四神京詞華集/ディスペルへの遠き道(3)
○尊星宮・庭
薪を割っているナミダと、狛亥丸。
ナミダ「うーん。どうしても上手くいかないなあ」
狛亥丸「では、鉈の刃をこうして薪に食い込ませてですね。そのまま薪ごとキリカブ台に向かって振り下ろしてみては?」
ナミダ「よっ! やった、出来た!」
と、様子見にやって来る穢麻呂。
穢麻呂「おう、やっておるな。感心感心」
ナミダ「でも狛さんみたくこうパッカーンと勢いつけて割りたいんだけど」
穢麻呂「そういう場合は鉈をキリカブ台に対して水平にだな」
ナミダ「あ、そうそう、狛さん。鹿の捌き方なんだけど、どうしても臭みが取れないのよね」
狛亥丸「血抜きは素早くと申しましたが、何もかも急ぎすぎるあまり下腹部を雑に捌いてませんか?」
穢麻呂「左様、腹の中の糞だけでなくイバリにも気を配らねば」
ナミダ「すごい狛さん! よく分かるね。つい急ぎぎちゃうんだよね。あ、今度釣りも教えてほしいな」
穢麻呂「釣りならば川の上流でいたせ。橋の辺りなどは汚れに汚れてとても食える魚など」
ナミダ「あとさー狛さん」
穢麻呂「何だ貴様は狛さん狛さんと! さっきからあからさまに我を無視しおって!」
狛亥丸「ナミダ殿。我が君がお呼びですよ」
穢麻呂「べ、別に用などない。戯れに様子を眺めておるだけ……」
ナミダ「いやだなあ。私に殿なんてつけないでいいって。あはははは」
穢麻呂「主の言葉を喰い気味で遮るな!」
ナミダ「……ケッ」
穢麻呂「ケッ、っつったか! 今、我に向かってケッ、っつったか!」
ナミダ、明後日の方を見て明瞭に呟く。
ナミダ「所詮私なんてもう名無しの禍人だから。なんか阿弥陀様に遠く及ばないみたいな妙な名前付けられちゃったみたいだけど、正直別にどうでもいいから。てか名前なんてただの記号でしょ。『ヘソ』とか『くるぶし』とかと同じっしょ。世の中の名前全部、便宜上そういう理由でつけられてるだけのものでしょ。姓名占い? 言霊? バッカじゃないの? 『ヘソ』は凶だから『オヘソ』にしなさいってか。『オクルブシ』にすれば吉ですってか? 笑っちゃうわあっはっは! あ、もう薪なくなってきたから拾ってくるね。うちらのご主人、超器ちっちゃいからね。どんな難癖つけられるか分かったもんじゃないからね。ああ忙しい忙しい!」
ナミダ、穢麻呂を突き飛ばし社の裏の森へと去ってゆく。
穢麻呂「おのれネチネチネチネチ。あんな粘着質な女子とは思わなかった」
狛亥丸「我が君が言いますか」
穢麻呂「なにい?」
狛亥丸「いかに過去と決別させるためとは言え、この間のお香の一件はやりすぎです。あのような真似をされて怒らない人間がいたら馬鹿か神です」
穢麻呂「ふん。下僕の心を慮るなど」
狛亥丸「穢麻呂様」
穢麻呂「……」
そっぽを向き、さも独り言のように弁解じみた言葉を口にし始める穢麻呂。
穢麻呂「勤めとはよいものだ。懸命にやれば無心となれる。忘我となれる。ひとときでも全てを忘れられる」
穢麻呂、手慰みに余った薪を割り始める。
穢麻呂「今の所はっきりしておるは呪いとは人の執着そのものということ。かけた側もかけられた側もな。明確な解呪の方法が分からぬ今、忘却こそが呪いを解く最短の道であろう、と思われる」
狛亥丸「そう仰られるご本人が何一つ忘れようとしてらっしゃいませんが」
穢麻呂「忘れてなるものか」
手元が狂い、鉈は薪をかすめ切り株に突き刺さる。
穢麻呂「ええい何だこの鉈は! あやつ、石でも割ったのではないのか!」
狛亥丸「さすがにそのいいがかりには無理があります」
穢麻呂「今度新しい鉈を買ってきてくれ。全くこれだから貴族の女子はナヨナヨして使い物にならぬ」
狛亥丸「本当、超器小さいわね~ん」
穢麻呂「……」
狛亥丸「そんな事ばかり言ってると、いつかみんなに見放されて一人ぼっちになっちゃうわよ~ん」
穢麻呂「……」
狛亥丸「アタシ~狛酉丸なんだけど~ん。うっふ~ん」
穢麻呂「猿芝居はやめよ」
狛亥丸「すみません…」
と、ふいにしゃんしゃんと鉄をすり合わせる音が響いてくる。
枯野をかき分け向かってくる穢人の一群。
手に手に物騒な改造を施した得物を携え、粛々と、しかし猛烈な殺気を必死に押し殺す放免然とした毛皮の男ども。
いや男いうより、むしろオスに近い。
鉄の音は、そのThe野獣軍団を率いているようにも守られているようにも見える袈裟懸けの比丘尼が鳴らす錫杖だった。
尼僧が何故か無頼の大男達と妙なベストマッチ感を醸し出している理由は、ひとえに超然たる浮世離れした美貌にあった。
仏道の身に在りながら薄化粧を施した彼女は、ただならぬ妖しさと高貴さに満ちており、彫りの深い大陸的美女の玉藻とはまた違った魅力が伺える。
ましてや瞼も鼻も唇もあるのかないのか分からない、カンナをかけたような相貌のオ○ッコくさい郎女などは全く勝負にならないほどに……
ナミダ「あーすみませんねーこちとら安母尼亞臭漂うノッペラボーで」
狛亥丸「おや? 薪拾いに行ったのでは?」
ナミダ「籠忘れたんで戻って来たら自分の主人が美熟女尼僧に鼻の下を伸ばしてるように見えたんで若干引いてる最中っす」
穢麻呂「誰もノッペリだのポッチャリだの言っておらぬ」
狛亥丸「ナミダ殿、考え過ぎです。我が君、誇張しすぎです」
ナミダ「環境が私を変えたんですよ。高貴で純粋だった都いちの才女を卑屈大怪獣にな! がおー!」
言い忘れたが、件の名前燃やし事件ですっかりひねくれてしまったナミダは穢麻呂へのあてつけから長く美しかった髪をバッサリと切り落としている。
勿論ただの嫌がらせだけが目的で切ったわけでなく、彼女なりの新しい人生への決意表明に伴ってボーイッシュで活動的なニューナミダ感を出すつもりであったのだろうが、カットの仕方が悪かったのか、みてくれは『麗子像』もしくは『節子』である。
尼僧「おうち焼けてしもたん?」
ナミダ「焼けてねーし!」
穢麻呂「虫女尼様。この者が文章博士の姫、菅原慧子」
ナミダ「は死にましたあ! 蝦夷穢麻呂っていう、自分も呪われてるくせに祓魔師騙って善男善女から金銭をかすめ取ってる中年の詐欺師に精神的凌辱を受けた挙句火だるまにされて殺されましたあ!」
穢麻呂「良かったではないか。高次元な存在に産まれ代われて」
ちょっと気が緩めば所構わず漫才を始める穢麻呂とニューナミダをよそに、社から持ってきた唐椅子を虫女尼なる尼僧へと差し出す狛さん。
虫女尼「ありがとう。相変わらず、主に似ずよく気が付きますね」
狛亥丸「主の主は主も同じですから」
禅問答のような狛さんの言葉に、だがナミダはすぐ勘を働かせた。
ナミダ「主の主? ちょ、ちょっとどいてよ普通の主の方!」
ナミダは速攻、虫女尼に猫撫で声で擦り寄り同時に穢麻呂には後ろ足で砂をかける。
ナミダ「主の主ってか? そんです、ワタスが菅原慧子です!」
勢い余って思わず変なおじょうさんになっているナミダ。
ナミダ「私、色々あって呪われてるんです! そして白虎街に知り合いがいないのをいい事にここでコキ使われてるんです! 嗚呼どうかお助けを! あとついでに単なる主に仏罰を!」
穢麻呂「誰が単なるだ」
ナミダ「君の君が現れた以上、君呼びは一旦停止しまーす」
狛亥丸「ではせめて公式お兄ちゃんと呼んであげて下さい」
ナミダ「公式お兄ちゃーん!」
穢麻呂「公式はつけんでよい」
虫女尼「助けろと言われても……困りましたね」
ナミダ「比丘尼様は穢麻呂氏(いきなり超他人行儀)の主なんでしょう? はっきり申し上げてこの男は外道です。来世では間違いなく修羅道か畜生道に堕ちる類です。私も一時は仏道を学びし者なれば、何卒御仏の慈悲を以てお救い頂き、あとついでにこいつ(いきなり超敵視)マジボッコボコに!」
かつてのように口調を正し懇願しつつも後半怒りが勝ってもとに戻る。
虫女尼の下僕1「虫女尼様。こやつ娑婆ことばを」
虫女尼の下僕2「とても貴族の子女とは思えませぬが」
穢麻呂「そうだ。いつもいつも聞くに堪えぬ汚い言葉を使いおって。精神的凌辱を受けているは我の方ぞ」
ナミダ「うっせえこの×××野郎!」
と、老いたる下僕の一人がナミダの首に下がる数珠を凝視する。
老下僕「お前さん、東龍寺の大仏建立を手伝ったことはないか?」
ナミダ「あるよ」
老下僕「おう! やっぱあの時のお嬢ちゃんかい!」
ナミダ「え? 私と会った事あるんすか?」
老下僕「あるよ。あの時現場で遊んでた姫さんだろ」
老下僕、懐からナミダと同じ白い数珠を取り出す。
ナミダ「あ、大仏建立記念参加賞」
穢麻呂「その数珠、ただの参加賞だったのか」
虫女尼「これ穢麻呂、神具仏具にただのものなどありませぬ」
穢麻呂「も、申し訳ございません」
はて? いつも傲慢な穢麻呂が比丘尼の前では殊勝だなと訝しがるナミダ。
そうかやっぱり熟女好きだったかと勘繰るナミダ。
だから私みたいなピチピチギャルに興味がないのかと納得するナミダ。
ナミダ「大仏の建設には父も作業に駆り出されててたんです」
老下僕「わはは。青瓢箪の地下貴族たちは邪魔でしょうがなかったけどな」
ナミダ「その節は父子ともどもご迷惑おかけしました」
老下僕「お嬢ちゃんと遊ぶのは楽しかったぜ。現場の癒しだったからな~。がっはっは!」
ナミダ「そうか癒されたか! がっはっは!」
穢麻呂「幼少より娑婆塞と関わっていたとはな。汝の口の悪さの理由がようやく分かった」
ナミダ「我が君の性根の悪さの理由はまだ分かんないっすけどね」
穢麻呂「ああん?」
ナミダ「ああん?」
(つづく)