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四神京詞華集/シンプルストーリー(終)

【単純な物語】

○尊星宮・拝殿(夜)
ナミダ「だから思うんだよね。麻の服だってちょっとした工夫で優雅に見えるんだからさ。ようはアレよ。発想力の問題ね」
狛酉丸「なるほど。着こなしってヤツ?」
ナミダ「無理矢理貴族の真似しろってワケじゃないよ。むしろ袍に胸紐ってのもアリだと思うんだ。中性的で」
狛酉丸「それちょっと攻め過ぎじゃない?」
ナミダ「うーん。でも首元には何か欲しいよね。特別な飾りじゃなくていいんだよ。そこは貝でも綺麗な石でもいいんだからさ。とにかく穢人って女捨ててる人多すぎ。眉毛ぶっといし髪チリチリだし」
狛酉丸「わかるわー」
ナミダ「私はね、白虎街の女子の意識を改革したいわけ。もっと女に生まれた事を楽しんで欲しいわけ」
狛酉丸「うんうん、それって当然の努力だよね」
ナミダ「ところで狛ちゃんって多重人格なの?」
狛酉丸「……」
ナミダ「……」
狛酉丸「あ! 私思いついたんだけどさ。いっそ裳(スカート)の下に袴履いて、派手な履(かのくつ)見せてみるってどう?」
ナミダ「全然アリだと思う! そういう逆転の発想って大事よ! ところで多重人格なの?」
狛酉丸「……」
ナミダ「……」
狛酉丸「あ! あとさ~」
穢麻呂「ええいやかましい! 少し黙っておれ!」
 
簀子縁に腰かけて愚にもつかない女子トークに華を咲かせるナミダと狛酉丸を叱りつける穢麻呂。
気分は主人というより、ほとんどお父さんである。
それでも何やら小声でブツブツと不平不満を垂れ流す下僕を無視し、キヨメの祓魔師は依頼主に向き直った。
窓から覗くは、上弦の月。
久能は、晴れ晴れとした面持ちで穢麻呂に銭袋を差し出した。
一方の穢麻呂。その仏頂面はもとからのものだが、今回ばかりは流石に気が引けているという理由もある。
狛さんが吹っ掛けたこの成功報酬は、棚ぼた以外の何物でもないからだ。
口は悪いが嘘は付けないタイプの穢麻呂は
「当方、全力で調査し奥さんを発見いたしました!」
とは口が裂けても言えず、だからといって
「偶然発見したんでお金はいいっすよ」
と馬鹿正直に申告するには余りにもひっ迫している生活費を鑑みるに、とにかく無言で受け取りとっととお引き取り願うが得策という考えに至ったゆえの無表情をひたすら保ち続けていた。
 
穢麻呂「朔の夜の人さらい。もしや其方の奥方が巻き込まれたと思うてな。(単なる偶然)まあ、大事に至らず良かった」
久能「いやいや。さすがは噂の祓魔師キヨメの穢麻呂殿。此度の活躍、この久能が全力の筆を用いて内裏に喧伝いたしましょうぞ」
穢麻呂「結構」
久能「まあまあそう遠慮なさらずに」
穢麻呂「たかだか人さらいごときに衛士の大将坂上武者麻呂が出張ってきたのだ。この事件、我ら庶民は忘れた方がよいやのも知れぬぞ」
 
穢麻呂は己が知り得る真実を極力ぼやかしつつ、告げる。
 
穢麻呂「まあ、厄介ごとに首を突っ込みたくば止めはせぬが、そちらが今後誰に襲われようと何処に左遷されようと、こちらとしては知らぬ存ぜぬを通すことをご承知おき願いたい」
 
淡々とフェードアウト宣言をする穢麻呂を見て、青ざめる久能。
 
久能「そ、そうですか。分かりました」
穢麻呂「しかしこれほどの銭、如何して」
 
余計なことを口走ったと思った。
それはかつての勤めからくる、半ば職業病のような詮索だった。
 
久能「ふふふ。お面のお方の仰られた通りですよ」
穢麻呂「不食米か」
 
不食米とは、給料とは別に日々支給されるお米のことで、これを銭に変えて生活の足しにしている者も多い。
そう解説されれば何となく悲壮な響きがするが、これはようは小遣い稼ぎに利用できる余剰米であり、出来高制の写経生にとっては小遣いどころか固定給に近い。
しかもダラダラ仕事をすればするほど膨れ上がる固定給である。
したり顔を隠しもしない久能に、穢麻呂は全てを察知した。
 
穢麻呂「図書寮も随分と杜撰になったものだな」
久能「まあ、みな無理せなどずに己の調子でノビノビと勤めておりますよ。世の流れです。かの仕事人間が如き文章博士も、結局大宰府へ飛ばされてしまったではありませんか。その点新たに任官された近江真船博士なるお方はよくわかっておられるようで……」
 
なんら悪びれもせず写経所の怠慢と効率低下を堂々と告白する久能。
穢麻呂のかつての職責を知れば、失言につぐ失言の数々に恐れおののき気を失うかも知れない。
だが今の穢麻呂にとっては職掌のゆとり化など些事であった。
新しい文章博士にも全く興味などなかった。
ただ銭袋を受け取る罪悪感が霧散し、心が安らいだのみだった。
 
穢麻呂「左様な悪知恵、もとい、生活の知恵があるならば奥方に雑仕女なぞやらせずともよかったではないか」
久能「父上の言いつけなんです。大豪族久能家の子を産む女子なれば、都随一の貴族藤原より学ぶべしと。まあ、菜菜乎ほどの者にはいらぬ世話だったみたいですね」
 
穢麻呂の嫌味にも気づけぬ者が妻の本性など知る由もなかった。
久能の無邪気なほどの近視眼を、しかし穢麻呂は笑えなかった。
 
穢麻呂「(見たいものを見たいようにしか見ない)」
 
そうふと小さく頭を振ったのは、無意識によるものだった。
 
久能「今頃は出雲に到着し我が帰りを待ち焦がれていることだろう。嗚呼、健気な妻よ。今少しの辛抱ぞ」
 
戦いに参加しなかったとはいえ、穢麻呂と狛さんが止めるのも聞かずアジトまで同行したのだから、性格はどうあれ愛妻家ぶりは本当だ。
菜菜乎なる奥方の性根など知る由もないが、その行動経路を顧みるに、健気なのはむしろ夫の方であろう。
元気に去ってゆくこの単身赴任の男の背が穢麻呂の目には至極哀れに映って見えた。
一方。
オトナの難しい話なんてウチら全然キョーミありませーん! と言った調子で依然ギャーギャーと騒いでいる縁側の女子ども。

穢麻呂「おい貧相女にオトコ女」

穢麻呂は苛立ちを押し殺しつつ勤めて冷静に、コンプライアンスギリアウトのハラスメントシャウトを投げつけた。
 
狛酉丸「ひっどーい!」
ナミダ「ちょっとオジサン、マジ暴言なんですけどー」
穢麻呂「醜女同士意気投合したなら少しは協力して夕飯でも作らぬか」
ナミダ「だから私、お箸より重いもの持てないんですってば」
穢麻呂「これを機会に鉈くらい振り下ろせるようになれ。薪割りすら出来ぬ下僕がどこにいる」
狛酉丸「私も重いもの持てなーい」
穢麻呂「黙れ大男。いい加減狛さんと代わってくれ」
 
実はこの七日間で穢麻呂と狛酉丸が口をきいたのは今が初めてである。
ナミダは二人の間に流れる微妙な空気感を感じ取りつつも、結局深くは追求せず、あえて薄い会話でお茶を濁していたのだ。
この辺りがコミュニケーションマスターたる彼女の絶妙な気遣いなのだが、朴訥(というより粗暴)な二人にそれを感謝する感覚は勿論、ない。
 
狛酉丸「それがこないだの戦いからこっち、ずっと黙りこくってんのよね。膝抱えてうずくまってる感じ?」
穢麻呂「全く。何をいじけておるのだ?」
狛酉丸「うまく戦えなくてすみません。的な?」
穢麻呂「狛さんの役割は戦さではない」
ナミダ「そう! 炊事洗濯その他諸々生活全般よ!」
穢麻呂「お前が言うな!」
ナミダ「だって狛ちゃん肉の臭み取り雑なんだもん!」
狛酉丸「じゃあ鼻詰まんで食べればいいでしょ!」
穢麻呂「そしたら味が分からんではないか!」
狛酉丸「知るかあ!」
 
と、不毛な議論を続ける貧乏人共の前を例の『腹吸わせ猫』が通りかかる。
 
ナミダ「あ!」
 
ナミダ、猫を引っ捕まえ、速攻で裏返すと腹に顔をうずめる。
やさしい匂いがささくれだった気持ちを癒す。
 
ナミダ「ほら、狛ちゃんも吸ってみな。飛ぶぜ」
狛酉丸「ひいっ!」
 
狛酉丸、短く悲鳴を上げると、その動きを止める。
 
ナミダ「狛ちゃん?」
 
どうやら気絶したらしい。
 
穢麻呂「こやつらは皆、猫が嫌いなのだ。あまり目の前でおぞましい行為に及ぶでない」
ナミダ「何で? 可愛いのに」
穢麻呂「知るか」
ナミダ「てか今こやつら皆って言いましたよね。それってやっぱり……」
穢麻呂「この者の体には一二人の人格が存在している」
 
と、狛酉丸だった大男の体が少しばかり揺れる。
穢麻呂は彼の覚醒を認めた。
 
穢麻呂「我と会った頃は各々の人格がないまぜとなり周りから狂人扱いされていたが、それぞれが仮面を被ることで心が安定したようだ」
ナミダ「そのお面、我が君が作ったんですか?」
穢麻呂「いや……」
 
穢麻呂、迷企羅面から宮比羅面に付け替えてやる。
 
穢麻呂「一二の人格のうち、今対話できるのは五人。後は眠っていたり……」
 
ナミダの興味は既に猫の腹部に移行しており、話半分どころか話ゼロの状態でニャンギマっている。
 
穢麻呂「狛さん、起きているのであろう」
狛亥丸「申し訳ありません。我が君を危険に晒すところでした」
穢麻呂「余計な気を使うでない。命などとうに捨てておる。我には……」
 
穢麻呂の顔が歪む。
もしも猫の腹に顔を埋めてなければ、その時ナミダは主のもう一つの、全く見たことのない顔を垣間見ることができたはずだ。
 
穢麻呂「俺にはもう欲しいものも失うものも何もない。ただ『勤め』を果たすだけだ」
狛亥丸「……」
 
穢麻呂、少しだけ心中をこぼし幾分落ち着いたのか、もとの凡庸なる鉄面皮に戻る。
 
穢麻呂「それに狛酉丸、存外あの女子と気が合っていたようだ。次からは汝の代わりに出て来て戦うてくれるやも知れぬぞ」
狛亥丸「このままではいられませんか?」
穢麻呂「うむ?」
狛亥丸「この街で弱きを助け、強きを挫く。そんな真っ直ぐな道を歩んでは頂けませんか?」
穢麻呂「左様に単純な話ではないのだ。我の物語はな」
 
穢麻呂、アへ顔で呆けているナミダに歩み寄る。
 
穢麻呂「おい」
ナミダ「アへ?」
穢麻呂「あの放蕩女に香木を渡して逃げよと命じたはずぞ。何故、共に牢の中にいた? 何故役目を終えてすぐ戻ってこなかった?」
ナミダ「……まあ、それは……その」
穢麻呂「……?」
ナミダ「だって欲しかったんだも~ん紅熟香。あんな女にあげるなんて勿体なくて」
狛亥丸「見捨てて逃げられなかったんでしょう? 田舎から出て来て、一人ぼっちだったお友達を」
ナミダ「……」
 
ふと、猫を抱くナミダの手が緩む。

ナミダ「お友達……か」

猫はここぞとばかりに逃げ去った。
 
穢麻呂「だが結果、そのお友達にも忌み嫌われた。それがお前の運命だ」
ナミダ「我が君もでしょ」
穢麻呂「なに?」
ナミダ「禍人が禍人を下僕呼ばわりして偉そうに。そっちは誰に呪われたんですか?」
穢麻呂「知りたいか?」
ナミダ「……別に」
 
ナミダは無性に腹が立って、会話を止めた。
そんなナミダの前に小袋が放り投げられる。
香木の入った小袋が。
 
穢麻呂「褒美だ」
ナミダ「ま、マジっすか?」
 
ナミダは急激に機嫌を直すと、うやうやしく小袋を受け取り中を覗く。
香木には筆で『慧』の名が記されている。
 
おいおいおいおい!
出たよツンデレが。
てかこのオッサン、見かけによらずロマンチックじゃねーか。
でもちょっとカマシ過ぎじゃね?
注意しなよ、こういうのギリキモイって思われちゃうぜ。
まあ、好意は好意として素直に受け取っとくわ。
むっふっふっふ。
このヘ・ソ・マ・ガ・リ。
 
穢麻呂「燃やせ」
ナミダ「へ?」
 
何ごとも自分に都合よく解釈する下僕の思惑など見透かして、主は冷静に、いや冷酷に告げる。
 
穢麻呂「香は炊くものであろう。燃やせ」
ナミダ「いやいやいや、そんな乱暴な」
穢麻呂「それと今後は不用意に菅原慧子を名乗るを禁ずる」
ナミダ「え?」
穢麻呂「汝の父は最早文章博士ではない。よって文章博士郎女慧子なる者はこの世にはおらぬ。騙り者め。お前はナミダ。南無阿弥陀仏に遠く及ばぬ、みすぼらしき哀れな禍人ぞ。身の程を知れ」
 
ナミダはここにきてようやく香木に記された『慧』の意味を知った。
菅原慧子の名を燃やせ。
それが主、蝦夷穢麻呂の命令だった。
ナミダは唇を噛んだ。
『慧』の文字が滲んで映った。
だが彼女は堪えた。
この男の前で涙を流すなど、少なくとも今この瞬間だけは決してしてはならない、絶対にしたくない、そう強く思った。
ナミダは涙をこらえた瞳で穢麻呂を睨むと、その眼差しのみを使って全力でこう叫んだ。
 
「たかが名前ひとつで支配した気にならないでよね」
 
その叫びが伝わったのか否か、穢麻呂はただわざとらしく笑うのみ。
やがて蝋燭の灯が伽羅に灯り、慧子はゆっくりと燃え上がる。
きらめき静かなる香りとともに。
 

【EP2】シンプルストーリー(おわり)


【これまでの登場人物】
藤原百永/百屋(32)大納言にして白虎街の商人
玉藻(34)白面酒房店主
蘇我有鹿(33)中納言
源柘榴(29)兵衛
橘覇流漢(35)不比等直属の家臣
右覚(40)有鹿の随臣
左輔(38)有鹿の随臣
織乎(23)白面酒房の宴の花
狛酉丸(??)狛亥丸の別人格
   ・ ・ ・
菜菜乎(25)白面酒房の宴の花
久能保臣(28)菜菜乎の夫

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