妖瞞の国(2)
○(回想)羅城門(夜)
荒廃した二重閣九間の楼閣。
開け放たれた扉をくぐって、
乗り込んで来るたくさんの鬼達。
綱光の声「大江山の鬼じゃ! 都へ入れるな!」
検非違使の一団、鬼達を阻む。
○(回想)羅城門・屋根(夜)
屋根の上、対峙する綱光と青鬼。
火花散らす綱光と青鬼。
綱光の刀が青鬼の左腕を刎ねる。
絶叫する青鬼。
その声は女のもの。
綱光、驚く。
青鬼がざんばら髪に鬼面を被った、
夷の女に変わる。
○(回想)朱雀大路
家来を引き連れ、
都人の喝采を浴びる綱光。
ふと右京を見る。
襤褸を纏った者達が綱光を睨む。
○(回想)竹林(夜)
穏やかに綱光を見つめる珠子。
珠子「私が鬼と変わらぬうちに。どうか」
躊躇する綱光。
○獄舎(夜)
土牢の中、呆けている綱光。
綱光「……鬼」
格子を隔て綱光を見下ろす飛蝗。
飛蝗「……」
月の光は一切なく、
手にした松明の灯りが
飛蝗自身と綱光を照らしている。
飛蝗「はいどうもこんばんわ。そういうわけで見事に無罪放免となった飛蝗道士なんですけどもね」
綱光「わざわざ俺を笑いにきたか」
飛蝗「人生、笑いが一番ですから」
綱光「それは何よりだ」
飛蝗「しかしまあこれこそが、真を知りもせず勢いだけで人を裁き続けた報いでしょうな」
綱光「真を知らぬはお前の方だ」
飛蝗「言い忘れておりました。第三の罪穢れとは如何なるものか? 面構えまではどうしようもありませぬ。如何様にもお裁きを」
綱光「この様でどうしろというのだ」
飛蝗「『地獄の閻魔にしかと伝えておくぞ!』的な?」
綱光「つまりはお前の中で俺はもう処刑されていると」
飛蝗「いやんもう。あたくし、せっかちなタチで」
綱光「では死にゆく者を騙しても仕方あるまい。教えてくれ。お前は無実なのか。無罪となってもまことに無実と言い切れるのか。この判官に正々堂々打ち勝ったと天に恥じる事なく言えるのか」
飛蝗「……」
睨み合う飛蝗と綱光。
飛蝗「ではこれにて。寛大なるご裁下が下されますよう、お祈り申し上げておりまする」
飛蝗、綱光に背を向ける。
綱光「珠子殿を夜叉に変えたはお前か」
飛蝗、振りかえり綱光の目をまっすぐ見る。
飛蝗「夜叉? あの人は優しい方でしたよ」
綱光、納得して小さく呟く。
綱光「どうやら陰陽寮に陥れられたらしい」
飛蝗「宮仕えも大変にござりまするな」
綱光「お前は関白の手の者か? それとも陰陽頭の家来か?」
飛蝗「……俺はただの浮かれ人さ。それと『人を鬼に変える者』は恐らくアンタの一番近く、一時も離れぬ場所にいると思うぜ。今もな……」
飛蝗、綱光に頭を垂れて去る。
綱光「俺が斬っていたのは人か? 鬼か?」
遠ざかる松明の炎。
牢が闇に包まれる。
○土御門殿・釣殿(夜)
庭園の池にかかる橋を、
灯を手にした女官と共に渡る関白。
橋の向こうの中島に立っている安倍。
安倍の傍には、
何故か松明を手にした綱光の舎人童が侍る。
島に至り安倍と対峙する関白。
関白「なにが清めの君じゃ。色魔め。二度と我が凛子に近づかせはせぬぞ」
安倍「……」
関白「汚らわしや。鬼に堕としてくれん」
安倍「霊験衰えし陰陽寮。関白様よりお役目を与えられしは喜びの極みにございます」
関白「頼むぞ」
無表情の関白、黒い池を見下ろす。
○空(夜)
雲に覆われた夜空。
○獄舎(夜)
格子が開き、獄卒が綱光を見下ろす。
獄卒「出られませい」
綱光、毅然と獄卒を睨み返す。
○右京・破屋街(夜)
闇の中、ぬかるんだ道を進む牛車。
徒歩は松明を手に綱光の舎人童。
○牛車・中(夜)
綱光、静かに口を開く。
綱光「短い間だったが大儀であった」
舎人童の声「綱光様……」
綱光「お前が我が館に来てちょうどひと月か」
舎人童の声「はい」
綱光「元は神社に預けられておったそうだな」
舎人童の声「はい」
綱光「ならば陰陽寮と繋がりがあっても不思議ではないか」
舎人童の声「何を仰られているのか分かりませぬ」
綱光「文を盗んだはお前であろう」
舎人童の声「……」
綱光「関白。陰陽寮。俺は敵を作りすぎたようだな。まこと平安京は嫉妬と怨嗟の都ぞ」
と、牛車が止まる。
綱光、動じることなく物見を開ける。
窓の向こうに百鬼夜行が見える。
○右京・破屋街(夜)
牛飼も舎人童も既におらず、
おびただしい数の鬼が
牛車を囲んで蠢いている。
○牛車・中(夜)
窓から鬼火に照らされた鬼の一匹、
綱光を見て裂けた口で笑う。
静かに物見を閉ざす綱光。
綱光「これはアヤカシか? マヤカシか?」
綱光の口元からも笑みがこぼれる。
綱光「何もかも、もうどうでもいい」
○右京・破屋街(夜)
幾つもの鬼火と沢山の鬼に連れられ、
闇の中へと消えてゆく牛車。
綱光「ははは。ははははは」
綱光の渇いた笑い声が響きわたる。
○飛蝗の小屋・中(夜)
亀の甲羅を指でなぞる飛蝗。
飛蝗の指に絵具の粉がつく。
飛蝗「都人もまた、哀れなもんだねえ」
飛蝗、蝋燭の火に指の粉をかける。
炎が紫色になって燃え上がる。
○東市(朝)
堀川小路沿いに並ぶ出店の小屋。
間口一間の小さな店には、
それぞれ布、魚、果物、木器、
はては馬まで売られている。
冷やかしの市人市女笠に混ざり、
男装水干のたいおんがうろつく。
市人1「聞いたか? 清めの君、坂部少尉が魔道に堕ちて都から消えたらしいぞ」
市女笠1「御堂関白様の調伏を行ったそうよ」
市人2「思い上がりが極まり、氏長者に成り代わろうとしたのかのう」
市女笠2「所詮は卑しき侍。哀れなものね」
市人1「やはり都の清めは陰陽寮のお役目だな」
市女笠1「武者なんて鬼や夷と紙一重。不気味だわ」
小さくため息をつき、
人混みに消えるたいおん。
○一条戻橋・橋の下(朝)
小屋に並んでいる人の列。
○飛蝗の小屋・中(朝)
煙の中、亀占いをしている飛蝗。
飛蝗「次! 早くなさい! アタシぁ忙しいのよ!」
蓆を上げ中を覗くたいおん。
たいおん「おぬし、何故女言葉なのじゃ?」
飛蝗、怪訝そうにたいおんを睨む。
飛蝗「お悩み?」
○飛蝗の小屋・外(朝)
蓆が下りている。
○朱雀大路(朝)
歩く飛蝗とたいおん。
飛蝗「こりゃあ生業上の秘密ってやつなんだがな、迷っている者には『叱責されたい願望』ってもんが多々があるらしいのさ。上から目線で、ちょっと不機嫌に、かつ強めに説教すりゃあどういう訳か怯んで、頷いて、納得して、信頼する。そのさい、男言葉より女言葉を使やあ、さほど波風が立たず占いが捗るってわけさ」
たいおん「怒られたい? 意味が分からぬのう」
飛蝗「日々、怒られとる童(わっぱ)にはわかんねえさ」
たいおん「我は式神だ。齢五百を越えておる」
飛蝗「なるほど五百歳か。斑鳩の都はどんな感じだったんだい」
答えに窮するたいおん。
たいおん「それは……いかにもイカルガ! という光景であった。見事なまでに、イカルガであったな。最早猫も杓子も皆イカルガであった」
飛蝗「ふーん」
たいおん「……」
飛蝗「……」
たいおん「だ、大体その頃は遥か西方におったから、こんな倭人の小国などよく覚えておらぬ」
飛蝗「ふーん」
たいおん「海の向こうの、天女舞う光輝く都じゃ。お前なぞに話してもせんなき事じゃ」
飛蝗「ふーん」
朱雀門へと歩く飛蝗とたいおん。
○陰陽寮・陰陽頭の部屋
広い板の間。
昼なのにしとみ戸が閉ざされ、
燈台の灯り。
香が焚かれている。
円座に座り飛蝗と対峙する安倍。
飛蝗の傍らにたいおん。
たいおん「陰陽頭様にあらせられる」
安倍「先日は見事なる働きであった。よもや検非違使判官が関白様を調伏していたとは」
飛蝗「あやうく無実の咎で殺されるところでした。礼を申しまする」
飛蝗、懐から綱光の文を取り出す。
表情を変えない安倍。
安倍「何の事かな。さて、呼びたてたは他でもない。飛蝗道士よ。そこもと、陰陽寮にて勤めぬか?」
飛蝗「畏れながら私は未だ浅学若輩」
安倍「見た所よい歳だ。余計な学もいらぬ」
飛蝗「生まれも卑しく政にも疎うございます」
安倍、扇を突きつけ威嚇する。
安倍「政? 浮かれ人如きが思い違いをするでない」
飛蝗「……」
安倍「これは我が役に立ったが故の褒美じゃ」
飛蝗「役に立ったとは?」
安倍「都は今、穢れ武者どもが幅を利かせその霊力を失っておる。清めの君などという紛い物を奇縁とはいえ取り除いてくれたその才を買うてやろうというのだ。お前もまた紛い物の術者。この陰陽頭が正式な陰陽師に推挙いたそう。平安京の為、天下万民の為、何よりみかどの為、疾く勤めよ」
繋いだ唐銭宋銭の束を放る安倍。
安倍「四半刻ごとにそれをくれてやる。それとも偽道士としてこれより我と相対するか? 言うておくが容赦はせぬぞ」
神妙に安倍の顔色を伺う飛蝗。
能面のように朧な安倍の表情。
安倍「なかなか心が読めぬであろう。これでも大陰陽師晴明が倅ゆえのう」
飛蝗、一転横柄に首や肩をほぐす。
飛蝗「内裏は性に合いませぬ」
安倍「すぐ慣れる」
飛蝗「占術などマヤカシ」
安倍「すでに見抜いておる」
飛蝗「武器は『ことのは』のみ」
安倍「それだ」
安倍、扇をあおぎ灯りを消す。
しとみ戸を上げるたいおん。
廊下の向こうに内裏が見える。
荘厳な神殿造りの殿舎がそびえ、
建物をつなぐ透渡殿を
青白い顔をした公家たちが行き交う。
安倍「陰陽五行を組み合わせ万物の理を解き明かし国の行く道を指し示していた陰陽寮。だが今の役目は、ぬしらはぐれ道士と同じだ」
虚ろな目で歩く公卿たち。
安倍「ただ、占い……いや説教をする相手が民か公家かというだけの事。しかも今の陰陽寮は書物と照らし合わせ、通り一遍の事しか出来ぬ凡夫の群れ。殿上人は辟易し頼りにもせぬようにった。悪鬼調伏のお役目は生臭坊主どもにすらその座を取って変わられておる。お前のような口賢しさが今の陰陽寮には必要となってしまった。飛蝗という在野異形の才がな」
飛蝗、束になった銭を掴む。
飛蝗「こんな穢れ道士に天下の陰陽頭様が目をかけてくれるのかい」
安倍「所詮失うものなき詐欺師であろう。その言霊で見事殿上人を騙くらかしてみせよ。力なきアヤカシより強きマヤカシこそ陰陽寮の威信を取り戻す鍵と、我は高く買うておるぞ」
安倍、ようやく口端だけで笑う。
○同・部屋1
薄暗い板張りの部屋。
山と積まれた蔵書にまみれながら、
技官達が黙々と仕事をこなしている。
暦に筆を入れている歴生。
星図を睨んでいる天文生。
飛蝗を連れて入って来るたいおん。
目もくれず没頭する陰陽師達。
飛蝗、物珍しげに星図を覗く。
たいおん、飛蝗の首根っこを掴む。
たいおん「こっちじゃ」
○同・部屋2
暗く埃の舞う物置に幾つもの葛籠。
たいおん、飛蝗ににじりより、
薄汚れた水干を脱がしにかかる。
動揺する飛蝗。
飛蝗「お、おい何すんだ! 昼間だぞ! 仕事場だぞ! 若いみそらでそういうのが好みか!」
たいおん、
烏帽子を取り頭をはたく。
たいおん「静かにせい」
○同・部屋1
衝立の裏から、真新しい狩衣指貫、
立烏帽子を纏った飛蝗が出てくる。
たいおん「皆もの。これなるは本日より新たに陰陽学生となりし、安倍飛蝗じゃ」
飛蝗「何卒御教授御鞭撻のほど、よしなに」
飛蝗もたいおんも無視して、
己の世界に没頭している陰陽師達。
たいおん、文句を言いたげな飛蝗の
首根っこを掴んで部屋を出てゆく。
○内裏・透渡殿1
高欄のついた渡橋を歩くたいおん。
飛蝗「おいおいあいつらは全員何の病だ。人の言葉も通じねえのかい? 都や公卿を占う前に、まず己の健康状態を占った方がいいんじゃねえか?」
毒づく飛蝗に、振り返るたいおん。
たいおん「それ故にお前がここに呼ばれたのであろう。体だけは丈夫なようだからな」
と、公卿1、2が近づいて来る。
公卿1「これはこれは陰陽寮の守り神様」
公卿2「女子供の遊び場はここではないぞえ」
たいおん「我は」
公卿1「式神ぞ。アヤカシぞ」
公卿2「ありがたやありがたや」
たいおん、公卿たちの嘲弄に耐える。
飛蝗、しゃしゃり出る。
飛蝗「新たに陰陽生となりました安倍飛蝗と申しまする。諸々の禍事、よろずお引き受けいたしますれば以後お見知りおき下され」
公卿達、いびつな笑顔でうなずく。
公卿1「励めや。給金泥棒」
飛蝗、たいおんの手を引いて去る。
公卿1「安倍晴明が死して十余年、陰陽寮の霊験は錆びれ廃れる一方よ」
公卿2「式神ひとつ満足に召還もできず、どこぞの端女に騙らせる様。見るに堪えぬわ」
公卿1「都の穀潰しめらが」
侮蔑の眼差しで二人を見送る公卿達。
○内裏・透渡殿2
飛蝗の手を振り払うたいおん。
たいおん「放せ! うぬの情けなど無用じゃ! 我はアヤカシの眷属ぞ! お前のようなマヤカシではない!」
飛蝗「まあ、そういうな。任せておきな。マヤカシをアヤカシに変えるくらい雑作もねえさ」
飛蝗、不敵に笑う。
飛蝗「面白くなってきたじゃねえか」
○鬼の巣(夜)
凝視する綱光。
「ラッセラ! ラッセラ! ラッセラ! ラッセラ!」
広大な洞窟の中。
むき出しになった岩壁のそこかしこに、
篝火が焚かれ煙を上げている。
和物や唐宋の贓物が無造作に散らばる。
身ぐるみを剥がされ横たわる綱光。
火を囲み踊る鬼の群れ。
そして巨大な鬼の頭領と、
あの隻腕の青鬼。
鬼たち「ラッセラ! ラッセラ! ラッセラ! ラッセラ!」
朦朧と青鬼を見つめる綱光。
青鬼の姿がかの女へと変わる。
鬼たち「来世ら。来世ら。来世ら。来世ら」
(つづく)