ」
たいおん「木簡の文字は些か分かり難くてのう。まあ無論、時間をかければ解読できぬ事もないが。だがしかし! その場合! 神通力の副作用で著しく生命力を使い果たして! 嗚呼ともすれば全身の毛穴という毛穴から猛烈に血が噴き出し……」
飛蝗「(遮って)あおによし」
たいおん「青鬼?」
飛蝗「あおによし」
たいおん「三好?」
飛蝗「誰だよ三好って。どんどん遠くなってるじゃねえか。あおによし! 青色と赤色がイイ感じだぜって意味だ」
たいおん「何故じゃ」
飛蝗「知るかよ」

たいおん『青丹よし』と書かれた木簡の切れ端をまじまじと見つめる。

飛蝗「ここは二百年くれえ前、都があったんだ。内裏があって館があって店があって寺があって沢山の人間がいたんだ。あっちこっちに歌が埋まってても不思議じゃあるめえ」

と、天高く烏が鳴く。
たいおん、空を見上げる。
いつの間にかの夕刻、青と赤の天球。

たいおん「あおによし……」
飛蝗「行くぞ。日が暮れたら野宿だ」
たいおん「飛蝗。頼みがある」
飛蝗「なんでえ」
たいおん「この旅の道すがらおぬしから字を習うてやってもよい」
飛蝗「お前頼み方おかしいぞ」
たいおん「心眼を持つ我に字など不要なれど、人には効率のよいものなのであろう。沢山の者に一気に我が意を通すことができる。おもいを、技術を、歴史を後世に残すこともできる。こうして時を越えて青丹のよさを教えてもろうた。我も一通り覚えておいて損はないと思うてな。ゆえに習うてやってもよい」
飛蝗「だから最後の頼み方がおかしい」
たいおん「ふふ。字がなければ人は未だ獣の如く暮らしておったのかもしれぬの」

飛蝗、ふと一匹の餓鬼だった頃を思い出す。

○洞窟
獣のように肉を喰らっている鬼の子、飛蝗丸。

○寧楽の地・川辺(夕)
飛蝗「成程ねえ。獣にゃ都は造れねえか」

飛蝗、舞うように四方を指す。
西方、岩肌が剥き出し切り立った山岳。

飛蝗「白虎岳」

東方、ひと際高い山にひれ伏している森。

飛蝗「青龍峰」

北方、行く手を遮り連なる山脈。

飛蝗「玄武山」

飛蝗、最後にくるくると旋回し大地に触れる。

飛蝗「朱雀ヶ原」

同時に、遠く伽藍の鐘が次々に夜を告げてゆく。

飛蝗「四神京。それがかつてここにあった都の名だ」
たいおん「四神京……」
飛蝗「唐帝国に倣い、信心と律令、仏と文字の力を使ってこの国を一つの家とした巨大宗教都市。愛と慈しみに満ち足りた理想郷」
たいおん「理想郷……左様なものがこの地に」
飛蝗「あるわけねえだろ」
たいおん「……」
飛蝗「その実血で血を洗う権力闘争階級闘争。恋と憎しみの諍い。人と鬼、清めと穢れが決定的に引き裂かれた禍の都。滅んでしかるべき町だ。ただ、その分かり易さは嫌いじゃねえけどよ。獣っぽくてなァ」

飛蝗、眠りから覚めた木仏を見つめる。

飛蝗「欲望の都か。案外、平安の世と違って寧楽の世は本当に鬼だの呪いだのが存在してたのかも知れねえな」
たいおん「恋と憎しみ……否、愛と慈しみのほうを我は信じるぞ。この美しき青丹の空の下、誰も憎まず、忌み嫌わず、寧(やす)らかに楽しく生きていた人たちがいたのだと」

と、飛蝗の懐で神亀が、たいおんの懐で子神亀がキュウキュウと騒ぎ出す。 遠くから栄光の声が響く。
栄光、ドタドタと二人を追ってくる。
 
栄光「おーい! どこへ行くのだ! そちらは回り道ぞえ!」
たいおん「うわっ追ってきた! キモ、怖、エンガチョ! ガッチーン!」

たいおん、思いきり忌み嫌って逃げ出す。

飛蝗「全く。ちったあ慈しんでやれよ」

飛蝗、もう一度仏を一瞥し、片手でちゃっちゃと祈って走り出す。
木仏は未来に向かって走り出す三人を静かに祈っている。

少しばかり時が経った。
ただし、過去へと向かって。

青丹の空は変わらない。
響く鐘の音も変わらない。
が、静かな田園だった土手の向こうには四方、幾多の屋敷が見える。
あるいは寺が見える。
塔が見える。
館が見える。
声と賑わいを感じる。
音と曲を感じる。
臭いと匂いを感じる。
自然を離れ人工物に塗れる人間だけの営みを感じる。
今そこは確かに、都市である。
青い瓦に朱の柱の都である。
 
「逃がすな! 追え! 殺せ!」
 
平らか安らぐ世よりも二百年ほど昔、その野太い声は「清めよ」ではなく、それはもうはっきりと実も蓋もなく「殺せ」と響いた。
武者どもが数人、矢を背に矛を手に土手を駆け下りてくる。
武者に追われているのは紛れもなく鬼。
いや、鬼らしき、なにか。
ある者にはケダモノに見えるだろう。
ある者には虫に見えるだろう。
ある者には亡者に見えるだろう。
とりあえずここは分かりやすく鬼と記すが、あなたに忌み嫌うモノがあればそれを思い浮かべていただいて、まあ差支えはない。
確かなことは、そのモノは泣いているという事だ。
モノは、鬼は今、泣きながら逃げている。
醜い姿に似合わぬか細い声をもらしながら。
ふと、鬼の目の前に菜の花の畑が現れた。
一瞬、鬼は足を止めた。
追手もまた、足を止めた。
彼らは鬼の中に何か甘っちょろい希望のようなものを見たのだろうか。
だがすぐさま鬼は顔を歪ませ、耳障りな雄たけびをあげながら菜の花の波に入って行った。
鬼は花をかき分け、引きちぎり、踏みつける。
その声からは、もう哀れさなど微塵も感じられなかった。
恐怖、憎悪、憤怒。
追手は鬼の醜さを改めて認め、どこか安心したように冷静に弓を引いた。

鬼なるモノ「なぜ、こんなことに……」

それは鬼の心中だ。
だが今の鬼には思いを伝える術がない。
もう誰にも、鬼の声は伝わらない。
筆を、墨を、木切れを。
それだけでいい。
その鬼には言葉以外にも思いを伝える術があるのだ。

鬼なるモノ「私は違う。他の者どもとは違うのだ。私には知恵がある。才がある。仏の加護がある。だから筆を……私に筆を!」

思い空しく鬼は川に転落した。

武者1「どうする! 我らも川を下るか?」
武者2「もうよい。ここから先は穢人(ケガレビト)の領域。あとは奴らに任せるとしよう」
武者3「穢れは全て水に流し忘れるのだ」

武者3、鬼の流れていった川に手を合わせる。
他の武者達も倣った。

「禍を忘れよ」
「禍を忘れよ」
「禍を忘れよ」

何かの奇縁であろうかそれとも元よりこの川の守護であろうか、小さな社の木物もまた彼らと共に、流れてゆく鬼に手を合わせていた。
青丹は全て朱に染まり、やがて黒に変わる。
星空は少しの間で、残念ながら今宵は闇夜になった。
それでもそこは、天平らかなる世。
雲が覆って綺麗な月も一向に顔を見せてくれない灰色の夜からようやくこの物語は始まる。
できるなら愛と慈しみの話であってほしいのだが、どうやら流れはもう一方へとうねってゆくことになるだろう。
ならばせめて無邪気に。
ならばせめて能天気に。
どこまでも幼稚で、陳腐で、絵空事で。
 
いままでとは別の時、別の時代。 
 
四神京詞華集~shishinkyo・anthologie~ 
【EP0】epilogue ou avant
         

(終わり)

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